145.星状白雲母  Muscovite    (ブラジル産)

 

 

star mica muscovite

スターマイカ −ブラジル、ミナス・ジェラエス州イチンガ産

 

昔、ロシアはウラル山脈の西方にマスコヴィと呼ばれる土地(今のモスクワ)があって、山脈のペグマタイトから沢山の白雲母が採れた。その巨大な結晶を剥いで作った半透明の板は断熱性が良く、厳しい冬を迎えるヨーロッパでは、何百年にも亘って、格好の窓ガラス材として愛用された(補記)。以来、この種の白雲母をマスコバイトという。ついでながら、内戦時代のロシアでは透明な石膏板が窓ガラスの代用とされ、北極地方では、ガラスや石膏板が手に入らないときは、透明な氷の板を窓にした。

マスコバイトには、いくつかのバリエーションがある。マリポサイトは、カリフォルニアのマリポサ郡で見つかるクロムに富んだ青緑色の亜種で、しばしば金を伴って産する。フクサイトもまたクロムを含むために緑色を示し、小さなルビーを伴う(いずれもNo.144参照)。セリサイト(絹雲母)は珪酸アルミ鉱物から変成することが多い微粒の白雲母。ルビジウムを含む亜種と、マンガンを含むアラールジャイト(Alurgite)とは、どちらもきれいな赤〜ピンク色をしている。No.146のリチア雲母もよく似た色を示すことがあり、肉眼での区別はなかなか難しい。

板状の結晶は、あたかも紙を束ねたように重なっていることが多く、この種のものを英語圏では、”Books” と表現している。雲母は鉱物世界の知識が詰まった書物であり、薄くはがれる結晶の一枚一枚が本のページにあたるわけ。しかし、そのページに書かれた秘密を読み解いた人間は、まだ数えるほどしかいない。

写真の標本は、6つの角を持つ双晶で、スター・マイカと呼ばれている。

 

補記:1791年、イルクーツクからペテルブルクへ向かった大黒屋光太夫の旅路に見たトボリスクの風景として、多くの民家の窓が雲母張りであったと井上靖は書いている。(おろしや国酔夢譚 P219) 
桂川甫周の「北槎聞略」、巻10、物産の金石の項に、雲母はシリウタといい、ヤクーツク産がもっとも大きく上等であること、障子窓はみな雲母で張り、ガラス板より軽く、破損しないので非常によいことが述べられている。
フェルスマンは「おもしろい鉱物学」でイリメニ山地の雲母について、こう語っている。
「一八世紀の末、反乱したパシキール人に待ち伏せられ、カザフ人の襲撃におびやかされながら、コザックたちが生命の危険を冒してこの地に入り込んだのだった。チェバルクリ要塞に守られて、ここで、コザックのプルトフがすばらしい宝石と窓用の雲母とを探し当てた。しかしここに採掘所を設け、これらの石を稼行することは、すこぶる危険事業だった。それでも困難をのりこえて、剛毅な旅人たちが次々と入り込んでいった。」

cf. No.421 白雲母。 19世紀初には今日ガラスで作られている製品の多くが雲母で作られていた。モスクワ産の「マスコヴィー・ガラス」は有名で、J.D. Danaはこの名から鉱物名マスコバイト Muscovite を与えた(1850年)。雲母を窓に使ったランタンは、モスクワ・ランタン Muscovy lantern と呼ばれた。
ちなみに石膏の透明なものは「聖母マリアのガラス」と雅称された。cf. No.882 透石膏
「物類品隲」にオランダ語で「アラビヤガラスという」とある。

「清俗紀聞1」(東洋文庫)の「障子」の項に、「障子は紗あるいは縮緬または油引の紙にて張る。窓には明瓦(ミンワア)[あかがい]、雲母(インムウ)[きらら]、玻璃(ホーリイ)[びいどろ]等を用う」。 注に、「あかがいとは明るい貝の意で、カキガラ類をうすくみがいて半透明の板として竹片にはさみ窓にはめこんでガラス板のように用いたもの。雲母の板も同様にして用いた。」とある。 p.81

ヴェネチアではガラス工業は造船業と並ぶ古くからの伝統産業だったが、16世紀になると生産が頂点に達した。ムラノ島ではグラスやシャンデリアをはじめ、あらゆるものがガラスで作られた。鏡もクリスタルで作られた。砂時計は全市場を独占した。16世紀のヴェネチアでは各区ごとに一軒のガラス屋があり、窓ガラスが生活に普及したという。
その以前には教会などは大理石を薄く剥いだものを使い、一般の家では薄い布地を張ったものが窓だった。ガラス窓は政府の建物か富豪の家に限られていた。

補記2:雲母の名は中国から来たもので、本草綱目の釈名に「華容(湖北省)の方台山に雲母が出る。その地方では雲の発する処を見定めてその下を掘れば必ず沢山採れるという。長さ5,6尺、屏風に作り得るものもある。ただし採掘するときは声を立てることを忌む」とある。いわば雲のもとの物質と考えられたわけである。(雲母の根は陽起石とも。 cf.No.326 補記3)
抱朴子は「雲母を十年間服すれば、雲気が常にその人の上を覆う。その母を服して子を得るは理の自然」と述べる。cf. No.591 
ロシアは窓に作れる良品を多産したが、中国では屏風になるほど大きいものが採れたことが分かる。声を立てないのは、共鳴して割れるのを避けたのであろうか。

雲母の断熱性(耐熱性)もよく知られて、抱朴子は「他のものは埋めれば朽ち、火を着ければ焦げるが、五種の雲母は猛火中に入れて時を経ても焦げず、埋めても腐ちない。故にこれを服するものは長生し、水に入って濡れず、火に入って焼けず、荊棘を踏んでも傷つかない」と理詰めに解釈した。(それじゃ、飲んでも消化できひんやん?)
時珍は、古代の埋葬礼で棺に雲母を詰めて防腐処置をしたと述べる。この辺は「雲母の根」、すなわち透閃石(ホータン玉)と同じ効用である(というか混同している)。

ちなみに日本では福島県川俣の水晶山のペグマタイトを掘る珪石・長石鉱山から、昭和初期に巨大な黒雲母(鉄リチア雲母)が出た。ズリに捨てられているのを長島乙吉や理研の飯盛博士らが見て、雲母の採掘を要請、数百トンが回収された。巨大なものはタタミ一畳敷、重さ1トンに及んだといい、一緒に記念撮影した高博士の背と同じ高さがあったという。戦災で焼失した。(焼けるやん。)

西洋のマイカはラテン語のミカ mica (穀粒・パン屑の意)に由来し、(石の)小片を指して特定の鉱物を示すものではなかったが、やはりラテン語のミカレmicare (輝く)に通じて、キラキラ光る雲母を呼ぶようになった。ドイツ語のグリンメル Glimmer も同義。

追記:私のささやかな見聞によると、スター・マイカはいつでも愛好家に人気のアイテムで、ショーに顔を出すと、誰かが「スター・マイカありませんか?」と訊ねているのをよく耳にする。心得た常連のブラジル専門の業者さんは、たいてい標本を調達してきてお客さんを待っている(ない時もあるが)。白雲母はちっとも珍しい鉱物でないけれど、スター・マイカとなると話は別で、今のところブラジルのイチンガあたりが唯一の産地であるらしい。
詳しい産地名は必ずしもはっきりしないが、イチンガの近く、ジェニパポ地方のロディーニャ鉱山との説が最有力とされている。スター・マイカが米国市場に初めて現れたのは1970年代初とみられ、産地は不詳だがタクアラルの近くらしいと言われていた。その後、折々流れる標本は、アラスアイ付近の(ウルブ)ペグマタイト産、タクアラル付近のラブラ・ド・セレスティーノ採石場産、リアチョ・ジェニパポ産などと標識されてきた。ロディーニャ鉱山産との情報は、ブラジル標本に強いルイス・メンデスによるもの。
人気が衰えないためか息の長い商品で、70年代から今日まで、探せば見つかる市場環境が続いている。ちなみに先般出た学童向けの「岩石・宝石ビジュアル図鑑」(2019 学研プラス)は、雲母の代表例にこのスター・マイカ標本を掲げている。図鑑を眺めて育った子らは長じてきっとスター・マイカを求めるでありましょう。慶賀。慶賀。(2019.6.29)

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