654.硫砒鉄鉱 Arsenopyrite (中国産) |
かつて、元素が正しく知られておらず、物質の化学分析がまだ確立されなかった頃、それでも人はある物質から別の物質への変換、合成、分解、あるいは腐敗、昇華(酸化還元)について経験的な知識を持っていた。古代にあっても人は着色ガラスを吹き、鉱石から金属を精錬し、染料や顔料を作り、皮をなめしたり衣服を洗ったり病気を治療したりする薬剤を調製した。要するに自然界にある物質を精製し、反応させて有用な化合物を得ていた。
物質の変化の徴としてもっとも信頼されたひとつは、疑いもなく色の変化であった。色は物質を代表する重要な性質で、金属や宝石はまずその色によって識別された。同じ色の金属、例えば鉛でも物理的な性質が異なるものは、別の種類の「鉛」というふうに分類された。(cf.
アンチモンと鉛 ⇒ No.647/
砒素と第二の水銀 ⇒ No.653)
色の変化はただ外面的なものではなく、本質が変化したことの現れと考えられた。
一方、ヨーロッパを含む多くの文化で、石や金属は植物や動物と同様、成長し変化するはずのものであった。土の中で生まれ、育ち、殖え、より高貴な物質へ転換してゆくと考えられた。スズや鉛はいずれ銀に、究極的には金となる。
例えばドイツや東ヨーロッパでは、ビスマスは銀に変化する途上の金属とみなされ、鉱夫らはビスマス鉱石に遭うと、「早く掘りすぎた」と言いあった。もっと後に掘れば銀が採れたはずだったからだ。実際、その下を掘ると、(つまりより深い/古い箇所からは)銀が見つかることが多く、そのためビスマスは「銀の帽子」と呼ばれた。
擬アリストテレスは、スズは不純な銀で弱く匂いがあり音が鳴る(スズ鳴り)ので、使用するには純化が必要だとした。
中国では砒素は 200年かけて生じる物質で、さらに 200年かけてスズに変化すると考えられた。スズは銀と鉛の中間物とみなされる女性原理(陰)の金属で、適当な男性原理(陽)が加わると銀に変化する。
もちろん金属が自然に変化するには長い時間が必要であるが、加熱や特殊な触媒性反応促進剤の添加を含むある種の操作を行うと、その過程を促進することが出来ると考えられた。これが錬金術の自然哲学的骨格であり、金属や宝石の色の変化は期待された物質への転換の証とみなされた。
砒素によって白くなった銅は銀へ変化したのであり、灰色の金属が黄色くなれば、それは金になったという理屈である。
錬金術師の作業は自然の摂理の急速な実現であり、時間と空間の超克であった。彼は本来膨大な歳月を経て実現される過程を人間の短い一生のうちに凝縮し、広大な自然界の舞台を限られた実験室内に引き寄せた。(※)
Arsenopyrite 硫砒鉄鉱は
FeAsS の組成を持つ鉄の砒化硫化物で、 Arsenical pyrite 、
Mispickel (ドイツ語の古名)とも呼ばれた。この場合 pyrite
は黄鉄鉱というよりむしろ白鉄鉱を指すと思われる。硫砒鉄鉱の結晶は白鉄鉱のそれに似ており、しばしば貫入双晶をなす。色も同様に白っぽい。白鉄鉱
の組成 FeS2
において、硫黄のひとつが砒素で置き換わると硫砒鉄鉱の組成が得られる。
そしてこれは私の想像だけれど、白い白鉄鉱が無酸素状態で加熱されることによって黄色い黄鉄鉱に変化するならば、得られた物質はまさに愚者の「金」だったはずである。
※ 「錬金術は、私から見ると、冶金から始まった仕事の最終段階です。鋳物師は鉱物を金属に変えます。錬金術師は賢者の石と黄金−不死と等価−を取得するために自分が自然と時間を代行するのです。」(エリアーデ「迷宮の試煉」(住谷春也訳)より)
※生野鉱山では黄鉄鉱を「どうきん」と呼び、本鉱を「あかどうきん」と呼んだ。No.354に示すように風化したものは赤褐色を呈するからだろう。
補記:湖南省の瑶崗仙は巨大なタングステン鉱床で(cf. No.196)、1990年代から2000年代にかけて、鉄重石や蛍石や黄錫鉱や、いくつかのハイクラス標本の産地として名を馳せた。硫砒鉄鉱では上の画像のような歯車(cog-wheel)形の、まるで車骨鉱のクラシック標本のような外観のものが出た。