888.シプリン Vesuvianite var. Cyprine (ノルウェー産ほか)

 

 

Cyprine

Cyprine

シプリン(濃青色)、桃れん石(紅色) 
−ノルウェー、テレマーク、ヒオルダール、サウランド産

シプリン(空色) -USA、NJ、フランクリン産

 

近代(18-19C)ヨーロッパの博物学は自然界の事物を系統的に記載するため、生物では綱・目・科・属・種といった階級分類を、また種・変種・亜種・個体差の基準を組み上げていったが、当然ながら鉱物(界)は生命体と同列に論を進められなかった。しかし化学体系の確立と分析法の発達とによって、成分や物理的・化学的特性の違いによる区別が行われるようになった。スウェーデンの化学者ベルセリウスはその立役者の一人である。彼の下には世界各地の標本が組成分析を求めて送られてきた。cf.No.834

1820年にノルウェーのテレマークから届いた青い石を、彼はシプリン Cyprine と名付けた(1821年報告)。ラテン語の銅 Cyprium に因む。成分はベスブ石とほぼ等しかったが銅を含んでおり、それが特徴的な色彩を与えていると考えられた。
当時は個々の科学者(や学派)が分類体系の構築を競い、他と区別すべき特徴があればそれぞれの流儀で名称をふっていくのが普通だったが(博物学全般でそうだった)、そのため互いの整合性のチェックがあまりにも煩瑣であった。すでに報告されている種に別の名称を与えて記載する著述家は珍しくなかったし、時には新種として報告する類の混乱もないではなかった(中国の本草書が、後世になるほど呼称を増して錯綜するのと同じ)。
誰が決定権を持つかは難しい問題にせよ、少なくとも研究者間では名称を絞るのが便宜に違いなかった。実際、19世紀後半には鉱物学でも専門化・職業化が進んだこともあって、ある程度のコンセンサスが形成されていた。

Dana 6th (1892) No.887に挙げたベスブ石の呼称のいくつかを標準種の下に整理し、シプリンだけを亜種 (variety) としている。とはいえ米・欧間の狭間は埋めがたく、欧州ではむしろアイドクレースの名が主で、ベスブ石は従であった。

1920年代、ニュージャージー州フランクリンに青色のベスブ石が発見されて、シプリンの名で出回った。テレマーク産とフランクリン産とで組成を比べてみると、銅成分(CuO)がそれぞれ、0.73%、1.21% 含まれていた。従って、青色で銅を含むベスブ石の亜種をシプリンと定義するなら、フランクリン産もまたシプリンと呼んでよいわけだった。(※Dana 8th (1997)はテレマーク産を 1.1% と)

ところでNo.887ではベスブ石の組成式を、直近の IMAリストに従って (Ca,Na)19(Al,Mg,Fe)13(SiO4)10(Si2O7)4(OH,F,O)10 と紹介したが、従来は第二項をアルミとそれ以外の元素とに分けるのが標準的な表記で、例えば加藤「鉱物各説」(2018)は  (Ca,Na)19(Mg,Fe2+)3Al10[(SiO4)10(Si2O7)4(OH,F)10]と書いている。これは前者第二項(紫色表記)の13ケのポジションのうち、マグネシウムや鉄は特定の3ケのポジションに入ることを示すものである。(※mindat の式はさらに細分し、かつ空位も表記。)
シプリンに含まれる銅は、この3ケのうちでもさらに特定の1カ所に入ること、標本によってはその過半を置換していることが 1986年に指摘されている。理想組成の原子量を使ってざっと計算してみると、銅成分(CuO)が 1.38 wt% あれば過半ということになる。
こうした元素の格子空間配置の識別は、結晶構造の分析法が発達した 20世紀後半になって初めて可能になった。

ベスブ石にマンガンが含まれる場合も、同様に特定の1ケ所に入るとみられる。その過半を置換したものが南アフリカのンチュワニンU鉱山で発見されて、2000年にマンガンベスブ石の名で記載された。組成式 Ca19Mn3+Al10Mg2(SiO4)10(Si2O7)4O(OH)9。いかにもマンガンを含むらしい赤褐色の石で、色感はマンガン重石海王石に似る。

その後、少し離れたウェッセルズ鉱山からもマンガンベスブ石が出た。ところが調べてみると、マンガンでなく銅が過半を占める標本があった。これが 2015年に組成式 Ca19Cu2+(Al,Mg)12Si18O69(OH)9 の新種、シプリン Cyprine として記載されたから話が面倒になる。
この新種シプリンは、従来の亜種シプリンよりも銅成分を多く含むのに、見かけはマンガンベスブ石と同じで、青色でなく赤褐色をしているのだった。そしてシプリンの名を種名として採用したために(「再定義した」と言っている)、青色の含銅ベスブ石をシプリンと呼ぶのは定義に反すると主張するのである。それなら、あなた方は従来の亜種シプリンを何と呼べばいいと考えているのであるか?
新しい別の種名を作ればよかったのにと思うが(例えば Cuprovesuvianite)、IMA としては亜種名などなくしてしまえほととぎす、と思っているのかもしれない。

というわけで、このページのシプリンは、学界のシプリンでなく、鉱物愛好家言うところの伝統的シプリンである。テレマーク産もフランクリン産も、なかには銅が優越する標本があるそうだが、多くはそうでないという(そして素人コレクターにはふつう自前で分析する術がない)。
テレマーク産のシプリンは古典標本の一つで、独特の青みが美しい。桃れん石(灰れん石の亜種でマンガンや鉄を含むため紅色を呈すると考えられている)を伴う。ちなみに「桃」を含めた鉱物和名は珍しいが、これは英名のチューライト Thulite の音にかけて、ピンク色を表現する色名に桃を用いたものと言われている。
チューライトの名は A.G.エーケベリの手書きの標本ラベルに現われたものが古く(1820年)、北欧(の古い地域)を指す古名チューレ Thule に因んだと言われる。その標本はノルウェー産だった。桃れん石はマンガンを含んでピンク色になった灰れん石の亜種である。

 

補記:シプリンと類似名の鉱物に シプライト Cyprite、キプロス石 Cyprusite がある。前者は今日、輝銅鉱と呼ばれるもので、銅分に因んで 1847年にグロッカーが、後者は産地のキプロス島に因んで 1881年にラインスが命名した。キプロスは古代に銅産で知られた島で、Cyprium, Cupro-, Copper など銅を表す語の語源となった。

鉱物たちの庭 ホームへ