587.オーピメント Orpiment (ロシア産ほか)

 

 

Orpiment オーピメント

オーピメントの自形結晶の集合 
−ロシア、コーカサス、エルブルスキー鉱山産

orpiment オーピメント

オーピメント(塊状) −ペルー、キルビルカ産

 

オーピメント(雌黄)は砒素と硫黄の鉱物(組成:As2S3)で、低温熱水脈や温泉地、鉛、金、銀鉱山などに見つかる。類縁種のリアルガー(雄黄/鶏冠石・組成:AsS)、また辰砂(HgS)や方解石(CaCO3)などを伴うことが多い。透明な硫黄との混合物は yellow arsenic blende と呼ばれた。リアルガーから変化した(らしい)ものがあり、またハンガリーには自然砒から変化したもの(仮晶)も出たという。後者の外観は福井産の金平糖石(自然砒)に似ている。

短柱状の自形結晶が見られるが比較的まれで、通常、葉状や粒状の塊で産する。結晶は一方向に完全なへき開を持ち、フレーク状に薄く剥がれる。フレークは可撓性があり、またへき開面に真珠光沢が生じる。硫黄に似るが、硫黄は明瞭なへき開を示さない。
磨り潰すと鮮やかな黄色系の粉末が得られ、古くから顔料に用いられた。エジプトではBC3000年頃に下ヌビア地方でリアルガーが使われたことが分かっているが、共産するオーピメントもおそらく知られていたと考えられる。少なくとも古王国時代(〜BC2200年)には、オーカー(黄土)、オーピメント、鉄ミョウバン石など、さまざまな色調を与える黄色が使い分けられていた。 

オーピメント顔料の色は品質によってレモン黄〜橙〜茶色まで幅広くあるが、やはり黄色が好ましい。古代ローマ人は建物や彫像を鮮やかな黄金色に塗装した。プリニウスは 「auri pigmentum:金色の塗料」の名で記録し、オーピメントの語源となった。(付記1)
屈折率がきわめて高く、粗めに摺り潰して画材上に展ばすと、柱状の結晶片が凝集して薄い層を作り、多量の光を反射して明るい黄金色を呈する。豪華な印象を与えられるので、中世の写本装飾師の間で特に珍重された。もっとも良質のオーピメントの入手は中世ヨーロッパでは困難だったらしく、フランスのある修道院は輸入顔料を求めて、はるばるマルセイユのフォスに使者を送った。
合成品もあったようだ。 砒素酸化物またはリアルガーを硫黄と共に溶融したり、mispickel (硫砒鉄鉱)や黄鉄鉱の混合物から黄色のガラス状物質を作った。これはイエローガラス(または King's yellow)と呼ばれるもので、一方合成のリアルガーはレッドガラスと呼ばれた。後者は砒素酸化物を含み、強い毒性があった。

オーピメントはその化学的活性により使用上の制約があり(フレスコ画に使えず、ほかの顔料との混合にも制限がある)、また人体への毒性も知られていたが、13世紀頃(14世紀初)に鉛錫酸塩(Lead-Tin Yellow)が登場するまで使われ続けた。それ以前には類似色を与える低毒性の顔料としてモクセイソウのレーキが作られていたが耐光性に劣った。
 鉛錫酸塩は他の顔料に対して化学的に中性で、鉛分の毒性も砒素を含むオーピメントより弱かったため、15世紀以降、絵画(フレスコを含め)や写本に広く使われた。フランドルの画家フェルメールの絵は鮮やかな青のウルトラマリンが有名だが、明るい黄色もよく使われており、これが鉛錫酸塩の色である。イタリアでは、giallolino(giallorino)、イギリス北部ではmassicotの名で呼ばれた。
ちなみに今日にいうマシコット(一酸化鉛PbO)は、顔料としてはさほど普及しなかったらしい。

派手な黄色や赤色のオーピメントとリアルガーは、世界各地で古くから知られていたらしく、インドではハルタル、マンシールと、中国では雌黄、雄黄と呼ばれ、また異名も数多く与えられてきた。ただ、これらの古い名前を現代の鉱物学が定義する鉱物種にきっかり2分する試みは、基準が異なる以上当然であるが、必ずしもうまくいかないようである。
全般的な傾向として、オーピメントにあたる物質は黄色の顔料に用いられ、またその黄金色によって、錬金術・錬丹術における金(至高物質)や霊薬の重要な素材とみなされた。一方リアルガーは赤色の顔料、薬種として知られた。ただオーピメントにも赤みを帯びたものがあり、リアルガーも風化すると黄色の粉を吹くので、色による区別にはつねに曖昧さが伴っている(産状によって混合物もあっただろう)。(付記2)

中国では、最古の薬物学書「神農本草経」(AD2-3C?)の中品に、すでに雌黄と雄黄が記載されている(※原典は存在しないが陶弘景(5-6C)の注釈書が伝わる。補記3)。薬物としての利用はかなり古いものだろう。神農経に次ぐ古書「名医別録」(AD3-4C)にもその名が見られ、「雌黄は武都(甘粛省成県西)の山谷に生じ、雄黄と同一の山の陰に面したる方に生じる」とあって、雄黄が純陽の物質であるのに対して、雌黄は陰を帯びることが示されている。
一般に中国の服食家は、雌黄よりも純陽である雄黄(リアルガー)を重用してきたが、それは雄黄の方が産出が多く、手に入りやすいという事情もあったらしい。

雄黄は一名、石黄と言う。これは「唐本注」(新修本草の注釈)が典拠で、「石門から出るものを石黄と名づける。やはりこれも雄黄であって、通じて黄金石と名づけるが、石門のものは比較的劣る」による。雄黄の一種というのでリアルガーとみられているのだが、黄金石の名はむしろオーピメントに相応しい。文献の語義にはどうやら混同と誤用の複雑で長い歴史がありそうである。
オーピメントとリアルガーの区別は今日の中国でもあまり明確でなく、例えば「中葯志」には「雌黄の小塊形で鶏冠に似たものを鶏冠黄と名づける」と、雄黄(鶏冠雄黄)に紛う記載がされている。香港市場で「雌黄精」と称される黄色の商品は成分的には雄黄(リアルガー)であり、「朱砂」として市販されているもののなかにも雄黄があるという。江戸時代に中国から輸入された「古渡鶏冠雄黄」と称する伝世品は、分析してみるとリアルガーもあればオーピメントもあるそうだ。
幸いなことに両者の薬効はほとんど同じである。李時珍(AD16C) は「治病の点においては二黄(雌黄、雄黄)の効力共に彷彿たるもので、いずれも中を温め、肝を捜し、虫を殺し、毒を解し、邪を退ける力を利用するに過ぎぬのである」といっている。薬として混同したとしても、大勢に影響なかったというところか。
また顔料としては色だけが問題であって、(成分的に大差ない)鉱物種の別はどうでもよかっただろう。

中国にはまた「口中の雌黄」という表現がある。出典は唐代に成立した晋書(王衍伝)で、かつて中国では黄色の紙を用いて文章を認め、紙と同系色の雌黄を塗って誤字を消した。不適切な表現をいつでも直せるように雌黄を口中に含んでいた故事から、一度言ったことをすぐ改めることを意味する。毒性のあるオーピメントを本当に口に含んだのか、あるいは別の低毒性の黄色顔料を雌黄と呼んだのか、真相はどうだったろう。 歴代の皇帝は仙薬として雄黄・雌黄を(また硫化水銀である辰砂も)服したというから、口に含むくらい、全然おっけ〜だったのか。
話は脱線するが、韓流ドラマ「チャングムの誓い」に、硫黄を食べさせた家鴨は有毒か?というエピソードがあって、家鴨は硫黄を体内で解毒し、解毒された硫黄は不老長寿の高貴薬となると説明されていた。あるいは中国には硫黄や砒素、水銀などの毒性を抜く処方があったのだろう。(補記2)

江戸時代に和漢の本草(名)を総集吟味した小野蘭山の本草綱目啓蒙(1803-5)は、雌黄(シワウ)について、「通名 金液、一名 帝女血(石薬爾雅)、黄安(同左)、砒黄(正字通)、…和産なし古渡あり。色黄にして光あり、金の如し。硫黄に似たれども柔かにして砕け易し。微紅を帯びるものは最上なり。…」などとし、また雄黄(ヲワウ)は「一名 丹山魂(酉陽雑俎) 夜金 石雄黄(東医宝鑑) 朱雀筋(石薬爾雅) 黄奴 柔黄雄 帝男精(共に同上)」などを挙げ、「鶏冠雄黄を上品とす、俗名鶏冠石。…その赤きこと鶏冠の如く光明華々というものにして、真の鶏冠雄黄なり」とする。そして、古渡りや新渡り、臭気あるもの、ないもの、赤〜橙〜黄などの色の別が述べられて、さまざまな品質の品、真物・偽物が流通していたことを伺わせる。
ちなみに文中にある、「俗名 鶏冠石」は、平賀源内の「物類品隲(しつ)」(1763)に「雄黄、和名をわう その色鶏冠の如きものを上とす。俗名鶏冠石という」と紹介されたのが文献上の始まりとされている。

このようにやや曖昧さがある(例えば黄色い雄黄がある?)とはいえ、基本的に、和漢ともに雌黄はオーピメント、雄黄はリアルガーのことだと解釈できそうであり、事実そうされている。
ところが現在の日本の鉱物学は、オーピメントを雄黄・石黄と呼ぶことにしているので、ややこしい。(薬学では現在もオーピメントは雌黄)。

上述の通り江戸時代まで雄黄=鶏冠石だったので、なにか行き違いがあったことは明白だが、これは明治の初期、西洋(主にドイツ)の鉱物学が導入されたときに、オーピメントを雄黄・石黄に比定したのが始まりらしい。
若干例を挙げてみると、最初期の和田博士訳ロイニース著金石学(対名表)は「Orpiment 雄黄(ヲワウ)石黄即ち黄色硫化砒石」、「realgar 鶏冠石 和名 鶏冠雄黄即ち赤色硫化砒石」として、雄黄(=石黄)と鶏冠雄黄とを区別する見方を示した。同氏訳デーナ金石学必携では「ヲルピメント 石黄雄黄黄硫化砒」「レアルガル 鶏冠石即ち紅硫化砒」と、石黄を前に出す一方、リアルガーの和名から鶏冠雄黄を省いた。
デーナ著大坪博士訳「金石一覧図解」は、「雄黄(ヲワウ) ヲルピメント」、「雌黄(シワウ) リールガー」とリアルガーに雌黄を充てており、小藤博士の金石学一名鉱物学は「Orpiment 雄黄、realgar 鶏冠石」としている。

この語義転換については後に何人かの識者が間違いを指摘した。昭和後半期のデファクト・スタンダード図鑑、木下博士の原色鉱石図鑑は「雌黄 Orpiment」と訂正を試み、「俗に雄黄(ゆうおう)ともいわれるが濃色のものを「雄」、淡色のものを「雌」というのが正しい(必ずしも正しくない -SPS)。従って雄黄は実は鶏冠石(realger)のことで本鉱物は、雌黄というべきである」と説いた。
益富博士も同様に雄黄、石黄はリアルガーのことだと述べたが、訂正には悲観的だった(氏は薬学博士にして、熱烈な鉱物愛好家)。
最近では平成のデファクト・スタンダード、堀博士の「楽しい鉱物図鑑」が、雌黄と雄黄(鶏冠石)の区別に触れ、明治期に名称を取り違えたことを述べた(なのにオーピメントを石黄とし、雄黄と石黄が別種のように考えているのはフシギ)。

しかし、現在流通している鉱物図鑑の過半は、オーピメントに雄黄(ゆうおう)または石黄・雄黄併記を採用しており、鉱物学者間では訂正しない派が主流のようである。

一介のアマチュアとしては、和名といいながら鉱物学徒の間でしか通じない名称はいかがかと思う。むしろカタカナ字でオーピメントとしてもらった方が、どれほどすっきりするか。
とはいえ、No.586 若林鉱のページでは、私もやむなくオーピメントを石黄(雄黄)、針状雄黄とした。そうでないと鉱物愛好家間では却って意が通じないのが現状である。

(付記1)アリストテレスは鶏冠石をsandarache と呼んだ。リアルガーの語源はアラビア語のrahj al-ġār とされている。

(付記2)リアルガーは光によって変質する性質があり、従来リアルガーを光線に曝すと黄色のオーピメントと砒華As2O3の混合物に変化すると言われていた。しかし、この黄色の粉末は実際には別の鉱物、パラリアルガーだという。一方またオーピメントも光に反応して長期間のうちに失透する。いずれも遮光保存が望ましい。

(付記3):正倉院の宝物に橙黄色の卵状の塊があり、雄黄と標識されている。宮内庁「正倉院の宝物」に、その成分はリアルガーだと書かれている。

(付記4):本草綱目の「鉛」の項には、「鉛なるものは五金の祖であって…その意はよく五金を伏し、八石を殺す力のあることをいう。雌黄は金の苗であって、中にある鉛気が黄金の祖なのだ。」とある。
また鉄斧の項に「雄黄を佩べば地産として全きものを取ることになる」とある。

補記:周口店で発見された北京原人の住居跡には下顎、頭蓋骨と共に黒い木炭や焼けた石が発見され、火を使って食事をしたと考えられている。生活用品として火うち石、砂炭、オーピメント片などが一緒に発見された。オーピメントは熱すると青い炎を上げて容易に燃える。火興しに用いたのだろうか。ただ、その際に二酸化硫黄と酸化砒素の臭煙(ニンニク臭など)を伴うのが難点と思う。もっともこれは何十万年も前の事例だから、ここ数千年の人類の歴史とはほとんど関係あるまい。

ちなみにリアルガーと硝石とを混合し着火すると明るい白炎を上げる。ホワイトファイヤと呼ばれて花火などに用いられた。

補記2:中国唐代の人、韓愈(768-824)は硫黄の粉末を粥に入れ、その粥を雄鳥に与えた。雄鳥を千日の間煮込んで料理し、これを食した。この料理を火霊庫という。初めのうちは薬効があったが、最後はために中毒死したといわれる。程が肝心。

補記3:「神農本草経」中の雄黄の項に、「敦煌は涼州の西数千里の地で、良質のものは鶏冠の様な色で臭くなく質堅実である」と。ここから鶏冠雄黄の語が出たという。

補記4:「清俗紀聞1」(東洋文庫)の節季・端午の雄黄(ヨンワン)があり、注釈に李時珍「本草綱目」に、山の陽に生じ丹の雄なので雄黄といい、山の陰に生ずるものが雌黄とあること、「漢方では丹砂などと似た用途に使い、人がこれを身につけていれば百毒百邪をさけ、鬼神も近づかず、精錬してこれを食すれば身が軽くなり仙人になれるという。ことに湿潤で虫の多い呉楚地方では雄黄は呪物的な薬品として重用されたようだ。」とある。

鉱物たちの庭 ホームへ