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鉱物の識別にあたって、自形結晶は重要な指標とみなしうる。
結晶形はふつうその鉱物の分子構造を反映しているので、外形によって結晶系の違い、そして鉱物種の違いを判断出来る場合があるからだ。
例えばその形状から結晶系の違いが見てとれる2つの標本があれば、ほかの性質(色や硬さ、へき開など)が酷似していたとしても、ひとまずそれらは別の種に属するものと考えられよう(仮晶などは別)。
一方、同じ種(あるいは結晶系)の結晶がつねに一定の形を示すわけでないことも一般的な事実である。
雪の結晶のように針状、六角板状、雪印状、柱状など、生成時の環境条件によって異なる姿をとる例は鉱物にはむしろ普通のことで、特定の面(方向)が優越して成長することによって、理想形から大きく外れた結晶もある。例えば普通は六角柱状である水晶にサイコロ形の珍品がある。結晶の見かけの多様性は非常に大きく、ときには同じ鉱物と信じられないほどだ。赤銅鉱と針銅鉱のように。
またひとつの結晶に、すべての結晶面が理想的に出現することは稀であるし(なので、結晶形をみて産地を推測できる場合がある)、双晶も普通に生じる。
ニコラス・ステノが観察した「面角一定の法則」は自形単結晶に関してほぼ原則的に適用される規則だが、我々の眼に映る結晶の印象は面角よりもむしろプロポーションによって大きく左右される。
結論を言えば、体系的によく訓練されていない限り、形状による種の判別は必ずしも容易でないのだ(実際に面角を評価するのは結構大変だ)。
若林鉱は砒素とアンチモンの硫化物で、群馬県の西ノ牧(にしのまき)鉱山で発見された。この鉱山は砒素を目的に稼行され、精錬された砒素は花火の原料などに用いられた。産出鉱物は当然砒素を含むものが多く、鶏冠石、石黄(Orpiment)、輝安鉱などがあった。
若林鉱は石英の晶洞中に針状〜繊維状結晶で産し、石黄と同じ鮮やかな黄色を示すため、針状の石黄(雄黄)と考えられていた。
鉱山が閉山して随分経ってから「針状雄黄」に疑問が持たれ、成分分析が行われた。そして硫化砒素である石黄と違い、アンチモンをも含む別種の鉱物であることが分かったのだった。
その経緯について私は詳らかにしないが、もともと黄色針状の鉱物を石黄としていた人たちは針状の石黄があってもおかしくないと考えたのだろうし、また別の人たちは、この産状で石黄が針状を示すのはおかしいと考えたのかもしれない。
若林鉱の報告があったのは 1970年のことで(1969年IMA承認)、化学分析値や結晶構造のX線粉末解析値などのデータは西ノ牧産の標本でなく、米国ネバダ州
ホワイトキャップ鉱山産の標本に拠ったという。西ノ牧産はそうしたデータを採るには不向き(ばらつきが大きいなど)だったのだろうか。
本鉱の名前の由縁である若林弥一郎博士(1874-1943)は三菱鉱山の技術者で、標本収集家として知られた人物である。氏の標本 1,932点は還暦を機に母校、東京大学理学部鉱物学科へ寄贈された。その後、1966年に総合研究博物館へ移管され、同館で整理・研究が行われたが、そのときになって、コレクション中、西ノ牧鉱山産の「雄黄」のラベルのついた標本が、実は若林鉱だったことが明らかにされた。若林鉱について語られるとき、このエピソードは好んで引用されるので、私も付言しておく次第。
上の標本はネバダ州産のもの。現在出回っている標本はたいていネバダ州産である。記載にあたって上記の経緯があるためか、アメリカの標本商さんは本鉱に妙に思い入れがある、というか、アメリカ産の新鉱物という(原産地は日本であっても、本場はアメリカ、みたいな)アタマがあるように感じられる。少なくとも珍しいものであり、国際的にアメリカ産しか出回っていないことは確かだが(⇒最近はフランス産やキルギスタン産もある。追記参照)。
若林鉱には弾性(可撓性)があり、曲げても破断しにくいそうだ。が、この標本はあまりそんな気配が感じられない。(ちなみに石黄にも弾性がある)
cf. No.10 鶏冠石
追記:この標本はかつて東京にあったBT社から購入したもので、標本ラベルに若林鉱とあるが、その後の市場の成り行きを見ると(また
mindat
の産地情報を見ると)、三日月渓谷のサルファ・ピットに産する鉱物種は硫黄、シデロナトライト(曹鉄石)、メタシデロナトライト(メタ曹鉄石)の3種のみらしい。今日、このテの標本は
metasideronatrite として流通している。
曹鉄石は Na2Fe3+(SO4)2(OH)・3H2Oの組成、1878年にチリの砂漠地帯タラパカ、サン・シモン鉱山から報告された。メタ曹鉄石はその1水和物で、やや脱水したものにあたる。1938年、チリのチュキカマタから報告された。いずれも硫酸塩二次鉱物である。
希産。
一方、若林鉱は組成 (As,Sb)11S18の硫化鉱物。
ネバダ州白帽鉱山は石英中に含まれる自然金を採った金山で、
1905年に開かれて小規模の採掘が行われた。20世紀前半、石英の空隙中に、放射状に集合した輝安鉱の良品を産し、12cm長さに達するものがあった。方解石、石黄、鶏冠石、辰砂、蛍石などと共産した。1950年代に新たな坑道が掘られた時も大量の輝安鉱を出したが、どこでも見かけるものだから何の価値もないと思われたという。
1958年、ある二人の坑夫が火事を起こした。地下308ft
レベルまで延焼し、ために閉山に至った。ところが火事による還元環境が輝安鉱を新たに生成させたらしく、以前に出回っていたものより小さいが、はるかに光沢に富んだ良晶が発見された。1960年頃、ネバダ州の鉱物愛好家ジャック・パルノーやノーマン・ペンドルトン、また希産種標本商となったフォレスト・キューレトンらは、こうした火事後の標本を盛んに採集したという。
このとき、彼らは方解石に包まれるように生じているレモン色針状・スプレー状の鉱物を観察して、針状石黄と判断した。後に若林鉱として記載されたものである。
若林鉱はネバダ州では白帽鉱山のほかゲッチェル鉱山に報告がある。最近ではキルギスタンのハイダルカン鉱山に見事な標本を産した。(2024.8.11)