ひま話  (2004.12.25)より


翡翠展

先日、東京・上野の国立科学博物館で開催中(期間:2004年11月13日〜2005年2月13日)の「翡翠展」に行ってきました。

「翡翠」というと、「東洋の神秘」、「中国の宝玉」として有名な、美しい緑色の石ですが、近年日本では、富山県から新潟県の河川敷きや海岸にかけて採集できる「ひすい」がちょっとしたブームになり、テレビなどマスコミで紹介される機会が増えてきました。またミネラルショーでは翡翠業者さんの活躍で、見事な国産翡翠がほぼ毎回のように特別展示されています。

当サイトに来て下さる方には、ブッダに教えを説く、なのですが、中国には7000年以上に亙って続く玉文化の歴史があり、18世紀清朝以来の翡翠文化はその延長線上にあります。これはニュージーランドの軟玉のお守りを除けば、この数世紀において類を見ない非常にユニークな文化だといえるでしょう。翡翠といえば中国で、その芸術性の高さ、細工の素晴らしさは広く世界に知られています。(それは多分、20世紀の初め、清朝が揺れた時に大量の玉器が欧米に流れて世界的な翡翠ブームを巻き起こしたからなのでしょうが…)
一方、時代を遡れば、中南米のオルメカ・マヤ・アステカ文化圏で翡翠製品が宗教的に使用されたこと、さらに古くは縄文期の大珠(たいしゅ)や弥生・古墳期の勾玉(まがたま)に続く日本のひすい文化、スイスの杭上集落のひすい石器などが知られています。

日本のひすい(青玉、瓊(ぬ)の玉等と呼ばれたらしい)は、昭和の初めに原石産地が発見されたことから、輸入品でなく国産品であるとの見方が浮上しました。また加工遺跡や発掘品の地域分布、時代的変遷の研究が進んだことにより、その始まりは5000年も昔に遡りうることが分かってきました。そうして日本のひすい文化はこの国土において独自に形成され、発展していったのだと考える人が多くなりました。
あるいは、ひすいは日本人が世界に誇る文化だという人もいます。
ただそう言い切っていいかどうかは甚だ疑問で、少なくとも勾玉の伝統が千年以上に亙って絶たれているという歴史に鑑みれば、またおそらく勾玉文化の担い手はその後の日本民族の主流にとって、まつろわぬ神々だったと考えられることを思えば、現代の私たちが勾玉の色や形に惹かれる心情は、必ずしも太古のDNAを受け継いでいるからというわけでなく、また私たちの精神風土にひすいに対する愛着が流れていると主張すべき根拠もないように思われます。もちろん、私たちは子供のときから勾玉の首飾りをした大国主命の絵本を見たり、昔話を読んだり、学校で国史を学んで育っているので、勾玉文化に対して他民族よりも受容性を持っているのは確かですが、それはちょうどアングロサクソン人がケルト文化に理解を持ち、アメリカ人がインディアンの宗教的教えに関心を示すのと同じようなことではないでしょうか。

さて、今回の「翡翠展」は、そうした国産ひすい礼賛の展覧会といえるかと思います。
構成からみると、展示品約400点(セットで)のうち、故宮博物院(北京)のコレクションになる中国清朝の翡翠細工44点、近山晶氏蔵品を主体としたひすい輝石(原石)・軟玉等の鉱物標本・細工品が約185点、日本古代のひすい(大珠、小玉、勾玉、加工片など)54点、韓国の勾玉15点、そのほか全宝協から出品された現代の細工物が約100点であり、バランス的には、翡翠とは何か? 翡翠と鉱物学の接点はなにか、といった部分がかなりのウェイトを占めているのですが、やはり真打ちは縄文〜弥生〜古墳期の出土品・伝来品でありましょう。

出雲大社蔵・真名井遺跡の勾玉(重文)、奈良県澤の坊2号墳の勾玉群、奈良県飛鳥寺の勾玉、あるいは青森、山梨、富山、長野など各地で発見された古い大珠など、多数の貴重な玉類が集められています。全国に散らばる各団体の所蔵品をこれだけ揃え立ててみせる力量はさすが国立機関というべきで、そして纏められ、一堂に会した展示品を見ていると、そこには確かに中国の(清朝の)翡翠とはまったく異質の精神文化の息づきが感じられるのでした。この部分だけでも1300円の入場料を払って見る値打ちがあるでしょう。

また今回の展示品は個人や翡翠業者、宝石協会からの出品が大半を占めているわけですが(ちなみに科博の蔵品は約50点)、これはそれだけひすい採集がブームになり、ひすいを通じた愛好家の交流や売買が盛んになっている証しだろうと思います。それは同時に、「翡翠」といえば中国という認識、優れて芸術的で完成度の高い中華の玉器世界に対して、日本の古代ひすいの素朴な美しさ、あるいは糸魚川周辺で採れるひすい原石の、原石そのままの美しさを、新しい翡翠文化の基準として確立したいという熱い想いの現れでもありましょうか。

そのためか、清朝の翡翠の展示スペースは、そこだけ別の空気が流れているようで、今回の翡翠展に含めなかった方がよかったのではないかという気がしました。
そう思うわけは、「世界でもっとも古い翡翠文化は日本のものである」とか、「翡翠文化の発祥は日本である」といった趣旨のコメントが散見されたことも一因です。
このテの手前味噌なことは、国産品だけ集めた身内の展覧会で吹けばいいことで、わざわざ他国の至宝を借りてきてまで言うべきことではないと思います。ただ古いという事実は、何ら誇れるものでなく、伝統として続いて初めて意義のあることですし(もっとも日本のひすい文化も 3000年続いたそうなのですけれど)、また「発祥」という言葉は後継文化の源流であってこそ言えることで、日本のひすい文化はそうではありません。

言葉の使い方を言えば、科学博物館の「翡翠」の定義も私には疑問です。「翡翠」という言葉は、そもそも鉱物学的に定義されたものではない、と私は思うのですが、「その岩石に占めるひすい輝石の容積が、90%以上あるものを翡翠という」というのは、如何なものでしょう。
それなら、宝玉的価値のない、ただの石ころ(ただし、ひすい輝石)まで、「翡翠」ということになるのでしょうか。 実際、会場には日本各地の宝石質でない「ひすい輝石」の標本が沢山展示してあったのですが、これも「翡翠」なのでしょうか。
また、90%というのは、どういう根拠あっての数字でしょう。 一方で、「精密な化学分析をしなければオンファス輝石になるかひすい輝石になるかは判定不能である。したがって、明らかに灰鉄輝石(あるいは透輝石)に近いものを除いて、それが90%以上占める石を暫定的に翡翠として扱ってもやむをえない」といっているのですが、では、ある岩石中にひすい輝石が90%を占めるかどうかは、精密な化学分析をしなくても分かるのでしょうか。
まあ、このあたりは、私が持っている「翡翠」のイメージに相容れない気がして、屁理屈をこねているわけですけども…。

とはいえ衒学的な注釈を措いて、展示品そのものの良さを鑑賞するならば、今回の多分野にわたる脱境界的な展示内容は実に豊かなものでした。また鉱物標本や鉱物学的な解説は、一般の方は知らず、私のような鉱物愛好家に興味深いものでした(特に近山氏のコレクションは素晴らしかった!)。
総合的に見ごたえ十分、大いに満足した「翡翠展」でした。
おすすめします。

cf. ひすいの話1  翡翠の由来  No.490 (日本のひすい文化とその衰退)  C17翡翠指輪

翡翠展の解説本

 

補記:ひすい輝石 NaAl[Si2O6] -オンファス輝石 (Ca,Na)(R2+,Al)[Si2O6]  -灰鉄輝石 CaFe2+[Si2O6]  の間の遷移は連続的で固溶体をなす。また透輝石 Ca(Mg,Fe)[Si2O6] との間も連続的に成分が変化し、オンファス輝石はその中間体と考えられる(Na-Ca 端成分系で Na の比率が概ね 80%〜20%の範囲)。より詳しくは Dana 8th に (Di+Hd)75Jd25, (Di+Hd)60Jd20Ae20, (Di+Hd)20Jd60Ae20, (Di+Hd)25Jd75 の境界が示されている。Di:透輝石、Hd:灰鉄輝石、Jd:ひすい輝石、Ae:錐輝石。
素人目にはひすい輝石に近いオンファス輝石であれば、さほど種別を明確にしなければならない理由はないように思われる...
そもそも「ひすい」という宝石があって、その特徴を鉱物学的に「ひすい輝石」(が主成分)と後付けに記述したまでのお話であるから、ひすい輝石でなければ宝石の「ひすい」でないと考えるのは本末転倒であろう。「象を撫でる」ということわざを地で行くようなもの。

補記2:「一般にひすいだと思われている緑色の部分は、ひすい輝石ではなくオンファス輝石であり、まわりの白色の部分がひすい輝石だったのです。さらに緑色の原因はクロムではなく鉄であったことも最近になって明らかになった事実です。」「糸魚川・青海地方の多くの緑色ひすいは、クロムを含まないオンファス輝石でした。」「しかし、青海町金山谷産や糸魚川市小滝産の濃緑色ひすいの一部にはクロムと鉄を含むオンファス輝石がありました。さらに世界最大のひすいの産地であるミャンマーのひすいを調べたところ、糸魚川・青海地方の翡翠と同じようにクロムを含まないオンファス輝石である場合と、クロムと鉄を含むオンファス輝石である場合の両方が認められました。」(「よくわかるフォッサマグナとひすい」p.82 フォッサマグナミュージアム刊)
上記の研究は1990年代半ばから2000年代初にかけて行われたもの。2016年に日本鉱物科学会は糸魚川のひすいを「日本の国石」に選定したが、これを受けて日本のGIA系の宝石鑑定機関がフォッサマグナミュージアムやひすい原石館などからの試料提供により宝石学的な研究を行った。その結果は必ずしも上説を支持するものでなく、緑色のひすい試料はすべてがひすい輝石と判定されており、ミャンマー産やロシア産と同様、鉄とクロムによる発色と報告されている(G&G 2017年春号)。

一般に糸魚川・青海産の緑色ひすいはNa:Ca成分比で Ca分のかなり高いものが珍しくなく、またクロム分をほとんど含まず高い鉄分を示す分析結果を与えるものが多いという(経験則)。これはフォッサマグナMの研究結果を裏付けするものだが、さてどう考えればいいのだろうか?
分析した試料の違いや分析法・判断基準の違いなどが考えられるが、ただ結論だけを聴かされる一般人としては、とりあえず判断保留で時が解決するのを待つのが上策か。

補記3:日本鉱物科学会の「鉱物・宝石の科学事典」(2019年) 3章鉱物宝石各論の 334 ひすい輝石の項に、「緑色〜濃緑色のひすいは Crを含むひすい輝石からなると考えられていたが、Feを含むオンファス輝石が共存していることで緑色を呈している場合が多い。」「ひすい(※の語は)は輝石(ひすい輝石、オンファス輝石、コスモクロア輝石)からなるものに対してのみ用い…」(宮島宏)とある。 
これが直近の日本鉱物科学会の「ひすい」に関する見解と受け取ってよいのだろう。
科学会の国石への推薦理由(※文書「日本鉱物科学会の国石選定事業と国石『ひすい』」)を読むと、「ひすいは、大半がひすい輝石から構成される宝石質のひすい輝石岩である。ひすいは、ひすい輝石の小さな結晶粒を主とした集合体であるので、鉱物として見ることも、ひすい輝石岩と呼ばれる岩石として見ることができる。つまり、ひすいは宝石でもあり、岩石でもあり、鉱物でもある。」と書いてある。
そう定義するのであれば、緑色のオンファス輝石が主体となった「翡翠」宝石は「ひすい」でないわけだろう。(※補記2に引用した、「一般にひすいだと思われている緑色の部分は」という表現も然りで、「緑色の部分はホントはひすいじゃありませんよ」と言いたいものか??) 

一方、同書2章の宝石 161 ひすいの項は次のように述べて、説明の具合が異なる。
「中国では、5000年前からさまざまな玉器がつくられてきた。なかでも翡翠玉と称するものが珍重されてきた。」「…カワセミは翡と翠(オレンジと緑)の 羽色を持ち、同様の色をもつ玉を翡翠玉とよんだ。緑色の玉はネフライトであることが多かった」「…このような経過から、中国および日本ではジェダイトとネ フライトをそれぞれ硬玉、軟玉と分けるが双方を翡翠(玉)とよぶことが一般的であった」
「宝石としてはヒスイ輝石の含有率を定めているわけではない。各色を呈するが、これらは他の鉱物の色との組み合わせである。」「現在、日本では深い澄んだ 緑色で透明感の高い「琅玕」(ろうかん)とよばれるものを最高とするが、元来中国では、この言葉は最高品質を表すものではなかった。」(宮田雄史)
私としてはむしろこちらの(宝石学会の執筆者の)説明の方に共感が持てる。もっとも「ひすい」の定義は時代と立場によって変わるようで、国際的な宝石市場では現在(香港の宝石協会の最新定義に従って)、オンファス輝石のジェードも「翡翠 Fei cui」と呼ぶことになっている。そのあたりについて歴史的な側面を踏まえて少しまとめておく。⇒ ひすいの話4(翡翠と呼ばれる玉の前史) ひすいの話5(19世紀ミャンマーの玉産地) 玉の種類について  ビルマ玉(ヒスイ)の分類名…  (2020.8.2)


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