910.ひすい輝石 Jadeite (スイス産) |
ヨーロッパ先史時代の遺構は各地に認められているが、ジュラ山脈東麓の湖畔やチューリヒ湖畔の「スイス杭上住居」は発見史的にもっとも有名なものの一つといえる。
最初の遺構は 1854年にチューリヒ湖畔で発見された。前年冬の大旱魃によって湖の水位が異常に下がり、それまで冷たい水面下にあって朽ち果てずに保存されていた大昔の木造集落が姿を現したのだ。ちょうど「ルパン三世・カリオストロの城」で、カリオストロ公国の湖の水門が解放されて、忘れられた古代ローマの石造遺跡が出現したほどのインパクトがあった。
従前、考古学的な遺物と言えば墳墓やこれに伴う風化した埋葬品であったが、この発見(良好な状態で保存された木・皮・骨・繊維製品など)によって、太古の人々がどんな住居に暮らし、どんな生活を送っていたかがよりリアルに想像されることとなった。
ヌーシャテル、レマン、ボーデン湖に報告された多数の遺構は、異なる地域の人々の間に文化的交流のあったことを物語った。それは永世中立国として連邦国家の確立を急いでいた当時のスイスにとって格好の求心的イメージとなり、1867年のパリ万博では「スイス杭上住居」の絵画が国のシンボルとして掲げられた。
当初は湖上集落と考えられていたが、やがて、昔の湖は現在より水位が低く狭かったこと、住居は湖周辺の乾いた土地や半湿地に高床式に造られていたことが示された(湖上住居もあるらしいが)。またスイスに限らず、イタリア、ドイツ、フランス等の周辺地域にも点在することが分かった。
これらのうち 111件が「アルプス山脈周辺の先史時代の湖畔住居群」として
2011年に世界遺産に登録されている。約半数がスイスにある。BC5,000~500年頃の生活遺構とみられ、東欧のドナウ文化との類似や、南仏の先史文化の影響が指摘されている。
各地の遺構では大量の石器も見出されている。石材は一般にフリント(珪質岩)や黒曜石、大理石の他、榴輝岩(エクロジャイト)・蛇紋岩・閃石類(ネフライト、角閃石)・輝石類(オンファス輝石、ひすい輝石、透輝石等)またはこれらの混合塊が用いられたが、かつてはジェード
Jade
の語でまとめられたようだ。ダムーアがジェードにネフライトとジェーダイト(ひすい輝石)の区分を示すと、スイス杭上住居の石器にもジェーダイトのあることが指摘された。
ジェード製石器の多くは緑色がかっていたので、グリーン・ストーン、グリーン・ジェードなどと呼ばれ、またあるものは緑が深くほとんど黒色だったのでクロロメラナイト(濃緑玉/
緑黒石の意) Chloromelanite と呼ばれた。
ブラウンズ/スペンサーの「鉱物界」(1912)は、クロロメラナイトは酸化鉄を含むジェーダイトでヨーロッパでは加工器物のみが発見されていると述べ、手斧の形をした黒色の標本(ヌーシャテル産)を図版に載せている。
またDana 6th
にスイス湖上住居産の加工器物ジェーダイトの分析例があり、ナトリウム(NaO)
12.86%, カルシウム(CaO)
3.12%とある。またヌーシャテル湖(neuenburg)産として NaO
14.09%, CaO
2.51%の例がある。クロロメラナイト石器ではスイス湖上住居産に
NaO 11.43%, CaO 4.28%, FeO
10.59%の例がある。これらはジェーダイトと言ってよさそうだ。
一方、未加工の生石(原石)では「ジェーダイド及び成分がジェーダイトに近いもの」として、ヌーシャテル湖産が
2例載っているが、NaO 7.44%, CaO 9.05%、また NaO 6.30%, CaO 11.00%
となっていて、現在の定義からするとジェーダイトかどうか怪しいところである。
今日、古代ヨーロッパのジェード石器はネフライトに分類されることが多いようで、発掘品の8割以上がネフライト(閃石類)で、ジェーダイト(輝石類)は1割強ほどとした研究もある。
ヌーシャテル湖畔では黒色ジェードの生石(未加工石)が採集されるが、これもネフライト質が多いようだ。スイス杭上住居のジェード石器が地元付近の石材を使ったのか、そうでないかは未だ確答が出ていないが、仮にヌーシャテルに黒色ジェーダイト(クロロメラナイト)が出ないとすると、この種の石材の産地は完全に謎のまま残っていることになる。
画像の標本は古いもので、ラベルに Jadeite, Lake Neuenburg産とある。見た感じネフライトのような気がしないでもないが(色が濃緑色なら私は躊躇なくネフライトと断じてしまうと思う)、種別鑑定に強い自負を表明する米国の希産鉱物商さんから入手したものなので、ここはひとつ、ひすい輝石ということで紹介しておく。色目からするとクロロメラナイトである。(今日、オンファス輝石の黒色のものもクロロメラナイトと呼ばれる。Dana 8th に産地としてフランス北西部モルビアン県のグロワ島が記されている。)
cf. スイス産ネフライト(ベルンNHM蔵)
補記1:ヌーシャテル湖北岸のラ・テーヌ地区では大量の遺物が発掘され、ラ・テーヌ文化、ラ・テーヌ期という学術用語も作られた。発掘品を展示する考古学博物館、兼研究施設の「ラテニウム」がある。
補記2:ちなみに1991年にイタリア北部のアルプス山中、エッツィ渓谷の氷河から発見された男性のミイラは「アイスマン」と呼ばれている。5,000年前の人物という。身に佩びていた牛皮の袋にはフリント、ツリガネタケの火口、黄鉄鉱などが発火道具として入っていた。またフリント製の石器、大理石の小石板、銅斧も携えていた。ジェード器は持ってなかったようだ。