997.水晶 日本式双晶4 Quartz Japan law twins (日本産) |
19世紀、フランスのドーフィネ地方で最初に報告された傾軸式双晶は、一部の人々に、ガルデット式双晶、日本式双晶、ペルー式双晶などと呼ばれてきた。一般に通常の形態の水晶(単晶形状/共軸式双晶含む)に交じって稀に産するものとみなされるが、産出頻度は土地によって大きく異なり、ところによって夥しく出る(出た)ことも知られている。傾軸式ばかりで、単晶形状がむしろ少ないという産地もある。
日本において傾軸式双晶が発見されたのは 150年ほど昔、明治初期のことで、山梨県の倉澤/乙女阪、長崎県の奈留島ではかなりの量が採集された。
1897年(明治30年)に篠本二郎博士は、倉澤産の双晶が眼鏡の材料にされるのは学問上実に惜しいが、沢山出るから研究資料には事欠かない、といったことを綴られている(No.938
補記6)。間に合ってるなら、惜しまず眼鏡が必要な人に使わせてあげるが世のためであろう。
「水晶の日本式双晶に就て」(神津俶祐、渡邊新六。1937年)は、山梨県の水晶産地は金峰山の周囲
2〜3里の地域で、いずれも花崗岩に由来するペグマタイトに出るようだと述べる一方、最近訪れた時、双晶を産するのは乙女鉱山のみで、現に
2個採集したと報告している。当時はあまり出なくなっていたらしい。今日、同地産の双晶標本はレアアイテムで、プレミア価格で取引きされる。
神津門下の秋月博士は、乙女鉱山 B-C坑「下-2坑レベル」で観察された水晶の形態分布図を「山の結晶」に紹介している。戦後、荒川の東岸、すなわち倉澤側に(石英採掘のため)開かれた坑道で、南の谷合いの坑口から北に向かう。坑口から
200mほどまでが通称 B坑と呼ばれる石英の鉱脈で、幅 4-5mの脈が北東に向かって高さ
100m以上垂直に伸びていた。この脈には両錐水晶が多産し、柱面の短いものや板状水晶も多かった。続いて
200mの連絡通路を経て C 坑に繋がる。 C
坑では大形の水晶が多産した。
分布図によると、坑口付近の水晶は乳白色・両錐形で、錐面の尖った「等形晶癖」のものだ。先に行くと結晶はいくらか扁平になり、透明度が出て半透明(一部透明)になった両頭柱状晶癖(やや平行集合)〜両頭板状晶癖(不規則集合)のものが出た。一部の錐面が長く伸びた偏奇形の結晶も出た。
B坑の北端あたりでは半透明の、両頭式で柱軸方向に平行連晶したもの(烏帽子形)や、両頭短柱状晶癖のものが出た。この先は連絡道になって網状に分布する石英脈帯を通過する。脈中の晶洞に半透明〜乳白色で柱軸方向に長く伸びた柱状晶癖のものがみられた。そして傾軸式双晶が出た。さらに先の短い領域では透明柱状晶癖で肩の小面が発達した美晶(ドフィーネ式双晶含む)が特徴的で、次いで半透明柱状晶癖のものに変わって
C 坑に繋がる。C
坑では透明で大型の柱状晶癖のものが出た。
このように地点によって水晶の形態が異なるのは、まずは生成環境に違いがあったと考えられる。傾軸式双晶もやはり適した生成環境があり、それは単晶が長柱状に伸びるのと同じ条件だったのだろう。もっとも、明治中期に多産した場所ではどんな様子だったか分からないが。
一方、奈留島の産状は乙女鉱山と明らかに違っている。
上掲の神津・渡邊博士の論文は、「筆者の一人は明治四十年の交、五島列島の地質調査に従事した際、本鉱物の産地奈留島を実査するを得て多量の結晶を採集するを得た。」と戦果を誇り、産状は砂岩中の石英脈(幅
2-3cm 〜10cm)であり、ペグマタイト式の岩脈ではないと述べた。晶癖は山梨産と異なり、サイズも小さいのだが、双晶をなす割合が高い。
「主に双晶を産して、普通の結晶はかえって稀」と和田博士は述べ(1904年/cf.
No.996)、砂川博士は、比較的低温で不純物の少ない溶液から出来たと考えられること、もっと高温で出来たペグマタイトや気成鉱脈の産地(乙女鉱山など)よりも双晶の出現頻度が高いこと、珪酸分の濃い溶液からは双晶関係の結晶が多く生じる(核形成の段階で双晶となる)らしいことを推測している。
生成に適した環境は必ずしも一通りでないといえる。
さて、水晶の単晶(三方晶)が柱軸を芯とした対称的な六角柱・六角錐形頭部を理想としながら、実際にはさまざまな晶癖を発現するのと同様(cf. No.949)、傾軸式双晶も外観にさまざまなバリエーションがある。多くは平板状をなすが、発達する稜線の均衡によって、ダイヤ形、軍配形、ハート形、蝶形、V字(レの字)形、トの字形など豊かな表情を見せる。
二つ並んだ形が左右でタイプを違えていたり、成長の程度に差があったりする。柱面が傾斜している(傾斜柱面となっている)ものも珍しくなく、この場合は双晶の傾斜角(凹入部のなす角)が
84度33分より拡がって見える。
こうした形状は、双晶核が形成された直後(成長初期)から常に同じ傾向が維持されるのか、その時々でプロポーションを変えているのか、どちらかというと後者だろうと推測されるが、変化に普遍的な規則性(変遷の序列)があるかといえば、そうは思われない(私としては)。
「六角柱状から始まってV字形になり、さらに軍配形になる」という説があり、これを覆して「V字形の方が軍配形よりあとから現れるかたちになりうる」との説があるが、果たしてどうだろうか。前者は「凹入角効果」による成長(速度)理論に関連づけられ、後者は転位の存在によって活性する擬似凹入角効果が、凹部が錐面であるときは大きく、柱面が現れると激減するとの(実験観察に基づく)推論に関連づけられている。
これを推し進めて、奈留島産双晶のサイズと形状変化の呼応を仄めかす向きもあるが、一概に語りうるとは思われない。
奈留島産の双晶は研究試料として確保しやすいのか、さまざまな実験が行われてきた。
私が興味深いと思うのは、強度の放射線照射によって現れる燐光(アフターグロー)の発光色に二つの分域が認められたという報告だ。実験に用いられたのはハート形の標本で、双晶面に近い内部(下部)に軍配形の青白色発光を生じ、外側(上部)の二股の枝状部分は赤橙色発光を生じた。また熱蛍光を観察すると、内部にのみ軍配形の青白色発光がみられた。すなわち、この標本はある時点まで軍配形に成長しており、その後、ハート形に成長タイプを変えたと考えられる。不純物のアルミイオンの含有量を調べると、外側の赤橙色発光部には内側の青白色発光部と比べて
5-6倍の量が含まれることが分かった。ナトリウムイオンは全体に一様の濃度で分布していた。双晶形状の変化は、おそらく生成環境の変化に呼応して起こったものだろう。※1
またX線トポグラフ法によって、結晶構造の転位の分布や成長縞の間隔(成長速度比)を調べた報告がある。実験に供された軍配形標本は、双晶面に沿って左右に狭い幅で転位の集中した領域が存在していた。その左右外側の縦に長い領域で凹入部錐面の垂下にくる箇所は、さらに外側の領域(中・外縁側の錐面の垂下に入る箇所)と比べて成長縞の間隔が不規則に揺らぎ、倍ほど広かった。この領域は接合面に沿って通常より速い成長が起こったと推測されている。
またV字形標本では、内部に軍配形のコントラスト像が見られた。ある段階まで軍配形に成長し、その後V字形の枝分かれ部が現れた(凹入部が柱面で接するようになった)とみられる。※2
ちなみに、この実験で観察された双晶境界付近の転位は、ブラジル双晶ラメラの発達に導かれたとの報告が別にある。
ところで、もし軍配形からV字形への変化が、生成環境のなんらかの変化に呼応しているとすれば、ある時点以降に成長した、あるいは出現した双晶は、すべてV字形になっているのだろうか。軍配形は新たには出現しないのだろうか。軍配形の結晶が残って採集出来たのはなぜだろうか。
翻って、ある環境で
V字形から成長を始めた結晶は、環境の変化によって軍配形に変ることがあるだろうか?
産出箇所と双晶の形状を関連させてマッピングすると、V字形だけが観察されるエリアや、軍配形だけが観察されるエリアが分かれているのだろうか。あるいはランダムに入り混じることもあるだろうか。
私も研究してみたいものである。
画像は群馬県三ツ岩岳産の傾軸式双晶。3-4cmサイズの母岩に双晶が無数に生じた標本だ。各双晶のサイズは概ね左右 2-3mm以下で、奈留島産の普通に出回っているものよりずっと小さい。しかしそんな小ささで、凹入角部が長い柱面をなすV字形になっている。このような結晶が軍配形から変化したとはどうも想像しにくい。
※1 "Comparison of Radiation-Induced Colouration Images, Thermoluminescence, and After-Glow Colour Images with Aluminum Impurity Distribution in Japanese Twin Quartzes" Tetsuo Hashimoto et al. (1995)
※2 "X-ray topographic study of quartz crystals twinned according to Japan twin law"
T.Yasuda et al.(1982)
"Apparent re-entrant corner effect upon the morphologies of twinned crystals; A case sturdy of quartz twinned according to Japanese twin law" I.Sunagawa et al.(1983)