313.プッハー石/泡蒼鉛/バイエル石 Pucherite/Bismutite/Beyerite (ドイツ産ほか)

 

 

 

プッハー石(黄土色結晶)、ビスマスオーカー(泡蒼鉛/バイエル石:黄色皮殻)
黒色はアスボレン (cf.No.797)またはヘテロゲン鉱

プッハー石 
-ドイツ、ザクセン州シュネーベルク、プッハー坑産

バイエル石(レモン色粉末状) −ナミビア産

 

プッパー石 Pucherite はビスマス(蒼鉛)のバナジウム酸塩 BiVO4 で、ドイツ、シュネーベルクにあるヴォルフガング(・マッセン)鉱区が原産地。プッハー・シャハトという(右)縦坑に出たため、その名がついた。ビスマス、銀、ウラン、銅が混在する鉱脈の酸化帯に、いわゆるビスマス・オーカー(ビスマス炭酸塩を主とする混合物で淡黄色土状)を伴って産した。
1871年に発見されたが、これは廃坑となっていたプッハー坑がビスマス熱によって再開発され、埋戻しの土石がすっかり浚れてから 3年後のことだったという。
ザクセン地方でバナジウム酸塩鉱物が確認されたのは初めてのことで、地元ではちょっとした話題になった。わりと大量に出たこともあり(プッハー石のついていない石を見つける方が難しいくらいだったという)、フライベルク鉱山学校標本部の扱い商品としてよく出回った。
二次大戦前頃、ドイツでは数か所でプッハー石が確認され、結晶形の研究が進められた。また世界各地にも産出が報告されている。しかし最良の標本産地は依然プッハー坑と言われる。

プッハー石は斜方晶系の鉱物だが、温度500℃以上になると、単斜晶系に遷移する。かつて、そのような物質が実験室で合成され、斜蒼鉛バナジン鉱(Clinobisvanite)と名づけられたが、後に自然界にも産することが分かった。つまり天然鉱物として発見された時には、もう名前が決まっていたのである。また正方晶系の物質も合成され、同じく後になって自然界に見出された。ドレイエル石(Dreyerite)という(※ 桃井柘榴石のように、合成物(大和柘榴石)とは別の名が後から天然物に与えられる例は珍しい)
この3種は同質異像の関係にあり、結晶構造に起因してその色が微妙に変化する。プッハー石は赤味を帯びた焦茶色〜茶黄色、斜蒼鉛バナジン鉱は黄色〜黄色がかった赤色、ドレイエル石は橙黄色〜茶黄色。これによって、粉末状の標本でも成分が分かれば種名(と結晶構造)が判断出来るという。便利じゃないか。

上2つの画像はフライベルク鉱山学校の古いラベル(1920-1950年期)がついた原産地標本で、おそらく大戦前の時期に採集されたものと考えられる。「ビスマス・オーカー Wismutocker を伴う」とある。レモン色の皮殻状箇所だろうか(プッハー石はやや暗い黄土色)。このオーカー(黄土)が種として何にあたるかは、ちょっと頭を悩ませる。
一般にプッハー石は泡蒼鉛やバイエル石と共産すると言われるので、まずはこれら(の混合物)だろう。

泡蒼鉛 Bismutiteは酸化ビスマスの炭酸塩で、組成(BiO2)CO3。1841年にフライベルクのブライトハウプトが報告した(※後述のバイエル石参照)。記載地はチューリンゲン州フォクトラントの鉱山。シュネーベルクでも以前から知られていたが、鉱夫たちは気にもとめていなかった。しかし19世紀後半にビスマスの市場価格が上昇すると、ヴォルフガング鉱区のズリ場では 1868年から泡蒼鉛のついた廃鉱が大量に回収されるようになり、高い利潤を得たという。プッハー坑では 1871年(プッハー石が報告された年)に泡蒼鉛の詰まった厚い脈層が発見された。層幅は 30cm もあり、採集された鉱石は 13.5トン(時価 22千ターラー)に及んだ。泡蒼鉛は今日もシュネーベルクのズリ石に普通に見られるという。
被膜状で産するものは空隙を多く含み、鏡下で見ると表面に泡の跡が見えることからその名がある。本鉱が沈殿生成する時に大気中の水分や炭酸ガスが取り込まれるが、後に水分が飛ぶと、次いで(化合しなかった)炭酸ガスも放出される、この時に生じた泡の痕跡と説明されている。

単純な酸化物である蒼鉛赭(Bismite: Bi2O3: 淡黄色粉末状)もプッハー坑から報告されている。しかし今日では、「以前考えられていたほど多量にはない」とされる。
21C初に、「ビスマスオーカー」「泡蒼鉛」「蒼鉛赭」「球顆状蒼鉛」などと標識されたシュネーベルク産の標本 100点が REM-EDXなど最新の分析機器で再調査された。「泡蒼鉛」「蒼鉛赭」の標本はたいていバイエル石と判定された。「球顆状ビスマス」はいずれも「泡蒼鉛」だった。塊状の「ビスマスオーカー」は概ね泡蒼鉛を主成分とし、バイエル石、プレイジンガー石(水酸砒酸塩)、稀にアテレスト石(水酸砒酸塩)やユーリート石(二次珪酸塩)を含む混合物という結果になった(標本中に蒼鉛赭は確認されなかった)。

バイエル石は 1943年にフロンデルが記載した種で、組成(Ca,Pb)Bi2(CO3)2O2、原産地はシュネーベルク及びカリフォルニアのスチュワート鉱山である。シュネーベルクの鉱山事務官を務め、後に技師となったアドルフ・バイエル(1743-1805)に献名された。バイエルはシュネーベルクの鉱物誌に熱い情熱を注いだ人物で、非常によく整理された同地産の標本コレクションを所有していた。元はフライベルク鉱山学校の A.G.ウェルナーが収集したものだったという。
シュネーベルクでビスマスの炭酸塩を初めて確認したのはバイエルで、1805年のことだった。後にブライトハウプトが泡蒼鉛とした物質にあたる。ただ彼らが調べた試料は実際にはさまざまな種の混合物だったとみられ、おそらくバイエル石も入っていたに違いない。

最期に希望的観測を述べると、 1943年にフロンデルはプッハー坑産の赤茶色のプッハー石に伴うレモン色の物質を記述している。これは 1983年に組成 Bi3O(OH)(VO4)2 の水酸バナジウム酸塩シューマッハ石 Schumacherite として記載されたが、その後、純粋なシューマッハ石は極めて稀で、たいていプチジャン石やプレイジンガー石と混合していると見られるようになった。もしかしたらだけど、入っているかもしれない。
ということで、まあ、ビスマスオーカーはビスマスオーカーである。

cf. フライベルク鉱山学校 (TU1〜5)

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