620.天河石 Amazonite (ブラジル産ほか) |
天河石(てんがせき)という、ロマンチックな空想を誘う名前の石がある。微斜長石
Microcline
に属する鉱物で、その色はヒスイやトルコ石に似た美しい緑色〜青緑色である。
「天の川」というと晴れた夜空の黒い全天を袈裟懸けに切って散らばった、那由多の星々の白いほのかな光の泡沫が連想されるが、「天河」となるともっと空想的な、地上からは心の目でしか見えない憧れの霊の世界、例えば天使の憩う天上界を流れる、美しい水色をたたえた滔々たる大河を、あるいは坂田靖子のアジア変幻記に出てきそうな、雲の上にあるアジア風ののどかな農村の畑の、切った瓜からあふれでて大河となる豊穣の水、氾濫して地上になだれ落ち、滝と降りしきるモンスーンをもたらす雨の源を連想させるふうがある。(などと思うのは私だけかしらん?)
かくステキな和名をつけたのは、明治時代の御用学者、和田維四郎博士だった。ヨハン・ロイニースの博物学書を翻訳して「金石学」(明治11年)を著し、当時は金石学と呼ばれた鉱物学をドイツから日本に移植された功労者である。博士は訳書の中で、この長石の緑色のものを Amazonstein, Amazon-stone と呼ぶとの条に天河石の名を宛てた。アマゾンとはアマゾン川のことと解釈し、天河(てんが)としゃれたわけである。
こうタネを明かしてしまうと、天河は七色の虹かかる清き天上の河どころか、豊葦原の千五百(ちいお)の秋の瑞穂の国ニッポンからはるか遠く、ジャングルに覆われた未開の地を、大蛇のようにうねりながら多量の泥を含んで濁りつつゆるくねっとりと流れる茶色の河、ピラニアやワニやが獲物を待って潜んでいそうな魍魎の河を指していたのだと気づいてしまう。とはいえ、博士がそうしたイメージまで含んで天河とつけたのかというとそうではなく、おそらく「はい、アマゾン(川)だから天河ね、おっけいっ」と、機械的に置き換えただけであろう。
ところで、この緑色の石はそもそもなぜアマゾン・ストーン(アマゾナイト)と呼ばれたのだろうか。今ではもう確かなところは分からなくなっている。
フランシスコ・ピサロと行を共にしてインカ帝国の征服をみたひとりに、フランシスコ・デ・オレリャーノ(1500-1549)という人物があった。彼は1541年、ゴンサロ・ピサロの士官としてエル・ドラード(黄金郷)を探す遠征に加わった。その年の12月に本隊と離れ、アマゾン川をはるかに下っていった。食料を探すために少人数で偵察に出たのだが、川の流速が早くて戻るに戻れなかったという。そして1542年の8月に河口に達し海に出た。無数の支流を次々と呑み込んで数千キロを流れゆく大河の流域がアマゾンと名づけられたのはこの時であった。彼らは旅の途中で勇猛な女戦士に遭遇し攻撃を受けた。そのため彼女らの住む土地を古代ギリシャの伝説に登場する女人国アマゾンになぞらえたと言われている。ただその後、アマゾン流域に女人国は確認されておらず、彼らが遭遇したのは実際には女性でなく、きゃ〜っと甲高い奇声を上げる長髪の男性戦士であったらしい。
アマゾンの由来には別説もあり、先住民の言葉にアマゾンに似た発音の語があって、意味は知れないが、これに由来するともいわれている。
アマゾン・ストーンの語源は、ひとつにこの石が、あるいはこの石に似た緑色の石が、南米のアマゾンに産したからだという。またひとつに古代地中海世界にあった国アマゾンに産し、女戦士らがこの石を身に着けていたからだともいう。
真偽は分からないのでネタとして聞いていただければ結構だが、まず南米アマゾン説の方は、この河のほとりに住む先住民の間で昔からある種の緑色の石が知られており、その石に似た(あるいはそのものである)長石がアマゾン・ストーンと呼ばれるようになったのだという。どうとでも解釈できそうな話だが、さらに「アマゾン流域の沖積層にアマゾナイトは見つからない」と、これもどうやって確認したのか分からない注釈がくっついている。
一般に長石の類はペグマタイトなど火山岩帯には珍しくないが、風化に強いわけでないので(分解してカオリンなどの粘土になる)、下流の沖積層に見られないのはありそうな話である。しかしアマゾンの流域はブラジル、ペルー、ボリビア、コロンビア、エクアドルにまたがっており、アンデスの山岳地帯をも含む。その広大さを考えると、ほんとうに出ないのか?と疑ってみないわけにいかない。
一説にはアマゾンで採れるネフライトがアマゾン・ストーン、アマゾン・ジェードと呼ばれ、これに似た長石もまた同じ名で(誤って)呼ばれるようになったという。アマゾンにネフライトが出るのかどうか、私は知らないけども。(⇒補記1
& 19世紀の中頃までネフライトとジェダイトは区別されていなかったので、この場合のネフライトは実際にはジェダイト/ひすい輝石であった可能性もある
-cf.チャルチウイテの話。 しかしアマゾンにひすい輝石が出るのかどうか、やっぱり私は知らない。)
しかし単に緑色の石ということであれば、ネフライトに限らず、コロンビア産のエメラルドもありそうだし、地元で採れなくても交易によってもたらされたと考えれば、青緑色トルコ石、ひすい輝石、緑色トルマリンなどあらゆる可能性が広がってゆく。上の画像はブラジル産のアマゾナイトで、この産地はアマゾンから随分離れているそうだが、交易を介して入手出来なかったかどうか、果たして確かめえた人があるのだろうか。cf.
チャルチウイテの話 補記2:スプリーン・ストーン。
文献上では、R.B.ロメ・ド・リールという人物が、南アメリカ大陸で収集された鉱物標本の目録中に「アマゾンの石」という記述をしたことが知られている(1783年)。この人物が鉱物名のつもりで用いたのかどうか知らないが、アマゾン・ストーンが確認できる最初の文献であるらしい。(その通りなら、古代ギリシャ時代のアマゾン説には甚だ不利だろう)
一方、ほぼ同じ頃、1784年とされているが、ロシアの南ウラル(イルメン山脈のミアスク)で良質のアマゾナイトが発見された。18世紀の終わりには、この石を用いた素晴らしく装飾的な細工品が作られた。エカテリンブルクの貴石工房で製作されたその種の花瓶のうち4つが現在エルミタージュに収蔵されているらしい。アマゾナイトは加工の容易な石材なので、薄い透明な板に切り出して磨いたものが、ステンドグラスや装飾ランプのあかり窓に用いられることがあったという。この石がロシアでなんと呼ばれていたのか知りたいところだ。
アマゾナイトという名は1847年にブライトハウプトが提唱したもので、その由縁はもちろんアマゾン・ストーンである。当時、アマゾナイトを産出したのはロシアだけだったらしいが、今日ではアメリカ、コロラド州のパイクス・ピークやクリスタル・ピークが有名産地となっている。ジェードに似ているので、コロラド・ジェードとかアマゾン・ジェードの別名がある。鉱物標本ではブラジル産やエチオピア産をよく見かける。ミャンマー産は淡い緑色で透明度が高くて美しい。ジンバブエやオーストラリアにもよい産地がある。
アマゾナイトは必ずしも珍しい石でなく、実際、古代から用いられた宝石であった。エチオピアやエジプトでは紀元前数千年の昔から採集されていたといい、ツタンカーメン王の墓が発掘されたとき、銀細工にはめ込まれたアマゾナイトの指輪や耳飾り、ビーズや護符が見つかった。そういえば、ボストン美術館の展示品の中にこの石の円筒印章があったような気がする(←うろ覚え)。
中央アメリカや中国でもさまざまな細工品が作られてきたらしい。フォーシャグ博士はアステカでシウトモリと呼ばれた緑〜青色の骨のような石をアマゾナイトに比定したが(⇒補記2
& チャルチウイテの話)、今日のグアテマラの工芸品にもこの石を使ったものがあるそうである。
さてもうひとつ、古代地中海世界に起源を求める説だが、これはアマゾン国があったとされる地域に実際にアマゾナイトが産出することが根拠となっているようである。
アマゾンはギリシャ人からみると北方の未開の地であったコーカサス、スキュティア、トラキアあたりの黒海沿岸地方にあったとみられており、このあたりに実在した母系社会集団の特徴が誇張され、女人だけが住む国としてギリシャに伝わったものらしい。伝説によれば彼女らは馬を飼い馴らす騎馬民族で、弓術を得意とした。また槍や斧を自在に操った。武器を扱うときに邪魔にならないように、戦士は利き腕側(右)の乳房を切り落としていたという。(穏当に考えれば圧迫して抑え込んでいたのだと思う)
黒海は古い雅名にアマゾン海といい、この地で採れる石がアマゾン・ストーンと呼ばれたというのはいかにもありそうなお話である。
またスキタイ人の女性の間には緑色の石の粉末で胸を擦る風習があったという。胸の成長を抑える効果があったらしい。この粉末はもちろんアマゾナイトで、ほんとうかどうか知らないが、その成分が細胞の成長を阻害するとの臨床的データがあるとか。上述のアマゾンの戦士の胸に付会したエピソードだろう。(思うに、アマゾナイトの粉末は白色のはずだ)
テルモドーン河のほとりに住んだアマゾン族の神話上の祖先は軍神アレースとされ、族長のイッポリタ(ヒッポリュテー)は「アレースの帯」と呼ばれる黄金の腰帯を持っていた。ヘラクレスがこの帯を手に入れたエピソードがギリシャ神話にある。帯には緑色の石がついていたというが、ほんとうだろうか?
地中海世界のアマゾン説は、いささか都合のよすぎるエピソードにまみれている気がするのだが、アマゾナイトの装飾品がスキタイ人の遺跡から見つかっていること、産地がコーカサス地方のリフェイスキー山地にあることはたしからしい。
とはいうものの、仮に黒海沿岸地方に起源するのだとしても、アマゾン・ストーンの名が用いられるようになったのは、古代ギリシャよりずっと後の時代のことではなかろうか?
補記1:Brauns/Spencer 「鉱物界」(1912)によれば、「かつてロシアでは、この石がテンカンを防ぐために用いられ、円形の小片を上腕にはさみ込んだ。この用例はおそらく緑色のネフライトと混同されたことで説明できるだろう。ネフライトは今日なお中国人の間で聖石として扱われている石であるが、さらに言えば、かつてアマゾン・ストーンの名は緑色の長石だけでなく、ネフライトにも用いられたことを忘れてはならない。」
補記2:フォーシャグ博士がアマゾナイトに比定したアステカのシウトモリであるが、パーサイト構造を持つアマゾナイトのカリ長石部分のみが緑色に着色し、緑と白色の層状模様を示すことがその根拠のようである。
補記3:アマゾナイトは初生鉱床ではペグマタイトに産し、そこでトパーズなどの宝石が見つかることから、「トパーズの道しるべ」と呼ばれることもある。
フェルスマンはイリメニ山地のアマゾンストーンについて述べた文章の中で、コサ山の花崗岩片麻岩を貫いて花崗岩質の大ペグマタイト脈が流れ出し、そのどろどろの塊からトパーズやアクアマリンを伴うアマゾンストーンの脈が形成された様を想像的に描写している。そして「いい宝石を見つけるのに、アマゾンストーンの脈をたどることほどたしかな道しるべはない。」と述べている。
またアマゾンストーンの空色のズリがいかに美しいかを語り、イリメニ山地のある石切場が、そっくりアマゾンストーンの一個の結晶の中に入っていたという昔の鉱物学者の話を語っている。文象花崗岩を伴うアマゾンストーンの坑道の美しさに18世紀末の旅行者や研究家たちは非常な感動を受けた、とも。(おもしろい鉱物学
邦訳P.73-75)
cf. 孔雀石の話2 (ウラル地方の貴石細工の始まりについて記述)