971.水晶(ガーデン/ 結晶面) Garden Quartz and faces (ブラジル産) |
鉱物学からみた水晶の理想形が両錐六角柱状であって、結晶面同士のなす角度は180度を超えない、すなわち凸部だけから構成されるはずのものであるとしても、私たち愛好家が現実にしばしば出会うのは、理想形が複合したかのような集合形であったり、均衡から外れた偏奇した形状であったり、凹部を持つ形状であったりする。
結晶面の基本は6つの錐面と6つの柱面であるとして、そのほかにさまざまな微小面や条線、成長模様、成長丘、食像、結晶同士の分離面(破面)が現れて、基本形だけでは理解のつかない様相を示すことが珍しくない。結晶の軸が互いに少しずれつつ統合されたかのようなマクロモザイクが観察できることもある。
そこで標本を手にとってつらつら眺め、この形状は何なのか、どういう性格の面なのか、どういう成長の(あるいは浸食の)仕方をしたのか、などと鉱物学の知見に照らしてあれこれ解釈を考えてみるのも、なかなかオツな時間の過ごし方であるな、と改めて思う今日この頃であります。
もっともおおよその時間は、ただただ眺めて、ええなー、キレーやなーと見惚れて、ぼーーーーと過ぎてしまうのが定石。つまるところ愛好家にとっての鉱物学は、石をもっと楽しむための調味料として視野に入ってくる。
さて、この標本はガーデン・クオーツと呼ばれるタイプの水晶で、そのココロは日本人の(おそらく外国人も)好きな「見立て」である。
西洋の自然哲学の伝統は、太陽や星々の世界と地上界との照応性、換言すれば霊魂と肉体との関係性を直感し、観想してきた。西洋が生んだ鉱物学や結晶学は、数学的な抽象思考による実験結果の解釈を以て、鉱物の肉眼的なあり方を、不可視の原子構造・分子構造に結びつける。
そして天と地との間にあって地を嗜好しつつ精神の飛翔を試みる私たち鉱物愛好家は、限りあるイマジネーションを以て、結晶という箱庭的ミクロコスモスの中にマクロコスモスを想起して親しむのである。
とはいえ、ここでは鉱物学的味付けの観察のみ、各画像の下に記して善しとしたい。
ガーデン・クオーツは、成長のある時期に大量の別種の鉱物が結晶面上に沈積ないし捕獲されることに特徴がある。あたかも完全に覆われてしまったかに見えるが、おそらくそうではなく、(ある時間帯をとれば)つねにどこかに水晶の露出した箇所が残っており、そこから沈積した別種鉱物を乗り越えて再び表面に水晶の層−整った結晶面が出現するのである。それは網戸を通して風が吹き抜けるようなもの、布地を通して水がしみ出してくるようなもの、と喩えていいかと思う。水晶は被覆された下地と同じ結晶軸/方位を維持して成長を続ける。
しかし完全に被覆された(いわば抜け穴のない)領域が広ければ、その上を新たに水晶が覆い尽くすまでには他の箇所よりも長い時間が必要となるだろう。
補記:錐面の標識を (r, z)としたのは、いずれの標本も外観的にドフィーネ双晶の特徴が認められるからで(ある錐面の両肩に s面が現れている)、 r面か z面かどちらの性質が優越しているか判断し難いからである(おそらく混合面)。