ひま話 デンバー自然科学博物館 (DNSM)  その2 (2023.6.25)


鉱産資源の豊かなコロラド州は、かつて一攫千金を狙う山師たちの夢の国だった。夢見る人々は初め金鉱発見のニュースに惹かれて集まり、集落を作って住んだ。やがてほかの鉱産物も発見されたが、資源としての産量は金鉱をはるかにしのぎ、経済的にむしろより重要であった。

アメリカ人がコロラド州で最初に金を発見したのは 1807年、プラット川のゼビュロン・パイクと言われ、これは砂金だった。50年後、デンバー近くのチェリー・クリークでウィリアム・グリーン・ラッセルらが少量の砂金を発見した。新聞は希望的観測を交えてニュースを書き、1859年、パイクス・ピークにゴールド・ラッシュが起こった。数千人の人々が押し寄せた。彼らは川筋を辿って、砂金の原鉱脈を探して山脈に分け入る。翌1859年4月、ジョン・グレゴリーが今日のセントラル・シティの近くで最初の初生金鉱脈を発見した。さらに周辺の山地が探査されて、アイダホ・スプリングス、ジョージ・タウン、フェアプレイ、ブレッケンリッジ、ゴールド・ヒルなどに俄か鉱山町が生まれた。

1860年代、金鉱産地として熱狂に湧いたコロラドだが、僻遠の地ゆえに輸送コストは高く、選鉱設備は貧しく、そしてコストに合う豊かな金鉱は急速に採り尽くされてしまった。しかし埋蔵量の大きな銀鉱脈が発見されたことにより、1870年代には米国随一の銀産地として知られてゆく。ジョージタウン、アスペン、クリードなどの地域が栄えたが、全米最大の銀山キャンプといえばレッドビルだった。

それから 20年間、コロラド鉱山町は繁栄を続けるが、1893年の銀価格の下落を受けて閉山するヤマが相次ぎ、地域経済は低迷した。しかし 1890年にクリップル・クリークでテルル化金鉱の鉱脈が発見されて以降、この地域に新たなゴールド・ラッシュが起こった。上の画像は 1893年のクリップル・クリークの様子。
cf. ひま話 クリップルクリーク

1900年代に入ると労働争議が起こり、また20年代の世界恐慌により、金銀採掘業は困難な時期を迎えた。その後コロラド鉱業地域の主業は、需要の増えた鉛、銅、亜鉛の採掘に変わった。

珍しい自然テルルの結晶。ボウルダー郡ゴールド・ヒル、メルビナ鉱山産

軟玉(ネフライト)。コロラド州の北隣りのワイオミング州産のジェードか。ワイオミング州もロッキー山脈の懐にある土地。cf. No.514

自然金。カリフォルニア、プレイサー郡デマリア鉱山産

閃亜鉛鉱の一種、シャーレンブレンド(貝殻鉱石の意) イーグル郡ギルマン、イーグル鉱山産。シャーレンブレンドはブドウ球顆状に沈殿集積した亜鉛鉱石であることがよく分かる産状。cf. No.80

展示キャビネット こういう階段状の並べ方もキレイに見えまする

ベタホ石の見事な結晶 
カナダ、オンタリオ州バンクロフト、シルバー・クレーター鉱山産

ナトロカルサイトの結晶。cf. No.866

方沸石とセラン石のコンビネーション標本。モンサンチラール産
cf. No.437

水晶(石英)のキャビネット コロラド州は水晶標本にもいいものがある。

巨大な水晶群晶。キャンドル状というのかアーティチョーク状というのかロケット状というのか、株分かれ式に成長したもの。 一部の水晶の頭部には紫水晶(アメシスト)が松茸式に冠っている。cf. No.954
ちなみに左手奥に見えている暗青色のスラブ片2ケはコロラド産のラピスラズリ。

博物館には先住民族に関わる文化資料も蒐集されている。

博物館の近くにあったラピダリー・ショップのショウ・ウィンドウ。
翠色のアマゾナイトと煙水晶のアイコンが、さすがコロラド。

 

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