815.灰重石 Scheelite (チェコ産)

 

 

Scheelite Zinnwald (cinovec)

灰重石 (下段は短波紫外線による蛍光)
-チェコ、ボヘミア、チンワルド(ツィーノベッツ)産

 

今日のチェコ、ボヘミア地方のクリシネ・ホリ山地(エルツ山脈)を流れ下る早瀬の下流域に、かつて錫石の漂砂鉱床があった。紀元前 500年頃には知られていたものらしい。この豊かな鉱床がやがて掘り尽くされると、鉱夫らは次第に上流の山域へ入り込み、ついにかのチンワルド(ツィーノベッツ)の初生鉱床に行き当たった。山脈の最高点をなす卓状高地は海抜約 850m、ドイツ国境からわずか2キロである。山錫(Bergzinn) がいつ発見されたかははっきりしないが、もっとも古い採掘記録は1305年のものという(補記)。1378年の古文書はこの地に鉱夫町があったことを記している。地方で栄えた鉱山町クルプカ(グラウペン)が衰退期を迎え、その鉱夫の一部がチンワルドへ移ったものらしい。別の一部はさらに北へ向かい、15世紀末にザクセン地方アルテンベルクの鉱山を拓いた。なおクルプカはその後盛り返して王家の直轄下に稼働を続け、「王の鉱山町」と呼ばれた。
チンワルド(ツィーノベッツ)の錫鉱山としての最盛期は18世紀で、1880年までには大きな鉱床はほぼ採り尽くされていた。しかしタングステンが発見され、この新元素を添加した鋼が強靭さを増すことが明らかになると、廃坑群のズリや切羽が新たな採掘の対象となった。それらはウォルフラマイト(鉄マンガン重石)とシェーライト(灰重石)の宝庫だったのである。1882年には3トンのタングステンが生産され、10年後には年産 35 トンに膨らんでいた。20世紀初にタングステン線電球が世を席巻すると需要はさらに増した。両大戦期にはイタリア、フランス、ロシアなどから送られてきた虜囚が、タングステン、錫、リチウム(チンワルド雲母から採った)の生産に従事させられたという。
これらの鉱石もまた尽きる時がきて、1978年にはチンワルドの鉱山はほぼすべて放棄されていた。その後、周辺地域に新たな鉱脈が発見されて稼働されたが、これも 1991年の夏に閉山した。以降新たな活動はないようである。

一帯は石英斑岩に貫入した巨大な花崗岩帯に生じた鉱床で、鉱化ステージは4段階あったとみられるが、錫石鉄マンガン重石灰重石チンワルド雲母、及びトパーズは、いずれも第一の石英脈期ないし第二期のグライゼンタイプの鉱化作用によって生じたとみられる。鉱脈の幅は 35cm〜2mに及んだ。

画像の標本は、年代ははっきりしないが古いもので(1世紀ほど前?)、ラベルから判断すると、ボンのクランツ商会がミシガン鉱山大学に売り、その後市場に還流したものと思われる。煙水晶の表面に数ミリ程度の灰重石が群晶している。
短波紫外線による蛍光色はやや黄色みがかった青色で、これは灰重石のタングステン成分の一部がモリブデンに置換されていることを示すようである。純粋な灰重石の蛍光色は青白色、モリブデン成分が増すほど黄色味が強まってゆく。ただこの標本の蛍光は(灰重石にしては)あまり強くなく、ほかの元素が蛍光を抑制しているようでもある。
ちなみに灰重石の品位を直観的に調べるために、さまざまな純度の(合成)灰重石サンプル・チャートが製作され、蛍光試験に用いられてきた。

補記:ボヘミア、エルツ山脈地方の鉱業は12世紀中頃に始まったといわれる。クルプカ(グラウペン)は中部ヨーロッパで錫を産出した最古の町とされ、「グラウペン錫」の名の興りである。

補記2:ゲーテに「チンワルドとアルテンベルクへの旅」(1813年)という科学的紀行があり、このあたりの鉱床の成り立ちや採掘の様子について書かれている。チンワルドではザクセン側に14の鉱坑があり、ボヘミア側にはもっとあるが通行できるのは6つだけだ、とある。アルテンベルクについては 1620年の大きな崩落事故を取り上げ、36あった鉱坑のすべてが36の巻き上げ機と共に埋没した原因を次のように述べている。アルテンベルクは山全体に錫鉱石が散在しており、特別に鉱脈というものがないので、岩石をすべて採掘して破砕し選鉱する必要があった。そして生じた空間を充填することが出来ないので柱の代わりに堅い岩石を残していたが、各鉱坑がそれぞれ独自に採掘して山全体のことを顧みなかったために、空洞化が甚だしく進行して崩落に至ったという。
ファールンの大崩落と同じことである。しかしこの結果、鉱山関係者は統一事業体を作ることになり、またきわめて硬い岩石が崩落で全体的に粉砕されたので採掘がやりやすくなったという。(硬い大きな岩石には火を使った。) アルテンベルクはザクセン領内にあり、ゲーテはこっそり徒歩で国境を越えて鉱物商を訪ねた。

ちなみにゲーテはグライゼンを石英と雲母とからなる(長石を欠いた)岩石として扱っている。「それは錫の形成と緊密な親近関係がある。なぜなら、それは錫石に浸透されているからである。たとえ量塊全体でなくても、それらは部分的に貴重な成分とみなされている。垂直の鉱脈がそれらを縦断し粗雑な錫石で満たしているが、それらを岩石類そのものと一緒に成立した始原鉱脈に数えてもさしつかえないであろう。この粗雑な錫石はその内部の深いところまで結晶化しているが、外部に向かっては量塊として無形である。それに対しやはり欠けていないのは別の結晶で、これらは鉱脈の隙間や後代の空隙に形成され、グラウペン錫の名前で知られ愛好されている。」(「錫の地質系統」 1813年 木村直司訳)
クルプカ(グラウペン)の錫ははっきりした鉱脈をなし、自形結晶が見られるが、アルテンベルクやシュラッゲンヴァルト(ホルニ・スラブコフ)のグライゼン鉱床では錫は分散的に存在して鉱脈をなさないというのである。

 

cf. No.813 マラヤ石(灰重石)、 No.814 加水重石華

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