928.水晶 Quartz (日本産) |
ネット上の記事の引き写しであるが、1892年(明治25年)6月11日の読売新聞にこんなユーモラスなコラムがある。
「我国における水晶は甲斐及び美濃に産すとありて、その最良なるは甲斐の国にあり。甲斐の国には御岳(みたけ)、岳守(たけもり)の両山すなわちその産地なれども、その精良なるものは御岳山のものなりと。なおもっとも岳守産のものにも良質なきにはあらざれど、多くは珠に草虫または他の濁りを含みて、概して御岳山のものの上位に置く事あたわずとなり。
去る頃東京の玉匠、水晶仕入のため甲府へ赴きしに、水晶舗の職人誤りて名壁(めいへき)を毀ちたりと嘆息すると聞き、立ち寄りてみれば……かの岳守産水晶に裸虫(はだかむし)含めるとをかき損じたるなりけり。さてまた惜しきことしてけりと、その虫を手に取り見るに、忽ちムクムクと這い出づるは愈々不思議なりと、いずれも舌を巻ける事ありしが、これより岳守産の含蟲珠に価値を持ち(その虫の皆活けりと言うより)、かかる稀ものなればはるかに御岳山のものにも増す事ありとなん…」(文字遣いは現代調に改めた)
明治時代、山梨県では金峰山の南側や塩山竹森の神社の奥山で、盛んに水晶が採掘されていた。金峰山の水晶は透明で美しいものが多く、御岳昇仙峡の北にある御岳の集落や麓の甲府の町で細工されて全国に流通した。御岳山の水晶というのはこれだろう。
甲州竹森では透明なもののほかに、淡褐色の電気石や暗緑色の緑泥石や雲母の類を含むものが多く出た。岳守の水晶と書かれたものだろう。
古来、水晶は水精と記されて、澄んだ水の凝ったものと伝えられた。光を集めるように磨いたものは火取り珠(火精珠)と呼ばれた。いずれも濁りやキズのない無色透明の良材が重宝されて、明治時代には印材や緒締め、飾り玉に用いられた。眼鏡の玉にも作られたし、花瓶や五重の塔のような美術品にも作られた。そうした需要の中では不純物を含む水晶はあまりいい値がつかなかったのかもしれない(補記2)。そこで一計を案じた商人たちが、上のオハナシを広めて竹森の水晶を売り込んだ…と思えば、これはなかなかよく出来たエピソードである。宝石の宣伝にはこうした眉唾のお話が、なくてはならないものなのだ。実際、草入りの水晶印材は普通の水晶より高値で取引きされることがあった。買い手に草を景色と見させたのである。後には「天然石の証」という言い方もされた。
記事中に「草虫または他の濁り」とあるが、山梨産によく見られるのは根元側に細針状の緑閃石を含んで緑色に見える「草入り」水晶(水精)で(緑れん石を含むものもあるという)、褐色の苦土電気石の細針が箒状に掃いたものは「ススキ入り」と呼んで区別された。竹森の水晶は「ススキ入り」が多く、また黄鉄鉱、緑泥石、雲母類、硫黄、輝安鉱を含むことがあった。板チタン石や鋭錐石等の二酸化チタン類とも共産する。電気石をススキの草むらとして、その間に懸ったモコモコした藻状の雑物を草にとまる虫と見れば、含蟲珠の見立てとなる。
草虫という言葉は一般の辞書を引いても出てこないが、コオロギやバッタ、キリギリス、スズムシ等が想像される(しかし裸虫というのは羽を持たない類だろう)。そんな虫が水晶の中に入っていて割ると這い出てくるわけは科学的にはないが、そう言い立てて面白がるところが日本人の善き心性であろう。余談だが臭虫(クサムシ)はナンキンムシのことである。竹森の水晶を欠くと、硫黄臭とともにそんなビミョウな虫臭い匂いが立ったのかもしれない。
山梨(甲斐国)の水晶は江戸時代からすでに需要があり、幕末には横浜開港によって海外からの需要が見込めることも分かっていた。維新以降は明治政府が採掘を奨励したこともあり、金峰山の黒平等では明治2年から試掘が始まっていた。竹森は明治6−8年頃から始めて45年にかけて大量の水晶を掘り出した。当初は無色透明のものを目当てに掘ったがその量は少なく、やがてススキ入りなど雑物の混じるものが増えた(※南面の表山に良質の原石が出て、裏の北面はススキ入りが多かったという)。そのため雑物混じりの水晶を(付加価値をつけて)捌く手立てが必要になったと思われる。
cf. 水晶の話 No.929 水晶(古代の山梨産水晶利用) No.928〜No.937まで山梨県産の水晶のトピック
No.937 水晶(乙女/ 補記2 竹森産の水晶の特徴)
補記:「クサカゲロウは草カゲロウではなく、臭カゲロウが本当のところであるらしい。」(奥本大三郎「虫の春秋」<ミクロのステゴザウルス>より)
補記2:篠本二郎博士は甲斐金峰山産の水晶についての報文の中で、「屑状包嚢物夥しく入りたるものは琢玉商の忌む所にして俗に之を馬糞(※マグソ)という。」と記している。雑物入りの水晶は売り物にならない(買い手がつかない)類だったと思しい。
補記3:益富「鉱物」(1974)は、「甲府や金峰山方面の人々は薄入り(すすきいり)、草入り、苔入り、綿入り(※わたいり)などと包有物のようすで適当によんでいる。ほかに露入り・星入り・金入り・硫黄入りというのもある。」と記している。
博士の解説によると、竹森産の草入水晶を土地の人は薄入りと称し、日本では草入りの典型、電気石の針状結晶が入ったもの。山入りは草入りの一種とみなせる。山が何重も累重するのが「ファントム・コーツ」「まぼろしの水晶」で水晶峠から産する。綿入りは「白い綿状の角閃石族の石綿」「露入りは白色鱗状の白雲母、葉の上にとまっている露のように、水晶内でキラッと光る」「星入りは微細な白雲母が集まって球状をするもの、金入りは黄鉄鉱の小さな結晶を含むもの」とある。
なお大分県尾平鉱山の「緑泥石族の鱗状鉱物がマリモのように球状に集まって」いるものを星入水晶と呼んでいる。今日では「まりも入り」と呼ぶのがポピュラーか。(cf.No.320) 星入りの名は
No.311のホランド鉱入りに譲られた。
これだけ名称が並びながら、「蟲入り」がないのがフシギである。「中の虫が生きている」なんという説は、土地の人でも(後になると)ちょっと恥ずかしかったのだろうか。
なお、「草入り水晶」の名は、和田維四郎「本邦金石略誌」(明治11年(1878))に、「此種の石中他石を混有するものあり、緑繊石 Actinolite を以て最も多しとす、即ち緑色の繊維状を含有す、俗に草入水精と云うもの是なり」と紹介されており、明治初期には世間に知られていたことが分かる。
補記4:「草入り水晶は翌日見せられました。いかにも! 煙ったような色でした。しかしその内部に窺われるものは、草というより虫でした。」(稲垣足穂「水晶物語」より)
補記5:「あらっ これ いただいたの?」 「そうよ 水晶ですって」 「ああ…中に虫とか入ってるのね」 「それは琥珀でしょ」 「そう…? でもくもってるわよ」
…「ほんと…変な形…やだわねえ なんだか小さなクモみたいに見えるわ」 (今市子「百鬼夜行抄/
Ep..南の風」より)
補記6:「水晶などにしても、近頃はチリから沢山輸入されるが、日本の水晶に比べると、チリのはあまりきれいに透きとおり過ぎている。昔からある甲州産の水晶と云うものは、透明の中にも、全体にほんのりとした曇りがあって、もっと重々しい感じがするし、草入り水晶などと云って、奥の方に不透明な固形物の混入しているのを、寧ろわれわれは喜ぶのである。」(谷崎潤一郎「陰翳礼賛」より)
…ここまでいうと、大分、贔屓の引き倒しの感じがある。大体、チリ産(?)を輸入して(高品質と謳って)売っていたのも甲州の水晶屋さんなのだ。