911.オンファス輝石 Omphacite (イタリア産)

 

 

 

omphacite -polished surface

(研磨面)

Chromain Omphacite

(含クロム)オンファス輝石 
- イタリア、ピエモンテ州、コッティアン・アルプス、ペリッチェ峡谷産

 

 

現時点での観測であるが、人類は概ね1万〜5千年ほど昔に磨製石器を用いる新石器時代に入った。そしてその早い時期から磨いて光と艶の出る石材を選別して用いたようである。またそうした石器に対して実用的な価値だけでなく、付加的な(精神的な)価値をも感じて貴重品扱いする傾向があったようだ。考古学の分野では威信財とか祭祀物とか呪物といった言葉で表現されるが、別の言葉を使えば芸術品、アートである。
そもそも手間ひまかけて対称的に整形し表面を滑らかに仕上げるという過剰行為に出た時点で、また見栄えのよい石材をより好みした時点で、人類は必要を充たすだけで満足しえない心理的傾向をはっきりと示し始めたといえる。言い換えれば衣食足りて礼節を知り始めたのである。

磨いて美しい色艶を示す石材は多々あるが、いわゆるジェード(玉類)が利用できた地域ではどこでも、これらを使った石器が好まれた形跡がある。
ジェードへの愛好が嵩じて世界に類を見ない洗練された玉器文化を発展させたのは中国の古代文化圏であったが、大航海時代を経たヨーロッパ人は、中南米の文化圏(アステカ、マヤ、オルメカ)や南太平洋の文化圏(ニュージーランド、ニューカレドニア)にジェード志向を見出してきた。そしてその後、ギリシャ・ローマ時代(青銅・鉄器文明期)以前の古代には彼らの祖先や先住民もまた、ジェード石器への執着を持っていたことが気づかれるようになった。
フランスのダムーアが、ジェードに閃石類(ネフライト)と輝石類(ジェーダイト)の2種があることを指摘したのは 19世紀中頃のことだが、ヨーロッパの古い磨製石器もまたネフライトやジェーダイト(あるいはエクロジャイト/オンファス輝石や蛇紋岩)で作られていたのだ。

トルコのアナトリア地方では BC7千年紀中頃にジェーダイト石器が用いられており、石材はエーゲ海のシロス島産とみられる。(cf. No.909) この島のジェーダイトは BC5千年紀頃までバルカン半島南部やアナトリア地方に流通した。
BC5〜3千年紀(BC5,500-3,700)にかけてはイタリア北西部産のジェード(ジェーダイト〜オンファス輝石)を用いた石器が作られて、フランス南部・イタリア・スイス、またローヌ・ライン川沿いにオランダ・ドイツ・デンマークあたりまで広く流通したとみられる。
19世紀末、ダムーアは「モンテ・ヴィーゾ産の緑色ジャスパー(碧玉)」と標識された標本を分析してジェーダイトであることを示し、その周辺に産地があるに違いないと指摘したが、確認されるまでには 1世紀以上を要した。
モンテ・ヴィーゾはフランスと国境を接するイタリア・ピエモンテ地方の山で標高3,843m。海抜2,000-2,400mのその斜面に新石器時代の大規模な採石・加工跡が発見されたのは 2003年のことだった(1990年代からこの地域の複合岩体の研究が進められていた)。古代人はここから石材を得て斧やタガネ、護符の類に加工していたらしい。概ね、淡緑色〜暗緑色系で「グリーン・ストーン」と呼ばれる。イタリアではまたリグリア地方のベイグア山周辺でもジェーダイトを産することが知られている。

イタリア産のジェードはしばしばジェーダイトとオンファス輝石の混合物であるため、前者を75%以上含むものをジェーダイド・ジェード、後者を75%以上含むものをオンファス輝石・ジェードとし、その中間で前者が優越するものはジェーダイト・オンファス輝石・ジェード、後者が優越するものはオンファス輝石・ジェーダイト・ジェードと呼ぶ、という提案があるが、いささか面倒である。だいたい見た目で分からない。

ところでオンファス輝石は、もとはドイツ南部バヴァリア地方のフランコニアの変成岩帯に見られる草緑色の岩石鉱物として定義され、1815年にA.G.ウェルナーがその色を未だ熟さないブドウに喩えて Omphazit と命名したものである。後に Omphacit(e)と改綴されて定着した。パイロクセン(輝石族)の一種で高圧条件下で生成、エクロジャイト(榴輝岩)やキンバレー岩を構成する鉱物として知られる。
今日、オンファス輝石は透輝石 CaMgSi2O6ひすい輝石 NaAlSi2O6を端成分とする中間的な成分系の鉱物とされている。組成 (Ca,Na)(Mg,Fe,Al)Si2O6。Na>Ca, Fe(Al)>Mgのものも同名となる。灰鉄輝石やエジリンコスモクロア NaCr3+Si2O6とも固溶体をなす。クロムを含んで鮮やかな翠色を呈することがある。
アルプス地方では同様の草緑色のアンフィボール(閃石族)の岩石(アルピン・ガブロ)がスマラグド石 Smaragdite と呼ばれているが(エメラルド色の石の意/1796年 H.B.ド・ソシュール)、時に混同されてきたようである。なお、かつてオンファス輝石はジェード(玉類)と考えられていなかった。

日本では 1990年代頃から、糸魚川産のジェーダイトのうち、美しい翠色のいわゆる「宝石質ヒスイ」の部分がジェーダイトでなくオンファス輝石であると指摘されるようになったが、これは成分的な相違(※アルミ成分が鉄に置換するに伴って、ナトリウム成分がカルシウムに置換される)に基づく境界定義上の(鉱物学上の)知見である。高品質の国産ヒスイは産量がごく限られ、宝石として出回るケースがほとんどないため市場に影響はない(過去に香港や米国に輸出されたこともあったそうだが)。また日本の鉱物学会ではオンファス輝石であっても「ヒスイ」と呼ぶことを慣例としている。

一方ヨーロッパでは 2012年頃、翠色の宝石ジェード(一般にミャンマー産ジェーダイト)の中に標準的な鑑別試験ではジェーダイトと判定されるが(クロムの吸収スベクトルもある)、ラマン分析を行うとオンファス輝石のスペクトルを示す商品が少数ながら存在することが指摘された。仮にこれをオンファス輝石と鑑定すると商品価値を落とす懸念があり、GIA では苦肉の策でインペリアル・ジェードに等しいこの種の翠色宝石を「オンファス輝石ジェード」と標識することにした。ジェードには違いない、というのである。
こうした商業上の名称問題は市場(宝石流通業者)の合意形成によって次第に既成事実が作られていくのが慣いだが、今のところ国・地域によって対応は一致しないようである。

とはいえ宝石ヒスイのメイン市場は中華圏を主体とするアジアにある。香港の宝石協会はジェーダイト、オンファス輝石、コスモクロア及びこれらの混在物を主成分とする玉石(輝石類)を「翡翠」(フェイツイ)として扱うことと決めた(ひすいの話6 文末参照)。 いずれは彼らの見解が世界標準になると思われる。

画像はピエモンテ地方産のオンファス輝石。クロム成分を含むため鮮やかな草緑色を呈するものとされている。2001年に地元の貴石業者がモンテ・ヴィーゾの複合岩体地域で漂砂(礫)鉱床を発見し、2年後にインペリアル・ジェードを想わせる美しい緑色のものを得て、以来、ピエモンテ・ジェードの名で知られるようになった。
市場へのデビューは 2010年夏のサン・マリオ・ミン・ショーで、同年秋のミュンヘン・ショーにも出品された。ピエモンテ・ジェードの名称は従前オンファス輝石がジェードとみなされていなかったために議論を呼んだが、上述した諸般の事情も絡んで現在はほぼ定着している。

ジェードという漠然とした名称は、ダムーアが鉱物学的定義を与えて以来1世紀半を経て、21世紀に入って新しい定義を受容する契機を迎えたわけである。
なお、ピエモンテ・ジェードはスマラグド石の名でも流通しており、専ら閃石類を呼んだスマラグド石の定義も変化の途にあるようだ。

cf. 鉱物記 ひすいの話1軟玉の話3(ニュージンランド産)  ひま話 翡翠展  

ニューカレドニアのネフライト器(大英博物館蔵)