867.レマンスキー石 Lemanskiite (チリ産)

 

 

 

Lemanskiite

レマンスキー石(空青色) -チリ、アントファガスタ地方グアナコ、アブンダンシア鉱山産

 

 

世界の鉱物標本業界には大立者と目される人々が大勢あり、愛好家にも凄まじいコレクションの持ち主が数えきれないほどおいでになる。そうしたセレブリティ(コノシュアー)層の存在と彼らの逸品標本群は、近年相次いで刊行されたMR誌の号外特集によってその一端を垣間見ることが出来る。
引き比べてしまうと、たいていの人は自分のコレクションが児戯に等しいことを悟って凹まざるをえないであろうが、なに、数日もすれば新しい標本の獲得に少しの反省もない妄執を抱いていよう。それが愛好家というもので、神に魅せられすっかり絡めとられ、我に還るのはほんの一時に過ぎないのである。

さて、本鉱は1999年に記載された鉱物で、発見譚には標本商テリー・セニックス(1947- )と、コレクターのチェスター・S.レマンスキー(1947- )との名が取り上げられる。
セニックスは押しも押されもしない大標本商の一人で世界各地の標本を扱ったが、南米産に殊更の強みがあった。1970年代(彼が30代の頃)、ペルーのリマに事務所を構えた時期にコネクションを築き、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、アルゼンチン等、各国の美麗標本を捌いた。91年にサンチアゴに移ってからはチリでのフィールド採集と産地の開拓に駆けまわった。93年に記載されたセニックス石は夫妻の戦勲の一つである。アタカマ砂漠の小さな鉱山 Manto de Tres Gracias に産したクリソコラ上の水晶ドルースは 2003年の閉山まで彼らのベストセラー商品となった。No.14 サンプル石(ラベンデュラン)No.95 ゼーリガー石もそうだが、リンドグレン石やペンフィールド石など、90年代に流通したチリ産の希産標本はたいてい氏の手を経て、はるばる日本まで届いたのである。
93年から地元の地質学者や採集家、鉱夫らとチームを組んで数多くの古い鉱山・産地を精力的に渉猟した。その後10年間に彼らが採集した標本にはいくつかの新種が含まれていた。レマンスキー石、クリステル石 christelite (1995)、ゴルダ石 gordaite (1996)、チャンゴス石 changoite (1997)、ハーバートスミス石 herbertsmithite (2003)。もっとも新種であることを発見したのは必ずしも彼らではない。(補記)

アントファガスタ県の沿岸町タルタルから東へ約100km にエル・グァナコ鉱山地域がある。ミナ(鉱山)・アブンダンシアはその中の古い鉱山の一つで、石英脈に含まれる金を採った。浅熱水性の鉱脈で、硫砒銅鉱を主とする硫化金属鉱を伴った。廃坑のズリの風化した石英脈には空青石の二次鉱物が生じており、セニックスはこれをラベンデュランとして市場に出した。

アメリカ東海岸のコレクター、レマンスキーが標本を入手したのは1998年という。彼は学生時分からの鉱物愛好家で、大学予備校を出るとニュージャージー州フランクリンでアルバイトの標本店を開いた。鉱山での作業を経験したくてオグデンスバークのスターリン鉱山に職を求め、ドリル操者として一年間働いた。またフランクリン鉱物博物館の立ち上げに参画してコレクションを提供した。その後、米軍に入り世界各地で勤務した間はほぼこの世界から遠ざかっていたが、退役が迫った 84年に趣味を再開した。ニュージャージー産をはじめ 24,000点に上る標本コレクションと膨大な鉱物関連の文献コレクションは、個人としてはアメリカ屈指と評される。その知識をフランクリンやスターリン鉱山の博物館で活かし、後にはmidat の運営にも携わっている。
レマンスキーは「ラべンデュラン」に疑問を持ち、別の鉱物ではないかと考えた。そもそもラベンデュランはいささか記載の怪しい種で、手元の文献を手繰るとそれぞれ書いてあることが矛盾した。彼は何か明らかにすべきことが隠れていると考えた。

記載の錯綜については「楽しい図鑑2」(1997)ラベンダー石の項にも紹介されているが、少し補足して説明すると、先ず、ドイツのアンナベルクのある鉱山に産した標本を鉱山官フロンベルガーから受け取ったブライトハウプトが、ラベンダーを想わせる暗青色からラベンデュランとした物質があった(1837年)。砒素、コバルト、ニッケルを含むアモルファスな(ガラス質の)鉱物だった。定量分析はされなかったが、プラットナーが吹管反応を記述した。
ついで1853年にフォーグルが、ヤヒモフ(ヨアヒムスタール)、エリアス鉱山の旧坑に見られた青色被膜状の類似風化物をラベンデュランとして報告した(いずれもエルツ山系に属する土地)。
1877年にはゴールドスミスが、チリのフレイリニ、サン・フアンのコバルト鉱山産のトルコ青色の銅砒酸塩をラベンデュランと報告した。当時の文献には、ラベンデュランはアモルファスな銅の砒酸塩でコバルトによってラベンダー青色を呈するとされている。

1924年、これらを検討したフォシャグは、米レーブリングのコレクションにあるアンナベルク産の標本を、外観や吹管反応の一致からブライトハウプトが記載した薄い皮殻状の鉱物に同じいとみて光学特性を明らかにし、基本的に銅やニッケルを含むコバルトの水和砒酸塩とした。ヤヒモフ産のラベンデュランの吹管反応がこれに類似することを指摘した。ヤヒモフ産はコバルト華と密に共存し、その光学特性(屈折率)はコバルト華に近いとみたが、均質性に乏しいことから両種の関連は定かでないと断っている。
一方、ゴールドスミスが示したチリ産の鉱物はヤヒモフ産のラベンデュランと比較すると組成も物性も異なっており、未知種と判断してフレイリニ石 Freirinite と呼んだ(原産地はブランカ鉱山)。こちらも多量のコバルト華との共存が見られ、一次鉱物は輝コバルト鉱だったとみた。フレイリニ石はやや緑がかった青色(トルコ石色)をしていた(※後の調査によるとフォシャグが示したフレイリニ石の光屈折率はレマンスキー石のそれに一致するが、ヤヒモフ産のラベンデュランの数値は異常という)

1953年にギユマンは、ヤヒモフ産のラベンデュランとチリ産のフレイリニ石とを同じ鉱物と判定し、今日に繋がる組成式を示した。
そして 1993年から96年にかけてチェコの研究チームがヤヒモフに産する二次鉱物について包括的な調査を行い、その中でラベンデュランのより詳細なデータを取得した。ラベンデュランは空青色が普通で、硫化銅鉱の表面に二次生成している。複数の標本についてX線回折パターンを得たが互いに一致せず、また40年前にギユマンが示したデータとも異なっている、と。
チェコのグループは、ラベンデュランとされる物質は類似の色・化学組成で結晶構造の異なる鉱物の複数相の混合物であり単一の種ではないと考えるようになっていた。そうした状況で、レマンスキー(とその友人ら)は彼らに新しいチリ産の標本を提供し、研究を促したのだった。

こうして 1999年、ラベンデュランと同じ組成 NaCaCu5(AsO4)4Cl•5H2O で結晶構造の異なる、正方晶系の新種としてレマンスキー石が IMAに申請され、承認された。記載論文は2006年に出た。彼らはラベンデュランとレマンスキー石とを区別し、これまで知られている各産地の「ラベンデュラン」を整理した。チリのブランカ鉱山産、イランのタルメシ産、スペインのポストラマ・ムルシア産の標本は、X線回折パターンで判断すると、すべてレマンスキー石であった。ギリシャのローリオン産の標本はラベンデュランであった。ただし回折試験のため粉末状にしたローリオン産の試料は数日を経るとレマンスキー石のパターンを示すようになった(ヤヒモフ産のラベンデュランは粉末にしても変化しない)。

ヤヒモフ産の「ラベンデュラン」の中には、真正のラベンデュランのほかに、ナトリウムをカリウムで、あるいはカルシウムを鉛で置換した物質が混じり、また同じ組成でも構造・相の異なる複数の物質が認められた。これらの正体は依然はっきりしないという。なかなか手ごわい相手である。ラベンデュランは一般に副成分としてニッケルやコバルトを含む(定義上は必須でない)。
なお、アンナベルク産のタイプ標本はフライベルク鉱山アカデミーに保管され、ブライトハウプトの署名入りラベルがついているそうだが、玉髄に似た灰青色のガラス状非晶質(混合物)で、今日のラベンデュランとはまったく別の物質との指摘がある。現在、原産地/タイプ標本は第二産地のヤヒモフ/産が採用されている。

画像は原産地となったミナ・アブンダンシア産のレマンスキー石。この産地では暗緑色のラメル石 Lammerite: Cu3(AsO4)2 と密雑して産する。ほかの随伴鉱物にオリーブ銅鉱、マンスフィールド石、方安鉱、クランダル石、滑石などがある。ちなみにレマンスキー石を 200℃まで加熱して水分を飛ばすと、分解してオリーブ銅鉱 Cu2(AsO4)(OH) を生じるという。画像に見える暗緑色のシミはラメル石かオリーブ銅鉱なのだろう。
レマンスキー石はラベンデュランと同じ5水和物として記載されたが、2018年に3水和物に改められた(つまり同質異像でない)。独立種でないとみる向きもあり、ラベンデュランとその類似鉱物には依然謎がつきまとう様子だ。

ところで今日流通しているラベンデュラン/レマンスキー石/(サンプル石)の標本を眺める限り、その色が植物のラベンダーの色(普通は淡〜濃赤紫青色)だとは私には思われない。図鑑2に載っている標本もラべンダー色に見えない(実はサンプル石だろうし)。
なので(ブライトハウプトとゴールドスミスとが)「それぞれの色彩感覚から名づけた鉱物が同一だったことは喜ばしい。鉱物研究者は色彩感覚もたしかでないといけない。」と博士がまとめているのは腑に落ちない。文献を読むとブライトハウプトの物質はたしかにラベンダー色だが、ゴールドスミスのそれはトルコ石色である。ゴールドスミスは色目でなく成分の一致(類似)を重視したのではないか。

 

補記:余談だが、クリステル石はコレクター標本商ゲオルグ・ゲプハルトの妻クリステルに因む。彼女はある鉱物ショーでセニックスの出展品にその標本を見出し、夫のゲオルグが記載して発見者の名を与えた。

鉱物たちの庭 ホームへ