799.菱コバルト鉱 Spherocobaltite (モロッコ産) |
一般の(日本人)愛好家にとって、鉱物情報へのアクセシビリティは21世紀に入って驚くほどに良くなった。例えば鉱物種名のリストだが、以前はフライシャーの便覧を買ってチェックするのが常道で、ショーに行くとこの冊子を小脇に希産標本をあたっているマニアをよく見かけたものである。ゲットした鉱物名の前には赤鉛筆で印をつけてあったり、産地名の書き込みがあったりする。
問題は毎年数十件規模で新種が増え続けていくことと(今や5,000種超え)、数年毎に分類基準の見直しや種名の変更・統廃合が行われることで、アップ・トゥー・デートな情報は市井に紛れる個人愛好家にはなかなか届きにくいのであった。数年経って次の便覧が出るとどうしても手元の版と入れ替えざるを得ないが、そうとしてもその間の消息は、あるいは最新の状況は、つねに必ずしも分明と言えなかった。
今は IMAのマスターリストがネット経由で無料ダウンロードできる。学者さん方は識らず、一介の愛好家には夢のような時代だと思う。
さて菱コバルト鉱はコバルトの炭酸塩で、CoCO3
の単純な組成を持つ。方解石(カルサイト)グループの一つで、コバルトカルサイトとも呼ばれた。菱マンガン鉱や菱亜鉛鉱、菱鉄鉱などの(愛好家にとっては)メジャーな鉱物の仲間だが、本鉱は希産種である。結晶はミリサイズないしマイクロサイズで、Dana
8th
には「自形結晶はマレ。通常は放射状構造が確認出来る球状塊」と載っている。
No.342
に「菱コバルト鉱」のラベル付きで入手したコンゴ産標本を紹介したが、この類は後に詮議の的となって、コバルト成分が過半に足らない「含コバルト」苦灰石(ないし方解石)という観方に落ち着いた。そして2008年頃には「菱コバルト鉱」は存在しないというウワサも流れた。同年版の便覧で
sphaerocobaltite が discredited
(取り下げ)とコメントされていたのだ。
これも今にして振り返れば過渡的な状況に過ぎず、原産地ドイツ、シュネーベルクの標本はコバルトが過半を占めており、菱コバルト鉱は実在する。市場に出回るコンゴ産で実際にコバルトが過半のものは(ほとんど)ない。2010年頃からモロッコのブ・アジール産として出ているものはコバルトが優越した菱コバルト鉱である(しかも菱面体の自形結晶が出る)。といった情報に集約されそうである。
それから記載名の変更があった。これまで他の類似名称の種に合わせて
sphaero-(球状の)
と表記した慣用を「誤り」として抹消し、原論文が使用した
spherocobaltite を正式名に採用したのである。
現在の IMA マスターリスト(2016年11月更新)は
spherocobaltite を記載しており、IMA No./Year の欄は 1962年となっている(Dana
8th によると記載年は1877年)。菱コバルト鉱はあったのだ。
なお本鉱は高品位のコバルト鉱(鉱床)から二次生成するもので、コバルト華に似た(より鮮やかな)濃い赤紫色を呈する(色の淡いものはコバルト成分に乏しい傾向がある)。上の画像は母岩の空隙に生えた水晶上に着床した自形結晶で、母岩にはコバルト華もついている。