29.ベニト石   Benitoite  (USA産)

 

 

私を磨いてごらん。素晴らしい宝石になりますよ。

ベニト石 −USA、サン・ベニト、「ダラスの宝石」鉱山産

 

 

カリフォルニア州のデイアブロ・レンジ(悪魔の山脈)というところで、その昔若者だか、中年のおじさんだかが、テントを張って野宿をした。翌朝、テント越しに山を仰ぐと、太陽に照らされた斜面が青くキラキラと光った。近づいてみれば、透明で青い石がそこかしこに顔をのぞかせており、要するにそれがベニト石であった。

発見者は、サファイヤを見つけたと思って喜んだそうだが、以来この鉱物ほど、アメリカの鉱物愛好家に熱狂的に愛されている石も少ない。美しいことは、まさに最上のサファイヤのようだし、珍しいことは、サン・ベニト以外に見るべき産地がないという希少さである。

ちなみにこのあたり一帯は、石綿鉱山の跡地で、空気は有害とされているので、あまり近づかない方がよい。まさにディアブロ・レンジだ。(1999.3)

 

 

ベニト石の発見と鉱山の消息など

ベニト石。ベニトワイト。ベニトアイト。
ダイヤモンドのように燦々と輝き、サファイヤのように青く透きとおる。
世界中でただ一箇所、カリフォルニアでしか(商業的に)採掘されなかった、極めつきに珍しい宝石。事実上他に類を見ないオニギリ三角の独特の結晶形で標本収集家を乱舞させる鉱物。
アメリカにはベニトワイト・フリークなる愛好家層が存在する。日本では「サファイヤに似て、サファイヤよりも美しいと思われる」宝石としてつとに知られる。
かくいう私も、ベニト石には特別な愛着がある。初めてツーソンに行ったとき、最大の目的のひとつはこの石のルースを手に入れることだった。

ベニト石は希産鉱物であるが、その注目度の高さから、さまざまな情報が提供されてきた。ラピダリー・ジャーナルやMR、G&Gなどの鉱物/宝石専門誌で特集が組まれてきたし、鉱山の近況を知らせる投稿も折々に載せられた。 
2011年には標本商ジョン・ヴィーヴァートが多数の美麗写真を盛った記事を Minerals という無料の鉱物ニュースペーパーに寄せた (#3-2011)。標本商の I 氏がその年のツーソンショーで配っていたからと、帰国後一部下しおかれたので目にすることが叶ったが、私の手持ちではもっとも新しい資料である。
その内容を踏まえて、ベニト石発見時のエピソードや鉱山の消息など少しく綴っておきたい。

アメリカ大陸の西海岸、太平洋に面するカリフォルニア州は南北に広い山岳地帯をもつ。大部分は今なお人手の入らない土地で、道路に沿って小さな町や農場が点在するほかは、荒涼とした山野がどこまでも続くばかりである。
サンフランシスコとロサンゼルスの中間に、コアリンガという町がある(コーリンガ石で知られる)。そこから北西に約30キロほど上った、サン・ベニト川沿いの林間の斜面、標高1380mの地点にベニト石は発見された。
周囲30キロの範囲に旅行者の便宜となる施設は一切望めない人里離れた土地である。今日、鉱山へ行くには未舗装のダートや自然の渓流をいくつか横切りつつ、木ガラを撒いて舗装した私道を進むほかないが、それも冬季には泥濘のためほぼ通行不能になるという。
しかしベニト石が発見された当時、産地への道のりは今よりもはるかに遠く不便だった。
このあたりはディアブロ・レンジ南端のニューイドリア鉱山地域に含まれ、金や水銀、クロム、石綿などの鉱産資源を求めて、1850年代初期から白人探鉱家が山に入り込んだ。シャパラルと呼ばれる常緑低木の密生する植生はあたかも踏破をはばむかのように生い茂る。彼らは馬に乗って、ときに徒歩で、川を遡り、叢林を掻き分け、鉱脈の兆候を追って丘を巻いて進んでいった。

1907年2月初旬、探鉱家ジェームス・マーシャル・カウチは、サン・ベニト郡南部に新たな水銀鉱床(銅の鉱脈という説も)を探すため、ロデリック・ダラス氏の物資援助を受けてコアリンガを後にした。
厳寒の荒野を小型の荷馬車に乗ってロス・ガトス・クリークまで辿り着くと、リロイ・エイカーズ氏の農場の傍で夜を明かした。翌朝、氏にイドリア・クイックシルバー(水銀)鉱山への道を尋ねた後、山に入った。荷馬車が進めるところまで数マイル稼ぎ、その後は荷を馬に載せかえて険しい小道をさらに辿っていった。夕闇が近づく頃、丈高い松が林立する低地に出た。小川がせせらぎ、馬の餌には格好の、よく生い茂った草が一面に生えていた。ここにしばらくキャンプを張ることにした。

翌2月22日の朝。彼は寝床の中でぐずぐずしていた。日が昇り、冷たい空気を暖めるのを待っていたのだ。あたりの景色を眺めながら、まずはどこから調べようかと考えた。川向いの土手近くの、ある一画がなぜか彼を強く惹きつけた。
そしてその傾斜面で、彼は無数の小さな暗青色の結晶が散らばった場所にいきあう。
一説には、その朝目を覚ましたカウチが丘を振り仰ぐと、太陽を受けた斜面が青くキラキラ光っていたといい、私はその話の方が好きだが、まあ史実はそこまで劇的でないのだろう。ただカウチがほとんどまっすぐベニト石産地に辿り着き、まるで導かれるかのように歴史的発見をなしたことは事実であるらしい。

benitoite

青い結晶を手に、彼はこの無数の石は新しいタイプの青いダイヤモンドかサファイヤだろうと考えた。少量を集めて袋に詰めると、コアリンガに戻って発見を知らせた。
ほどなく鉱区が申請され、原石の採掘が始まった。ダラスが出資したそのヤマはダラス・ジェム鉱山と呼ばれた。この時点ではしかし、宝石(ジェム)の正体は分かっていなかった。
サファイヤかスピネル(今はアフガニスタンやマダガスカル産の標本が出回っているが、当時青いスピネルはきわめて珍しかった)、あるいは火山ガラスの一種だろうと、人によって見解が異なった。

ジョージ・エアクレットという地質学者(宝石商)は、結晶がスピネルのような四角錐形でないことに不審を抱き、スピネルにない複屈折による2色性を認めたため、カリフォルニア大学の鉱物学博士ジョージ・ラウダーバックにサンプルを送って調査を願ったという。
博士はまもなくそれが未知の鉱物であると確信した。青い結晶に伴う黒褐色の結晶もまた未知種と考えられた。7月にこれら新鉱物に関する序論を発表し、青い結晶を地名(郡名、川名)に因んでbenitoite と、黒い結晶を付近の山 San Carlos Peakに因んで carlosite と呼んだ。しかしその後、後者は 1893年にグリーンランドで発見された neptunite 海王石に相当することが分かった。ラウダーバックはやがて産地訪問を果たし、多数の標本を確保した後に詳細な本論文を書き上げた(1909年刊)。
こうしてベニト石は世に知られ、その特異な結晶形は1830年にドイツの鉱物学者が対称理論に拠って予言していたあり得べき結晶構造の最初の実例であることが確認された。

ダラスは1910年(12年ともいう)まで自ら鉱山を運営したが、その後は採掘から手を引き、さまざまな事業者や好事家に鉱区をリースして収入を得た(ダラス鉱山会社の鉱区が登記されたのは 1914年という)。 1960年代まで契約者は転々としたが、1967年にエルビス(バズ)・グレイとウィリアム(ビル)・フォレストの2人が結んだ契約は長く続いた。彼らは熟練した鉱山技術者で、それまでの乱雑な採掘によって荒れた鉱山を回復させ、論理的なプランに従って計画的に採掘を始めた。その綿密な活動は良質の標本と原石を大量に得ることで報われた。
ベニト石が鉱物愛好家やレアジェム愛好家に認められ、評価が少なからず高まったのはこの時期で、2人の熱心な宣伝・啓蒙活動に拠るところ大であった。そして 1985年、ベニト石はカリフォルニア州の宝石として公認されるまでになった。1987年、2人はダラス家から鉱区を買い取り、ベニトワイト・ジェム・マインは 2000年まで続いた。だがついに鉱脈が尽き、ズリからの再処理品も乏しくなった。

2001年、鉱区はデンバーのブライアン・リース(The Collector's Edge)に売却された。彼は露天掘りの方法で初生鉱床をすっかり露出させたが、脈はやはり尽きていた。そこでズリ全体の廃石を丹念に集めて宝石原石をより分けた。さらに数百万年にわたる浸食作用で初生鉱床から崩積、溶脱した土壌を浚って選別処理を行った。こうして何トンもの標本クラスの石、数千カラットの宝石原石が得られた。彼の採掘活動は徹底的といってよいもので、後にはほとんど何も残っていないという。リースもまた、希産宝石ベニト石を積極的にPRした。

2004年、採掘を終えた鉱山は露天掘り坑の閉山法に従って原状回復が行われた後、コアリンガのデイブ・シュライナーに売却された。
デイブは産地を開放してコレクターから採掘料を取るプランを立てたが、石綿産地への立ち入り制限に関する法律が障害となった。またエリアへの車両乗り入れは環境保護のため土地所有者または採鉱権所有者のみに規制されるようになった。
デイブは原石を含む土壌を鉱山とコアリンガの町との中間にあるロス・ガトス郡立公園に運び、そこで来訪者に選別採集の機会を提供しているという。
今日、鉱山(跡)まで足を運んで採集出来る機会は得がたく、また前述の通り、残された原石はわずかしかないとみられている。しかし地域特有の著しい粘着性を示す泥をかぶった原石は、外見では非常に見分け難いことから、丹念なクリーニング作業を行えば新たに発見されるものもまだあるはずとの観測もある。
ちなみにこの1世紀間に採集された最大の宝石原石は約34カラットの大きさで、デイブがリースから鉱山を買った早々に見つけたものだという。この原石からは最大8カラットのカット石がとれた。望みを捨てるにはまだ早いのである。

benitoite

ベニトワイトのカット石はどのくらいの量が世に出回ったか。1907年から1911年までにダラスが採集したものが1000カラット、67年までにさまざまな採掘者によって 1500カラット、バズらが97年までに採集したものが 2000カラットとの推計がなされている。多めに見積もって 5000カラット(1kg)で、少ないといえばかなり少ない。ベニト石が宝石商業ベースに乗らなかった所以であろう。
その後2004年までにリースが得た宝石原石は数千カラットとされるが、ファセットした後どのくらいの量になるのか私は情報を持たない。

ベニト石の結晶はテーブル状の三角形だが、青味の濃い美しい石を得るには広いテーブル面に対して垂直に主面を取らなければならない。必然的に石は小さくなる。テーブル面と並行に主面を取れば大きな石が得られるが、色が淡くなり宝石の価値は下がる。
そんなわけで、ベニト石のルース(裸石)は大半が0.5カラット以下に仕上がる。生産量が5000カラットならば、リース以前に世に出たルースの数は1万個を超え、あるいは2、3万個に届くだろう。知られている最大のルースは 15.42カラットという。複屈折性が高く、光をよく分散させるベニト石は、カットするとダイヤモンドさながらの眩いきらめきを見せる。美しいものである。
一方、鉱物標本の数だが、数万個が出回ったことはまず確実と思われる。

近年みられるベニト石標本は、くすんだ青灰色の母岩(青色片岩)に着床する形で結晶が生え、その上に白色層状のソーダ沸石が被って、結晶を半ば埋めているものが多い。実際にはソーダ沸石の層を酸で溶かして、ベニト石を見栄えがいいように露出させ、結晶の保持とコントラスト効果を狙って適度に沸石層を残したものが商品として提供されているのだが、産状から分かる通り、生成順序は青色片岩、ベニト石(海王石やジョアキン石)、ソーダ沸石の順である。

鉱山のあるサン・ベニト郡は一帯にジュラ紀の変成岩や堆積岩中に入り込んだ蛇紋岩の巨大な岩塊に覆われている。蛇紋岩体は下降圧を受けて沈降してゆくのだが、本塊から遊離したその一部は密度が軽いためにむしろ上方に移動し、表土層を形成したのだ。その過程で低温高圧の変成作用をうけて青色片岩が生じた。
中新世中期になると閃長岩質の小規模な火成岩体が貫入し、カルシウムを含む珪酸塩の系脈を多数形成した。そうしたひとつが青色片岩に接し、鉱化作用によってベニト石鉱床をなした、という。
青色片岩は約1,600〜1,000万年前、ベニト石は約1,200万年前に出来たと考えられている。齢 1,200万歳! その後、鉱脈の間隙を埋めるように熱水性のソーダ沸石層がかぶさった。ただし鉱脈の上層は熱水に浸からなかったためソーダ沸石を欠き、代りに乳白色の曹長石が青色片岩とベニト石に随伴している。
従って初生のベニト石が見つかるのは青色片岩のある場所に限られるが、必ずしもソーダ沸石を伴うわけでなく、むしろ上質のベニト石やジョアキン石の結晶は、熱水によって結晶面に(選択的な)融蝕作用を被らなかった上部層に見出されることが多かったという。

ソーダ沸石層を溶かしてベニト石を得る手法はダラスが鉱山を経営していた当時から行われた伝統である。最初期にはソーダ沸石を砕いて原石が回収されていたが、相当量の結晶が空しく砕けて散った。そこでほどなく酸処理法が導入され、一度に何百ケというソーダ沸石の塊を酸槽に投じてベニト石を回収するようになったのだ。もちろん目的は標本の作製でなく、宝石原石を無傷のまま取り出すことにあった。

今日、ベニト石の良標本は希少なことと高価なことで知られているが、その理由のひとつは酸処理によって適当な標本を作製するのにかなりの丹精が必要なことである。宝石原石とは違い、ただ溶かして結晶を取り出したのではよい標本にならないのだ。産状が分かり、かつエステティックに仕上げなければならない。
逆に言うと未処理または半処理の原石を手に入れて自分でエッチングする覚悟なら、完成品の10分の1くらいの値段で原材を手に入れることが可能だ。
リースが採集した何トンという原石の残部は 2008年に標本商のヴィーヴァートらがそっくり買い取ったそうで、今はそちらから入手することが出来る。試したい方はコンタクトをとってみられるとよい。氏のサイトには処理方法も説明されている。

もちろん原材の中に良結晶が埋もれている保証はないし、良標本が作れるかどうかは、腕も問われるが運も必要である。処理溶液も時間もたっぷりかけなければならない。
溶け出したアルミノ珪酸が膠状(ゼリー状)になって反応を阻害するし、処理速度は温度に依存するので冬場はなかなか進まないし、キレイな標本を作るには溶かしたくない部分を適宜マスキングする必要があるし、廃液・溶廃物の処理もあるし、実際にやってみられた標本商さんは、とにかく面倒なことが多くて効率を考えると勧められない、と口を揃えて仰る。
とはいえ、効率という言葉ほど鉱物愛好家に似合わないものはない。ひすい原石を買って中から現れる翠色を想像しながら磨くのがなにより好きといった方で、なおかつベニト石が好きな方は、是非、芸術作品作りにチャレンジされたい。

と書いてる私はやったことがないのだけど、プロセスを簡単に述べると、ベニト石が入っているであろう原石をみつくろって(数個まとめて)、10%程度に薄めた塩酸に浸す。ソーダ沸石が溶け出すと溶液はゼリー化して反応が進まなくなるので、原石を取り出して付着したゼリーを洗い落とし、溶液を交換してまた浸ける。だいたい1日1回交換する。
ある程度結晶が出てきたら、結晶の上やそれ以上溶かしたくない部分にロウソクの蝋など適当なワックス材をマスキングし、また酸につけて反応を進ませる。溶かし過ぎると結晶が母岩から外れることがあるので注意。最終的な出来あがりを想定して美観を整えることが必要である。そのために針金で宙吊りにして液に浸けることも。やりすぎると元には戻らないので、あまりギリギリを狙ってはいけない。
うまくエッチング出来たら、最後は標本についた残滓をキレイに除去し、ワックスは熱湯につけて溶かして流し、標本に沁み込んだ酸をリンスで中和させて無害化する。あとクリーニング(&トリミング)と艶出しのプロセスがあるそうだが省く。

ちなみにジョアキン石を露出させたい場合は青色片岩との境界付近までエッチングを進めることになる。ソーダ沸石層はふつう厚くても精々2cmまでだが、大量の塩酸が必要になるらしい。
悩ましいのはソーダ沸石の層が青色片岩に挟まれた原材である。片岩のどちら側によいベニト石がついているかは溶かしてみるまで分からない。しかしどちらかをはがさないことにはエッチングが進められない。結局、片側は断念して破砕、除去することになり、これまた運を天に祈るほかない。

最後にベニト石の色だが、あらまほしきはほのかな紫味を帯びたサファイヤブルーで、これがもっともふつうの色でもあるが、無色(透明)、白色、ピンク色、赤茶色、灰緑色を呈する結晶も知られている。
発色要因ははっきりとは解明されていない。青色についてはさまざまな説があるが、成分中に痕跡量の鉄分が認められることから、鉄イオン(とチタンイオン)の電荷移動モデルが示されているのが代表的か。これはサファイヤと同様の呈色機構である。
結晶の内部がしばしば曇っていることがあるが、たいていクロス閃石(Crossite)のインクルージョンによる。(クロス閃石は「藍閃石−鉄藍閃石−リーベック閃石−苦土リーベック閃石」を端成分とする角閃石の中間亜種。
次に望ましい色は淡いピンク色だろう。最近、その種のカット石の写真がいろんな媒体に紹介され、私なども涎を垂らして見ているが、本家のダラス鉱山ではなく、付近のビクター・クレイムやミネラ・ニュメロ・ウノで採れるものらしい。発色には自然界での熱履歴が関係していると言われるが、人為的な熱処理ではまだ同じピンク色を出すことが出来ないそうなので、ほんとうのところは分からない。

ベニト石は通常、短波紫外線で強烈な青色蛍光を発する。この性質は探鉱にも役立つ。新潟県の金山谷にごく小さなベニト石が産するが、たいてい色が淡く、サイズもルーペでかろうじて確認できる程度でしかない。しかしそんな標本でもUVランプを照てると、ベニト石の部分が明るく青く光ってみえる。
あまり知られていないが、ベニト石の中には長波紫外線で
鈍いオレンジ〜赤色に蛍光するものがある。

end of the page .    2012.8.9 

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