829.ペタル石 Petalite (スウェーデン産)

 

 

 

Petalite

ペタル石 -スウェーデン、ソデルマンランド、ウーテ島産

 

ベルセリウス(1779-1848)の共働者アンナ・スンドストローム(スンストラム: 1785-1871)は、スウェーデン初の女性化学者として名を残している。20代の頃、彼女はストックホルムのエステルマルムにある家(医科大学の持ち家という)でメイドとして働いていた。1808年、ベルセリウスが入居すると、やがて実験の手助けをするようになった。彼は前年に薬科大学(後のカロリンスカ医科大学)の化学教授に昇進したことで窮乏生活を脱していたが、ヒーシンゲルの斡旋でここに入ったのである。
建屋の2階右隅が彼の私設「台所実験室」になり、器具の洗浄や試薬の調製はやがてアンナの台所仕事になった。彼女は化学に大いに関心を寄せ、すぐに作業に熟達し、広範な知識を身につけていった。ベルセリウスは、「彼女はあらゆる実験器具にすっかりなじんだので、私は何のためらいもなく塩酸の精製をまかせることが出来た」と書いている。
彼は依然裕福でなかったけれども、さまざまな器具や試薬を考案し、新しい実験手法をいくつも開発した。
1817年、ベルセリウスはこの台所でセレンを発見し、彼の生徒の一人J.A.アルベゾン(アルフェドソン:1792-1841)はリチウムを発見した (cf.No.541) 。アルベゾンの同級生にはトロール石(trolleite) を献名された、H.G.トロル=ヴァハトマイスター伯爵や、ガドリン石を発見したC.A.アレニウス大尉があった。アレニウスは当時60歳だったが、依然、化学と鉱物とに旺盛な探究心を抱いていた。

ベルセリウスは 1818年に1年ほどかけてイギリスやフランスを周遊した。その間にスウェーデン王立科学アカデミーの終身会員に任命されて収入が倍増し、アカデミーの建物内に行き届いた実験室を斡旋されて研究に専念できることになった。翌年、パリで調達した多数の実験器具を携えてアカデミーに入居し、アンナは家政婦に雇われてついていった。もちろん実際は化学助手である。ここでベルセリウスは珪素、ジルコン、チタンの単離を行っている。1828年には台所実験室以来の元素の原子量決定作業を仕上げ、また新元素トリウムを発見した。 cf.No.823
つねに健康問題を抱えていた彼にとって、こうした膨大な研究のパートナーとしてアンナはなくてならない存在だったろう。錬金術における妹の力の発現といえようか(ただ彼女の業績については何の記録もない)。

アカデミーの実験室もまた生徒たちが多数出入りし、アンナはしばしば彼らの監督役を務めた。生徒たちは彼女を「生真面目アンナ」とあだ名した。無機化合物から初めて有機化合物を合成して「有機化学の父」と讃えられる F.ヴェーラー(1800-1882)もその一人である。彼はここで初めて(当時はそれと分からなかったが)尿素の白色結晶を得た。アンナのことを、「料理を作るよりも、硫化水素を発生させることを好んだ」と述べている。

1829年に科学アカデミーの新しい「宮殿」が落成すると、アンナはここでも化学助手であった。が、いよいよ健康に不安を感じるようになったベルセリウスは穏やかな家庭生活を求め、1835年の暮れ(56歳になって)、旧友の州会議員の娘と結婚することに決めた。アンナは助手の任から解かれた。料理人として残るよう言われたが、周囲の状況からして去るほかなかった。その後の成り行きは知られていない。
すでに名声を得ていたベルセリウスは結婚を機に男爵に叙せられたが、医科大学の化学・薬学教授職を生徒の一人、C.G.ムーサンデル(1797-1858)に譲って仕事のペースを落とした(恩給が与えられる勤続年限に達していた)。

ベルセリウスやアンナが実験に明け暮れた30年近くの歳月は、近代化学の基礎理念が確立された時期に重なる。実験室には欧米各地から化学を学ぼうとする優秀な学生たちが吸い寄せられるように集まり、つねに沸き立つ熱気をはらんでいた。数多くの研究が行われ、化学史を飾る成果が生まれた。上述のリチウムの発見は好例である。この元素はペタル石(葉長石)の組成分析によって認識されたが、当時、何人もの著名な化学者が分析を行った中で、ただベルセリウスの下のアルベゾンだけが正しい結論に導かれたのである。

ペタル石はブラジルの貴族で博物学者・政治家・詩人の J.B.de アンドラダ・エ・シルヴァ(1763-1838)によって最初に報告された。1790年、彼は国庫負担でヨーロッパ各地を遊学し学術調査を行う機会を得て、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ハンガリー、またスカンジナビア諸国を訪れた。その後、1800年にポルトガルのコインブラ大学の教授に落ち着いたが、この間に研究し名を与えた鉱物がいくつもあった。それらはシュニーベルクの鉱山査察官バイエルが発行するジャーナルに報告されている。(補記1)
ペタル石はその一つで、「鋼に打ち付けると火花を発する、テクスチャーは葉状ないし鱗状、微小な薄板状の層が強固に結合している、互いに擦り合わせると石英と同じような微かな香りがする。単独では吹管に不熔で色・光沢も変化しないが、ホウ砂と共に溶けて白色のガラス球を形成する」などと観察され、産地にスウェーデンのウーテ(ウート)島、サーラ鉱山、フィングルファンなどが挙げられた。

ペタル石は当座の関心を呼ばなかったが、1817年にスウェーデンの鉱物学者スウェデンスティェルナがウーテ島の鉄鉱山を訪れて標本を採集し、ベルセリウスやヴォークラン、アユイ、ウォラストン、レオンハルトなど、当時の著名な化学者たちに送ったことから俄かに脚光を浴びた。彼らはそれぞれにペタル石の成分を調べた。ヴォークランはアルカリを含むことを認識したが、分析結果には大きなロスがあった。この結果からアユイはペタル石を新種と認めた。E.D.クラークの分析結果にも多少の不可解なロスがあった。

ベルセリウスに送られた標本は、25歳の若い優秀な生徒アルベゾンに委ねられた。その頃アルベゾンは異なる酸化状態を示すマンガン酸化物の研究をテーマに与えられていたが、ある日、机の上にこの白い石が置かれたのである。
彼は教わった通りの方法で分析に取りかかり、得られた結果に4%のロスを認めて驚いた。そこで別の試薬を使って分析し、最後に不揮発性の残滓を得た。このアルカリ塩はカリウムでもマグネシウムでもありえなかったので、硫酸ナトリウムと仮定して分析値を合計すると、今度は5%の過剰となった。アルベゾンは分析に失敗したと思って落胆したが、ベルセリウスは彼をおおいに褒めたという。そして未知の元素が含まれている可能性を示唆したのだった。

1818年1月、ベルセリウスは同じくペタル石の分析を行っていたヒーシンゲルに発見を伝えた。新元素リチウムの名は彼とアルベゾンとで決めたが、発見の栄誉はアルベゾン一人に譲られた。ベルセリウスのこうした寛容さは彼の生徒の多くが指摘している。同年の春、ロンドンの友人A.マルセに送った手紙には、リチウムはまたウーテ島で採集された別の鉱物、スポジューミン(リチア輝石)やリチア雲母にも含まれていたことが述べられている。
彼らはしかし、リチウムを単離出来ず、その功績は W.T.ブランドや H.デーヴィに帰した。C.G.ギュメーリンはリチウム塩の美しい真紅色の炎色反応を初めて観察した。いずれも1818年のことである。ちなみにスポジューミンが赤色の炎色反応を示すことは、これより早く J.N.v.フックスが観察していたが、残念ながら未知の元素によるものとは気づかなかった。

ウーテ島は有名産地になった。ヴェーラーがベルセリウスの下で過ごした 1824年の春、彼はベルセリウス、ヒーシンゲル、アルベゾンらの化学者グループに加わって、島に休日を過ごした。リチウムが発見された鉱物を採りにいったのである。
この島はストックホルムの南東約 50km、沿岸から15キロほど沖合にある岩礁諸島のひとつで、12世紀頃から鉄鉱石が採掘されていた。1607年には銀山も開かれたが、産量に乏しくすぐに閉山した。島でもっとも大きな(露天掘り)鉄山に二つの巨大なペグマタイトが知られ、さまざまな非鉄鉱物を産した。一つはいわゆるリチウム・ペグマタイトである。鉄鉱の採掘は1878年まで続いた。島はペタル石、スポジューミン、マンガンタンタル石、ホルムキスト閃石の原産地となっている。
ヴェーラーがストックホルムに滞在したのはほんの一年ほどの短い期間だったが、その日々を輝かしい思い出として胸に刻み、ドイツに帰った後も恩師との文通は生涯続いた。 ベルセリウスがスウェーデン語で書いた「化学の教科書」のドイツ語訳もなしている。

前述の通り、アンナが化学史に残る発見や研究に関わったかどうか、記録はない。しかし彼女が希望に満ちた化学の勃興期に若い時代を送った一人であり、ベルセリウスの実験室の生き生きとした空気を呼吸し、むしろその雰囲気に独自のオーラを添えた女性だったことは確かと思われる。
今日、スウェーデン化学学会の無機化学分科会は、毎年、もっとも優れた無機化学博士号の取得論文を選考して、著者にアンナ・スンドストローム賞を贈っている。 

 

補記1:アンドラダが命名し、バイエルに報告した鉱物(1800年)にはペタル石のほかに次のものがある。

スポジューミン(Spodumen: リチア輝石、帯緑白色・真珠光沢、ウーテ島産)
インディコライト(Indicolite/Indigolite: 藍電気石(リチア電気石の亜種)、ウーテ島産)
魚眼石(Ichtyophtalme: イクチオフタルム=魚の瞳、ウーテ島産:今日のアポフィライト)

・氷晶石(Chryolite/ Cryolite: グリーランドで発見された「溶けない氷」、アンドラダはグリーランドに産するが具体的な場所は不明、としている、詳しくは No.684 氷晶石 補記1 参照)

・スキャポライト(Scapolite: 今日では柱石のグループ名称、ノルウェーのアレンダルの鉄山産)
・ヴェルナー石(Wernerite: ヴェルネル石:柱石グループの中間亜種、ドイツの A.G.ヴェルナー(1749-1817)に献名された、アレンダルのノルト鉄山やウルリカ鉄山産など)
・アカンティコン(Acanthicon: ヒワ色のエピドート亜種、ノルウェーのアレンダルの鉄山やスウェーデン各地の鉄山産)
・コッコライト(Coccolite: 透輝石の亜種、ノルウェーのアレンダルやスウェーデン各地産)

・サーラ輝石(Salite:スウェーデン・ヴェスターマンランドのサーラ銀山産、後にファールンやノルウェーでも報告される)
・アフリザイト(Aphrizite:: 黒色電気石、ノルウェーのランゴー島産)
・アロクロイト(Allochroite: 後にアンドラダイト・ガーネットの亜種、ノルウェーのヴィルム鉱山産)

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