796.アダム鉱4 Adamite (メキシコ産)

 

 

(サン・フーダスに産した赤紫色タイプ。母岩は酸化マンガン鉱)

(テソロ・ドーセに産する暗紫色タイプ)
菫-紫色のアダム鉱 −メキシコ、デュランゴ、マピミ、オハエラ鉱山産

 

オハエラ産のアダム鉱は白色からレンガ色、黄色青緑色、菫色などの間に、あらゆる中間調を持った色彩のものが知られている(オハエラは「アダム鉱のデパート」と言われる)。なかで比較的数が少なく珍重されているのは鮮やかな赤紫色のものである。
1974年、サン・フーダスのレベル5で見つかった灰色がかった黄色のクサビ形結晶には局部的に暗紫色を呈する部分があった。これがオハエラで最初に記録された紫色種とされる。結晶内部に黒色の酸化マンガンの小粒を含んだものが多く見られた。ついで1981年、同じ鉱脈のレべル6下に赤紫色の美しいアダム鉱が出た。後に伝説となった「コバルト」アダム鉱である。

アダム鉱の着色は、かつて亜鉛成分を置換する銅、マンガン、コバルト等に因り、それぞれ緑色、紅色、紫色を示す、と言われた。しかし90年代半ば以降は、オハエラ産の紫色種にコバルトは含まれず、マンガンによる呈色であるとの見方が主流となっている。地元マピミでは依然これを「コバルトス」と呼んでいるが、標本商の扱いは含マンガン・アダム鉱である。日本では糸魚川産の青色ひすいを「コバルトひすい」と称してその青色を讃えるが(発色要因はコバルトではない)、アダム鉱の場合は当初、発色がコバルトに因るとされたからであり、後にはその(コバルトを彷彿させる)赤紫色を讃えるためということになった。
ちなみにポー博士の「岩石・鉱物」(1953/ 1988改訂版)に、「フランス、カップ・ガロンヌ産のピンク色亜種と緑色亜種は、それぞれ、コバルト、銅による発色」と載っている。こちらのピンク色も、あるいはマンガンに因るのであろうか。

紫色種を産したサン・フーダス・チムニー(縦方向に延びた鉱脈)は、平均 3x5mの楕円形状の断面を持った鉱体で、地表付近から地下水位の下まで続いている(その下どこまで伸びているか分からない)。性格の異なる輪帯状のゾーンに分かれ、もっとも外側の輪はおおむね空間の開けた不毛な空洞となっている。このゾーンには風化(酸化)によって一次鉱石が溶失して生じたスケルタルな巣構造が発達して内側の輪を取り巻く。次の輪は土茶色の褐鉄鉱ゴッサン(酸化帯の焼け)で充填されている。局部的にきわめて柔らかく、ほとんど綿のようであって、スコップを使えば人力で掘り崩せるほどである。その内側は堅い黒色の酸化マンガン鉱で出来ている。このゾーンに生じた晶洞に紫色アダム鉱やほかの砒酸塩希産種が見い出される。そしてその内側はコアゾーンで、侵食されてはいるがほとんど変質していない硫化鉱体があり、ほぼ硫砒鉄鉱の塊となっている。こうした輪帯構造はかなり風変りなもので、世界でもおそらく類を見ないと言われている。

サン・フーダス産の赤紫色アダム鉱は数センチ長さに達する結晶があり、色もたいへん鮮やかだった。その発見譚はひとつの伝説と化しているので簡単に紹介しておきたい。
No.789で述べたように、オハエラ鉱山は鉱石採掘が盛期を過ぎた20世紀の半ば頃から、愛好家向けの標本を出すようになった。先鞭を切ったのは出張採集を試みたアメリカの標本商だったが、その後、現地の人々も標本を採って売るようになった。そして彼らは鉱山を自分たちの狩場と考えるようになった。1970年代末にはこうした地元業者が3,40人あったが、その頃、あるアメリカの業者グループが観光ビザでやってきて鉱山のレベル4に入り、アダム鉱の晶洞をいくつも見つけて、大量の標本を採った。当然、妨害が入って移民局に国外退去を勧告され、採集された良品は地元業者の手に帰した。

1981年4月、グループは計画も新たに再度オハエラへやってきた。今度は準備万端である。どういうテを使ったのか、採集業も国外持ち出しも法的に認められるビザを得ていた。資本を集め、大がかりな計画を立ててあった。事前の坑内調査で選んだ採集ポイントは3つあり、一つはレグランド石狙いで、数年前にレグランド石が出たポイント、あとの二つはアダム鉱狙いで、20世紀半ば以降、大量に標本を輩出してきた最初のアダム鉱スポット、そして最近出回るようになった標本の出所と推測されるスポットである。後者のアダム鉱はパステル調の色あいで紫色の斑点を持っていたが、採集ポイントは誰に聞いても分からなかった。しかしその頃水が引いて露出したサン・フーダス脈の最深部(レベル6)であろうと目星をつけたのだ。
これら3つのポイントは鉱夫が行き来できる狭い坑道で結ばれており、グループは中間地点に米国製のコンプレッサを置いて、すべてのスポットにエア削岩機を配する計画を持っていた(結局、コンプレッサは届かなかった)。
コンプレッサを待ちながら、彼らはサン・フーダスの深部を埋めている泥の浚渫にかかった。19日間の人力作業によって褐鉄鉱の層が現れ、数日後には黄色いアダム鉱のかなりよい晶洞が見つかった。これをそっくり一つの標本として取り出そうとタガネを振るっていると、別の晶洞が抜けた。そこに紫色のアダム鉱があった。
グループはエリアへの通路に頑丈な扉を嵌めて見張り番をおくようにした。その後、いくつかの小さな晶洞が見つかったものの、投資に見合う戦果はまだ得られなかった。

秋が来た。10月24日、彼らはついにボナンザに当たった。きわめて堅い褐鉄鉱の層を掘っていたハンド・ドリルのタガネがそっくり沈み、引き抜くと水がどくどくあふれ出した。1時間かけて慎重に殻蓋を開くと、内部の晶洞に赤紫色の見事なアダム鉱が生え競っていた。中には6cmを超える大きさの結晶もあった。作業をしていた8人は嬉しさのあまり、たっぷり1時間の間笑い続けた。それから夜遅くまで働いて晶洞をすっかり浚った。鉱夫たちにはボーナスが出た。
ニュースはすぐに地元業者の知るところとなった。彼らはなんとしてもアメリカ業者を追い出そうとかかって秘術を尽くした。ついには訴訟事にまで進んだ。現場を監督していたアメリカ人は、法的に問題がないことを証明するために数日の間マピミを離れざるを得なくなった。作業は中断された。
その間に何者かが見張り番を籠絡し、扉を破って切り羽に侵入した。そして幸か不幸かドップラー効果、数時間の間にかつてない見事な晶洞を発見し、極上の標本群を回収したのだった。
マピミに戻った現場監督はすぐに成り行きを知り、空になった晶洞を前に茫然と立ち尽くした、のは暫しのことで、攫われた標本がどこに隠されてあるかを知った(ある有名なメキシコ人コレクターが情報収集に奔走したのである)。彼は首謀者の家のドアをたたき、この窃盗事件の関係者は法で罰され獄に繋がれるであろうと警告した。一方で、盗まれた標本がどういうものであるかつぶさに掴んでいることを示し、もしそっくり手元に戻せるようなら仲介の謝礼を払うし、訴訟も起こらないことを述べた。
こうして高品質の標本26ケを含む2箱の標本群がグループの手に渡った。買値は 8,000ドルだった。これらは翌年のツーソンショーでほとんど捌けた。 8,000ドル以上で売れた標本もいくつかあった。

その後も数か月の間採集作業が続けられて、またいくつかの紫色アダム鉱の晶洞が開かれた。地下水面にあたったところで、プロジェクトは終了の運びとなった。
結局、200点ほどの最上級標本と、約2,000点の一般標本が得られて市場に出回ったという。この後、サン・フーダスから新たな産出は報告されていない。標本は今でも時折出回るがタマ数が乏しいので競争になる。結晶が大きく紫色の鮮やかなものは殊さら高嶺の(高値の)花である。

オハエラで紫色種を出すのは、サン・フーダスのほかにただテソロ・ドーセ(12の宝)脈のみである。結晶サイズは5mmを超えず、紫色は暗い。とはいえ産出が多いのか、お値段は手ごろである。

補記:このトピックに見るように、鑑賞標本(のみ)を目的とした鉱山採集活動には長期戦に耐える十分な資本の準備とプロフェッショナルな計画(そしてもちろん運)とが必要な場合がある。これはビジネスの世界であって、素人採集家の出る幕でない。採集された標本によって投資を回収し、大きな利益が上げられねばならない。逆に言えばこの種のプロジェクトは、売り先が見えていてこそ実行可能となる。
その観点からすると、最上級(いわゆる博物館級)標本を信じがたい価格で買い上げる博物館や「エリート」コレクターがあってこそ、ため息標本は世に現れるのである。そして我々一般のコレクターが、手の届くレベルのそれなり標本を迎えることが出来るのは、そのおこぼれに預かっているのである、ということも出来るわけだ。
もっとも、ないならないで、誰も困りはしないのだが(むやみな欲望を刺激されることもないから)。

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