814.加水重石華 Hydrotungstite (ボリビア産) |
金属元素タングステンの存在にヨーロッパの人々が気づき始めたのは 1781年頃のことだったようである。ドイツでは昔から白錫鉱と呼ばれて、錫と鉄の鉱石とみなされた石があったが、精錬しても一向スズを回収できない厄介モノで、ウォルフラム(wolfram)とも呼ばれていた。 この石が混じると錫鉱石の歩留まりが著しく落ちてしまう、まるで狼のように(スズを)貪り啖う、と考えられたからである(cf. No.90/ No.154)。
ウォルフラムは実際にはマンガンとタングステンを含む鉱石(Wolframite:鉄マンガン重石)だが、18世紀中頃にはまだどちらの元素も知られていなかった。1761年、 J.G.レーマンはチンワルド(錫ケ森)産のウォルフラムを分析して、ガラスを紫色に着色するために使われる顔料マグネシア・ヴィトリアリオルム(Pyrolusite:軟マンガン鉱)に類似のものと報告している。黒マグネシア、マンガネシア、マンガニーズなどとも呼ばれて数世紀前から利用されてきた Pyrolusite は、1770年代には T.O.ベリマンや J.W.シェーレらの間で未知の元素の金属土(カルクス)であると考えられるようになり、1774年、ついに J.G.ガーンが還元に成功してレグルス(金属質)を単離した。新元素は当初、マンガネシウムと呼ばれた。マグネシウムが発見(1808年)された後に、紛らわしいのでマンガニーズ(マンガン)と改められたが、元は同じ語(地名マグネシア)から派生している。
そしてスペインのデ・エルヤル(デルイヤール/ルヤルテ)兄弟が、チンワルド産のウォルフラムを分析して、鉄とマンガンと未知の金属土(ウォルフラム酸)の化合物であることを認め、金属土を還元して小球状のレグルスを単離するのである。彼らは新元素をウォルフラミウム(ウォルフラム・レグルス)と呼んだ。1783年のことである。
これに先立つ1781年、 C.W.シェーレはスウェーデンのダーラナ地方の鉄山で発見された白色の「重たい石」(tungsten:
ツーング・ステァム/タングステン、後にshceelite 灰重石)を分解して、モリブデン酸に似るが性質の異なる未知の金属土(酸化物)を得ていた。ベリマンもまたこの酸性物質「タングステン酸」を見出した。デ・エルヤル兄弟はウォルフラム酸がタングステン酸と同じ性質のものであるとした。ほぼ同じ頃(シェーレより数か月遅れて)、彼らも「タングステン」を分解して「ウォルフラム酸」を得たのである。
シェーレは兄弟が「タングステン・レグルス」を得たことを賞賛した(兄弟のうち兄のファン・ホセは1782年にベリマンの下で試金術を学んでおり、この間にシェーレの知己も得ていた)。
こうした経緯によって新元素はウォルフラムともタングステンとも呼ばれたが、ドイツでは前者、イギリスやフランスでは後者が好まれた。次の世代の大鉱物学者ベルセリウス(1779-1848)は前者を支持したが、趨勢は後者に傾き、ただ元素記号としてはウォルフラムの頭文字Wが広まった。なお、ファン・ホセは師のベリマンが与えた名タングステンを好んだという。
タングステン土の還元は、当時の技術ではなかなか難しかったようだ。その融点の高さもあってレグルスは小粒のものしか得られず、指先で砕けるほど脆かった。兄弟はウォルフラミウムの利用法を見つけることが出来なかった。1786年にクラップロートは、自らの失敗の後、この金属を得るのに成功したのはただデ・エルヤル氏だけだ、と述べている。また彼らが得た金属が純粋なものかどうかも後まで議論が残った。
一方で R.E.ラスペは 1785年、「タングステン(鉱)」と「ウォルフラム(鉱)」から、少量の鉄しか含まないレグルスを得て、これらが鋼を硬くする性質を持つこと、レグルス自体がきわめて硬く、高熱に耐えること、良質の焼き入れ鋼のようにガラスを切断できること、工具鋼の改良に有用であろうことを報告している(彼の研究はデ・エルヤル兄弟とは独立に行われたらしい)。
さて、天然の酸化タングステン鉱について初めて報告したのはシリマンで
1822年のこととされる。コネチカット州レーン鉱山で発見された黄土(オーカー)で、組成
WO3
の無水物と考えられた。やがて各地に見出されて、ウォルフラム・オーカー、ウォルフラミン(wholframine)、シェーレザウアー(scheelsaure:シェーレ酸)などと呼ばれた。後にデーナは
Tungstite (タングステン石)の名を与えてこれらを統合した(1868年)。
1872年にカルノーは、フランスのメイマックに産する類似の黄土をメイマック石(Meymacite)と名づけた。この物質は水分を含んでおり、カルノーは
Tungstite
と水和タングステン酸の混合物とみなした。含水量が一定でなかったのである(後に亜種 ferritungstite として扱われる)。
後の鉱物学者はシリマンが記載した黄土も実は含水物だったと考えるようになった。1908年にウォーカーは、ブリティッシュ・コロンビア、サルモ産の純度の高い黄土が
WO3とH2Oの1:1水和物であることを示し、以降これが
Tungstite
の正しい組成として受け入れられた。つまり天然のタングステン酸は水和物として産するのが普通だと認められたのである。
タングステン黄土の含水比はしかし必ずしも1:1ではないようであった。20世紀初にはボリビア、オルロのカラカラーニ鉱山に産する黄土に2水和物が含まれるとの研究があり、後に再調査されて 1944年に Hydrotungstite として記載された。この鉱山では黄鉄鉱や輝安鉱を伴う鉄重石鉱脈の酸化帯にこれらの黄土が生じており、両者の物性(光学的特性など)は明らかに異なっていたのである。顕微鏡的にはいずれも微小な板状の結晶で、新鮮なものは緑色をしているが、空気に触れるとやがて黄色に変化してゆくと観察された。ただし組成式は tungstite の WO3・H2O に対して、H2WO4・H2O あるいは WO2(OH)2・H2O とされて2分子分の水分を含むものの単純な2水和物ではない。ちなみに2水和物 WO3・2H2Oは後にメイマックとコンゴ産のものが確認され、1965年にメイマック石の名で記載された(先にカルノーが命名したものとは別)。
Tungstite は灰重石や鉄重石などのタングステン酸塩鉱物が風化して生じる二次鉱物で、タングステン華ないし重石華と呼ばれる。美しい色を持つほかの金属二次鉱物(ニッケル華、コバルト華、亜鉛華など)と同様「石の花」のひとつといえる。
Hydrotungstite は加水重石華と訳されている。
この種の水和物はある温度以上になると水分を失うのが通例で、Hydrotungstite
は50℃を越えると水分抜けが始まり、80℃あたりで半量を失って、Tungstite
に変わってしまうという。これは普通に保管していても起こりうる現象で、mindat
を見ると、コレクターが所有するたいていの標本はもはや
Hydrotungstite でない、と不吉なことが書かれている(補記)。そこまでいかなくても、標本の表面はまず
Tungstite
化していると考えるのが穏当であろう(割れば内部に
Hydrotungstite が顔を覗かせる、という含みで)。
なお Tungstite の失水は 120℃以上で進行するとされ、こちらはまあ普通の保管環境では起こらないものと思われる。
補記:カラカラーニ鉱山は20世紀初(一次大戦の頃)に
800トンに及ぶ重石華/加水重石華がタングステン鉱石として採掘された場所で、すっかり採り尽くされて今日では痕跡すら残っていないという。
この鉱山の標本はすでに半世紀〜1世紀を経たものと考えられるから、さすがにカラカラーニなって加水重石華は残っていまい、というのが悲観派の観方である。
補記2:「ここで彼らは、錫鉱石を夾雑物の脈石からより分けているのである。とりわけウォルフラムはたくさん産出され、融解のさいに不測の事態を招くのである。」(ゲーテ「ツィンヴァルトとアルテンベルクへの旅」 1813年 木村直司訳)