815.灰重石 Scheelite (チェコ産) |
一帯は石英斑岩に貫入した巨大な花崗岩帯に生じた鉱床で、鉱化ステージは4段階あったとみられるが、錫石、鉄マンガン重石、灰重石、チンワルド雲母、及びトパーズは、いずれも第一の石英脈期ないし第二期のグライゼンタイプの鉱化作用によって生じたとみられる。鉱脈の幅は 35cm〜2mに及んだ。
画像の標本は、年代ははっきりしないが古いもので(1世紀ほど前?)、ラベルから判断すると、ボンのクランツ商会がミシガン鉱山大学に売り、その後市場に還流したものと思われる。煙水晶の表面に数ミリ程度の灰重石が群晶している。
短波紫外線による蛍光色はやや黄色みがかった青色で、これは灰重石のタングステン成分の一部がモリブデンに置換されていることを示すようである。純粋な灰重石の蛍光色は青白色、モリブデン成分が増すほど黄色味が強まってゆく。ただこの標本の蛍光は(灰重石にしては)あまり強くなく、ほかの元素が蛍光を抑制しているようでもある。
ちなみに灰重石の品位を直観的に調べるために、さまざまな純度の(合成)灰重石サンプル・チャートが製作され、蛍光試験に用いられてきた。
補記:ボヘミア、エルツ山脈地方の鉱業は12世紀中頃に始まったといわれる。クルプカ(グラウペン)は中部ヨーロッパで錫を産出した最古の町とされ、「グラウペン錫」の名の興りである。
補記2:ゲーテに「チンワルドとアルテンベルクへの旅」(1813年)という科学的紀行があり、このあたりの鉱床の成り立ちや採掘の様子について書かれている。チンワルドではザクセン側に14の鉱坑があり、ボヘミア側にはもっとあるが通行できるのは6つだけだ、とある。アルテンベルクについては
1620年の大きな崩落事故を取り上げ、36あった鉱坑のすべてが36の巻き上げ機と共に埋没した原因を次のように述べている。アルテンベルクは山全体に錫鉱石が散在しており、特別に鉱脈というものがないので、岩石をすべて採掘して破砕し選鉱する必要があった。そして生じた空間を充填することが出来ないので柱の代わりに堅い岩石を残していたが、各鉱坑がそれぞれ独自に採掘して山全体のことを顧みなかったために、空洞化が甚だしく進行して崩落に至ったという。
ファールンの大崩落と同じことである。しかしこの結果、鉱山関係者は統一事業体を作ることになり、またきわめて硬い岩石が崩落で全体的に粉砕されたので採掘がやりやすくなったという。(硬い大きな岩石には火を使った。) アルテンベルクはザクセン領内にあり、ゲーテはこっそり徒歩で国境を越えて鉱物商を訪ねた。
ちなみにゲーテはグライゼンを石英と雲母とからなる(長石を欠いた)岩石として扱っている。「それは錫の形成と緊密な親近関係がある。なぜなら、それは錫石に浸透されているからである。たとえ量塊全体でなくても、それらは部分的に貴重な成分とみなされている。垂直の鉱脈がそれらを縦断し粗雑な錫石で満たしているが、それらを岩石類そのものと一緒に成立した始原鉱脈に数えてもさしつかえないであろう。この粗雑な錫石はその内部の深いところまで結晶化しているが、外部に向かっては量塊として無形である。それに対しやはり欠けていないのは別の結晶で、これらは鉱脈の隙間や後代の空隙に形成され、グラウペン錫の名前で知られ愛好されている。」(「錫の地質系統」 1813年 木村直司訳)
クルプカ(グラウペン)の錫ははっきりした鉱脈をなし、自形結晶が見られるが、アルテンベルクやシュラッゲンヴァルト(ホルニ・スラブコフ)のグライゼン鉱床では錫は分散的に存在して鉱脈をなさないというのである。