863.アンミン石、シーロフ石 Ammineite, Shilovite (チリ産) |
チリからペルーにかけての南アメリカ大陸西岸海域は南極から北上してくる寒流が卓越して流れている。水深 200m以下の沿岸部には湧昇流(ゆうしょうりゅう)が生じて深層流が海水を撹拌しながら昇ってくる。そのため海面温度が下がり、水分蒸発が抑えられるので沿岸地方の降雨はきわめて乏しい(補記1)。高気圧が恒常的に居座る亜熱帯高圧帯は特に乾燥した砂漠気候を呈する。南回帰線直下のアントファガスタは年平均気温16.5℃(北緯35度の大阪並み)、年間降水量2ミリ(大阪 1,279ミリ)の港湾都市で、銅鉱石の主要積出し港。その東方のアンデス山脈の麓までの高原地帯がアタカマ砂漠である。
この寒流(ペルー海流/フンボルト海流)に生じる湧昇流は海底の地質に含まれる無機塩類や沈降した海生生物の遺骸を海面にもたらすので、表層水がケイ酸塩、リン酸塩、硝酸塩などの栄養塩類に富む。植物性プランクトンや海藻が繁殖し、これを餌にする動物性プランクトンが繁殖する。食物連鎖で魚が繁殖し、海鳥も繁殖する。
海鳥は沖合の岩礁や本土の海崖に営巣する。ここで排泄物が長い間にどんどん溜まって化石化し山をなす。かつてモチーカやインカの人々はこの鳥糞化石をフアノと呼んで、定期的に採取して畑に施肥した。19世紀にはヨーロッパやアメリカに肥料用に盛んに輸出された。英語にグアノと言う。
グアノは窒素質に富むものと燐酸質に富むものとに区分されるが、乾燥気候下のペルーやチリのグアノは概ね窒素質である。1840年から1880年にかけてペルーの最大の輸出品であった。当時、窒素肥料源にはグアノと共にチリ硝石も重用されたが、20世紀に入ると空中窒素の固定法が開発されて、すっかり両者のお株を奪った。(cf.
硝石とチリ硝石について)
ちなみに燐酸肥料としては19世紀後半以降、世界各地に発見された燐灰石の鉱床が重要な資源となったが、太平洋島嶼地域ではグアノ資源の枯渇後、グアノと珊瑚礁との反応で生じたリン鉱石が、そのまま利用できる天然肥料として、20世紀に入っても(採り尽くすまで)採掘され続けた。
ペルーでは19世紀半ば、中部沖合のチンチャ諸島やタラパカ地方(硝石戦争(1979-84)までペルー領、その後チリ領)の海崖にグアノを掘る鉱山がいくつも開かれた。イキケ港から80キロほど南のチャナバヤにあるパベジョン(パビリオン)・デ・ピカ
(cf.No.862
の地図参照)はその一つで、小さな入江の南側に岬をなす天幕のような形の丘である。このあたりでは初めは囚人や脱走兵を、やがて中国からの契約移民を酷使してグアノを掘った(一人一日あたりの採掘ノルマが5トンだったという)。積み込みを待つグアノ運搬船で入江が埋まった。
21世紀に入って、丘の下部の洞内から極めて珍しい組成の銅鉱物が発見された。というのは、黄銅鉱を含むハンレイ岩の基岩の上にグアノが堆積したため、激しい砂漠気候や鳥糞に宿ったバクテリアの作用とあいまって、風化した銅成分と窒素成分(アンモニア、硝酸、アゾレート等)とが結びつく、天然には稀れな鉱化現象が起こったらしいのである。(硝化バクテリアはふつう銅イオン存在下では活動出来ない。)
ドイツの鉱物学者・標本商グンナー・フェアバーは
2007年4月、くだんの洞内で鮮やかな空色の鉱物を採集した。標本はオーストリア、グラーツの博物館ヨアネウムで分析されて、翌年、組成式
CuCl2・2NH3
の新鉱物アンミン石として記載された。(cf. ヨアネウム2)
このタイプの組成は右項に水分 H2O
が入って水和物や水酸化物をなすのがならいだが、アンミン石では(おそらく高濃度アンモニア水中で)アンモニアによる親和が優越して銅のアンミン錯体を形成しているのである。天然の錯体鉱物が発見されたのは初めてのことで、本鉱の名の由縁となった。(補記2)
砂漠気候下で銅鉱が風化して生じる二次鉱物としてはアタカマ石
Cu2Cl(OH)3 やアントラー石 Cu2+3(SO4)(OH)4
が思い浮かぶが、アンミン石はアタカマ石、塩化アンモン石
NH4Cl、 ダラプスキー石 Na3(SO4)(NO3)・H2O
等と共産する。アタカマ石における水分の代わりにアンモニアが入ったものとみれば、遠からずと思われる。これらが塊状の岩塩
NaCl 脈中に見出された。
この時、グンナーはアンミン石に伴って濃青色の鉱物も採集していたが、新鉱物としての記載情報を揃えることが出来なかったという。2012-13年にドイツの鉱物愛好家ゲルハルト・ムーン(Möhn)が産地を訪れて、丘の北側急斜面の下部で採集を試みた。彼はいくつかの興味深い標本をロシア科学アカデミーに提供し、ニキタ・チュカノフ博士を中心に分析が進められた。そして濃青色の鉱物は
2014年に組成式 Cu(NH3)4(NO3)2
の新鉱物シーロフ石として記載された。テトラアンミン銅錯体の硝酸塩で、類似の成分・構造の合成物がすでに知られていたが、天然では初めての発見だった。
その名はロシア科学アカデミーのメンバーで窒素化学に大きな貢献をしたアレクセイ・E・シーロフ(1930-2014)に献名された(没年が記載年と同じだが、本鉱承認の1週間後に亡くなられたという)。
ところでアンモニア中の窒素はマイナス3価の電荷をとる。一方硝酸基ではプラス5価である。天然の環境で果たして両者が同時に生成しうるのか?という疑義が
mindat
のフォーラムに寄せられ、銅を採掘する時に鉱夫が硝石火薬を使用したのではないか、採掘したグアノを鉱脈の上に撒いたのではないか(人の手が加わって生成した物質ではないか)と問われた。これに対するレスとして、グアノ採掘は爆薬を使わずに行われたこと、基岩には亀裂が入っており粉末状のグアノが詰まっていること(天然環境で生成したと考えられること)を、グンナーが述べている。
ちなみにイキケ県のケブラダ・ブランカ鉱山の底部では、ドリル孔に詰めた火薬に由来する鉱化作用により、テトラアンミン銅の錯体が検出されているという。
画像はアンミン石とシーロフ石を含む標本。岩塩は霜柱状で部分的に融蝕しており、画像の面でアンミン石が露出している。アンミン石は保存性の芳しくない鉱物で、大気中にあるとあっさり変質してしまうようだ。入手当初は鮮やかな空色だったのがすっかり緑色に変わってしまった。アンモニアが抜け、吸湿して(水中で不安定)、アタカマ石化したように思われる。岩塩に包まれた部分はまだ空色を保っているが。
シーロフ石もまた保存性に難があり、常温環境で大気に曝されると数週間でアンモニア成分が飛び、完全に分解してしまうという。水溶性で、溶けてpH9のアルカリ溶液となる。ああ、こわや、こわや。
これから標本を入手しようという方は、なるべく岩塩に封じられたものをチョイスされるのがよい。
アンミン石はその後、イタリアのベスビアス火山やアリゾナのマリコパ郡からも報告されているが、シーロフ石は今のところパベジョン・デ・ピカが唯一の産地である。ヨアネウムとロシア科学アカデミーは、この産地の標本からほかにもいくつかの珍しい鉱物を記載した。
補記1:中長期的な周期でペルー海流の北上が弱まり、替って暖流である赤道反流がペルーからチリ沿岸に南下してくることがある。この現象は数年ごとに起こり、海面水温が上がって(いわゆるエルニーニョ現象)蒸発量が増えるため、沿岸に激しい降雨をもたらす。海では環境の激変によってプランクトン類や魚類の多くが死滅し、沿岸に遺骸が打ち寄せる。腐敗によって海水の硫化水素濃度が異常に高まることもある。
補記2:アンミン錯体の鉱物としては、南ウラルのチェリヤビンスク炭田のボタ山が発火して生じた、組成式 Zn(NH3)2Cl2 の鉱物がアンミン石(アンミナイト) Amminite の名で 1991年に報告されている。ただ人の手が加わったプロセスで生じたものとして、 IMAの承認する鉱物種にはなっていない。チリ産のアンミン石(アンミンアイト) Ammineite はこの綴りを避けたのだろうが、少し発音しづらい。 cf.No.871 (ポストマイニング・ミネラル)
補記3:2017年末頃、チリ、アントファガスタのmajillones 半島で青水色の塩化アンモン石が採集された。後にアンミン石と標識された。(塩化アンモン石、アンミン石、 lenontite の混合物かもしれない。)