872.ズデニェク石 Zdenekite (フランス産)

 

 

Zdenekite

ズデニェク石(水色) -フランス、カップ・ガロンヌ鉱山 ピラー10産

 

南フランス、と言えば港湾都市マルセイユ、バラ香水の町グラース。トゥーロン・ニース・カンヌ・(モナコ公国)といった陽光あふれる暖かなリゾート地の連なる沿岸地方(リビエラ)。我々にはなんとなくお洒落な、なんとなく憧れを抱きたくなる土地柄のイメージがある。90年代初には「南仏プロバンスの12ケ月」(1989)というエッセイ本が邦訳されてベストセラーに名を連ね、ちょっとした社会現象をもたらした。
読んでみれば、ミストラル(アルプスおろし)が吹き荒れ、厳しい冬の寒さと暑い夏の陽射しに曝されて、強大な自然の威力の下で大地にしがみついて生活してゆくところ、というしみじみ感が湧くけれど、それでもハイシーズンの景観の美しさには何ものにも替え難い魅力があるような、そんな気がする。美味しいワインとフランス料理に巡り合える気がする。
当時の欧米ではプロバンス・ブームが起き、この本を小脇にかかえた旅行者が殺到する「札所」のひとつになった、とあとがきにある。
私にとっては野田幹子の第三アルバム「蒼空の一滴(ひとしずく)」(1989)の名曲「コートダジュール」に歌われる紺碧海岸。「空と海が抱きあうところ」であり、いくつもの出来事が「なにもなかったように黙り込んでるこの海」を眺める海辺のカフカである。世界の縁であり、季節はいつも夏である。そこに夏への扉がある。
ちなみにリビエラの呼称は日本人には歌謡曲「冬のリヴィエラ」(1982)で耳に親しく、ミストラル(ミストレル)といえばやっぱり、「君の瞳は10000ボルト」(1978)であろう。地上に降りた最後の天使である。

そういう天国的・楽園的な土地で、90年代初には鉱物界にもささやかな新種発見ブームがあった。軍港トゥーロンから 12キロ東方の岬にカップ・ガロンヌ(ガロンヌ岬)という鉱山跡があり、さまざまな銅・鉛・亜鉛系二次鉱物が採集出来たのである。
この岬に鉱脈が発見されて商業採掘が始まったのは 1857年で、以来約60年、途中3度の休止期を挟んで経営者を交替しながら稼働された。泥質岩と砂岩の赤色岩塊からなる堆積層に、き裂や断層を通じて鉱化作用が起こり、酸化(富化)作用を受けて二次鉱物が生じていた。主鉱石は輝銅鉱銅藍砒四面銅鉱方鉛鉱で、孔雀石藍銅鉱などの炭酸塩や硫酸塩鉱物も採集された。
しかし珪酸分の浸透した鉱石は硬く、銅品位は低く、ほとんど利益を産むことのないまま、1917年を最後に採掘を終えた。ということになっている。金属銅や鉛のほか、地元のぶどう(ワイン)産業向けに銅の硫酸塩類を提供した。採掘鉱石の総量は推計2.5万トン(銅品位平均5%)、生産された銅は1,200トン、鉛は100トンという。
その後、地下の鉱廊はマッシュルーム栽培に利用されたが、銅の塩類が菌類に良いわけはなく、失敗を繰り返した。やがて鉱廊が放棄されると、その無人の空間に入り込んだのは民間の鉱物採集家や標本商たちであった。というのは開坑以来百有余年の間に大気と地表水を受けた風化が急速に進み、鉱廊の壁面や鉱柱はさまざまな二次鉱物(ポストマイニング・ミネラル)の宝庫と化していたからである。
あいにく産状の保護と保全を理由に 1984年に閉鎖されてしまったが、一方で公的機関の研究者たちがやってきて調査を行い、いくつもの新種を発見し、標本を流した。
カップ・ガロンヌに産する鉱物種は約139種、その3分の2が二次鉱物という。現在までに 14種の新鉱物が報告されている。80年代にペロー石 Perroudite (1986)、双子石/ジェミニ石 Geminite (1988)、90年代初には地名をとったカップガロンヌ石 Capgaronnite (1990)、プラデ石 Pradetite (1991) などが記載された。No.276で紹介したカメローラ石(1990)もここが原産地である。本鉱もまた調査採集された標本から発見された種のひとつで、1992年に IMA申請され、95年に記載論文が発表された。銅と鉛の水和砒酸塩に塩化ナトリウム(岩塩)成分が加わったような種で、組成式 NaPbCu5(AsO4)4Cl・5H2O。いかにも暖かい沿岸地方に現れそうである。組成的にラベンデュランレマンスキー石のカルシウム成分を鉛で置き換えたものに相当する。三斜晶系。硫酸鉛鉱オリーブ銅鉱、tsumcorite 類似の鉱物(鉛・亜鉛・鉄の水和砒酸塩)を伴った。フランス地質鉱物調査局の科学部長ズデニェク・ヨハンに因む。姓でなく名が使われたのは、すでにオーストリアのヨハン大公に献名されたヨハン石 Johannite (1830)があったため。
画像の標本は 95年に、その頃よくお世話になっていたオランダの標本商さんの通販で入手した。ラベルにピラー10 とあるから、北部鉱廊のどこか、No.10と標識された鉱柱に生じていたのだろうと思う。
ズデニェク石の記載後、(Na,Ca,K)Cu3(AsO4)2Cl·5H2O の組成を持つ類似鉱物マーナー石 Mahnerite もこの鉱山跡で発見された(1994)。同じくラベンデュラン・グループに分類される。

いったん閉鎖されたカップ・ガロンヌだが、そのまま朽ち果てるに任せるも芸がなく、地元共同体の肝煎りで 1994年に北部鉱廊の一部が公開されることになって、博物館を併設する鉱山テーマパークが整備された。プロバンス・ブームで訪れるバカンス客への新たな観光名所というわけである。

 

cf. No.527 カップ・ガロンヌ産の緑鉛鉱

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