30.水亜鉛銅鉱 Aurichalcite (USA産) |
鉱物標本商の方々というのは、骨董商と同じで、自らも趣味人であることが多い。蘊蓄の一端を伺えば、次から次へと、全国、あるいは世界中の鉱山を渡り歩いたお話が続いて、時を忘れてしまう。
この標本は、エッセンの駅前で買ったのだけど、店主は、若い頃わざわざアメリカの砂漠地帯、アリゾナ州まで出かけていって、こいつを自分で掘ってきたのだそうだ。そういう冒険話を聞くのが、私は大好きだ。 (1999.3)
※2005年の初秋、エッセンを訪れた。City Center は全面的に改築されて近代的デザインのショッピングモールに生まれ変わっており、標本商さんは見つけられなかった。あれから何年も経ったからなあ…
追記:アリゾナ州ジラ郡の79鉱山は 1879年に鉛-亜鉛-銅の鉱床が発見され、20世紀前半期に、鉛をメインに稼働された(他に銅、銀。副産物として少量の金)。鉱山名は1922年に鉱山を買った会社の名にちなむ(発見年に由来)。鉱業権はいろいろな企業の間を渡り、1951年以降は不定期な操業が行われるだけで殆ど休坑状態となっていた。そして
1967年から1971年の夏にかけて権利者が存在しない空白期(完全休止期)が生じると、大勢のコレクターが押し寄せて華々しくも悪名高い採集活動を行った。 富鉱帯に二次鉱物として産する水亜鉛銅鉱、異極鉱、菱亜鉛鉱、亜鉛孔雀石、珪孔雀石、モリブデン鉛鉱、ミメット鉱などが目当てであった。なかでも79鉱山の代名詞となったのが水亜鉛銅鉱で、オハエラ産に匹敵する(当時)世界最良の標本を出した。数年の間にいくつもの晶洞が発見されたが、特にレベル4の「水亜鉛銅鉱の部屋
Aurichalcite room」は地元コレクター達の伝説となった。MR誌の主幹W.ウィルソン(当時、学生)が発見に一役かみ、彼が採集した標本は(ずっと後になって)誌面で紹介された。今はアリゾナ-ソノラ砂漠博物館にある。
71年以降鉱山は再び権利者を戴くこととなったが、75年にはコレクターの団体が交渉して標本採集を行い、79年にもまた採集が行われて、それぞれに成果を上げた。エッセンの標本店主が鉱山を訪れたのは、おそらく70年前後の自由な時代のことであったろう。(2016.12)