789.アダム鉱 Adamite (メキシコ産)

 

 

Adamite

淡黄色透明のアダム鉱 −メキシコ、デュランゴ、マピミ、オハエラ鉱山産
紫外線による蛍光⇒アダム鉱

 

その昔、大西洋を股にかけたスペイン人たちはやらずぶったくりに中南米大陸を掌握すると、黄金熱に取りつかれて果てもなく山野を渉猟して回った(cf.ひま話)。今日知られる有名鉱山はたいていその時代に端を発するもので、メキシコのコアウイラ州にあるオハエラ鉱山も然り。砂漠の中に忽然と現れるこの山地はかつてアステカ帝国の領土だったが、遅くとも1598年には豊かな銀鉱(二次鉱物)が見出されて開発が始まり、それから300年近くの間、小規模ながら銀を主体とした採掘が続いた。
1893年に鉱山会社の管理となり米国系資本が入ると設備の近代化が進められ、山頂付近の平坦地に鉱山町が建設された。主縦坑に近くて便利だったからである。さまざまな都市機能が整えられたこの町で、 往時 2000人を超える労働者や、その家族たちが生活を営んだ。銀鉱のほか銅鉱や鉛鉱が掘り出されるようになり、歯車軌道の鉄道で4キロ離れた麓の町マピミに下され、処理された。深い峡谷の間を繋いで長さ 315mの長大な橋が渡された。谷底までの高さは 120m以上あり、当時世界で二番目に長い吊り橋だった。
しかし近代的採掘が始まれば、鉱山の寿命はそう長く保たない。1930年代には鉱脈が乏しくなり、品位は採算ラインを割った。やがて貯鉱が底を尽き、下部坑道に浸水も発生した。鉱山施設は1946年に放棄され、会社が雇った鉱夫たちは町を離れた。
その後は契約鉱夫による細々とした採掘活動が行われているが、鉱業的にはいわば落穂拾いの作業である。吊り橋や施設が遺構として残る傍ら、かつて賑わった山頂の町は今日ではすっかりゴーストタウンと化した。地下の迷宮は延長450kmに及ぶ。

とはいえ、鉱物愛好家にとってはむしろ20世紀後半こそが収穫期であった。1946年にラ・パロマ鉱脈レベル4でアダム鉱の巨大な晶洞が発見されると、オハエラは一躍メキシコ産標本の最大の供給源となった。黄、緑、ラベンダー色のアダム鉱、淡黄色のパラアダム鉱。3センチに達する雪白の異極鉱、タフト状の孔雀石を宿した方解石。鮮やかな海の色をした水亜鉛銅鉱、濃紅色の洋紅石。金色のレグランド石は世界最良の美晶標本で、長さ23センチに達するもの(「アステカの太陽」)が出た。赤紫色のサイコロ状蛍石、黄色やオリーブ色葡萄状のミメット鉱、6センチに達する藍銅鉱、などなど。鉱夫たちは標本を採集するとティッシュペーパーにくるみ、レタス用の箱に入れて保管し、発送した。
マピミの鉱山地域に産する鉱物種は 108種と数えられ(MR誌は117種と)、半世紀以上に亘って愛好家の煩悩を激しく刺激してきたが、そのほとんどはオフエラの橋の下に発するのであった。人はオハエラを「メキシコのツメブ」と呼ぶ(ちなみにツメブに産する鉱物は約250種)

サン・フーダス・チムニー脈の深部では今も採集が行われている。この縦状に伸びた脈の底、レベル5のあたりは1世紀前には水面下にあったが、現在の水位は 100mほど下がっている。 1981年にはレベル5より23m下で紫色のアダム鉱が発見され、2003年には当時の水面近くのレベル7に黄色アダム鉱と針状あられ石の晶洞が現れた。そこに達するには 蜿蜒 700m分の梯子を2時間かけて伝い降りるという。
ある意味で鉱物標本はマピミ地方の最後まで残った地中の宝物であり、21世紀に入ってもなお愛好家の耳目を引く新しい発見が続いている。

補記:オハエラの語源は諸説あるが、その昔の伝道師 ドン・ペドロ・デ・オフエラ (Ojuela) に因んで、あるいは山腹を穿つ小さな孔のようにみえる坑口を針の目(小さな目: ojuela)に喩えて、あるいは往時のスペイン人が含銀方鉛鉱の葉脈状の網目模様を呼んだ言葉 hojuela に拠るのだろうと言われている。

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