ひま話 フライベルク鉱山大学コレクション2 (2020.3.8)


フライベルク鉱山大学のコレクションは、1765年のアカデミー開校時に創立者のハイニッツ(ザクセン王国鉱山局長)とフリードリッヒ・ウィルヘルム・フォン・オペル(フライベルク市鉱山局長:1720-1769)とがそれぞれの私的コレクションを提供してオペルの私邸に設けた「職員キャビネット」に端を発する。彼らは実物(標本)による教育効果を確信していた。
その理念の下、アカデミーは当初から鉱物商部門を営み(cf. No.756)、取引を通じて国内外の新たな標本を加えていった。数年後には一般公開が始められた。
1814年に 1万点に及ぶウェルナーのコレクションが加わった。「モースの硬度計」で知られる C.F.C.モース(1773-1839)や J.F.A.ブライトハウプト(1791-1873)、A.J.ワイスバッハ(1833-1901)ら、代々の鉱物学教授がコレクション管理に責任を持ってその拡充に努めた。

20世紀に入る頃にはアカデミーは地球科学の世界的な拠点とみなされ、コレクションは 3万点をこえた。1901年に鉱物学と吹管分析の教授となった F.W.L.コルベック(1860-1943)は、ザクセン政府から資金を得て鉱物学・地質学棟を建て、ここにすべてのコレクションを集めた。今日のA.G.ウェルナー棟である(地質学/ジェオロジーという専門分野はウェルナーに始まる)。
その後、第一次・第二次大戦の影響で拡充ペースは鈍ったが、フロイデンシュタイン城へ退避されたコレクションは幸いにも戦火を免れ、ほぼ無傷のままで終戦を迎えた。(フロイデンシュタイン城は今日、テラ・ミネラリアが開かれているところ。)
そして20世紀後半には再び活発な標本取引が国際的に行われるようになり、継続的なコレクション拡充システムが構築されて現在に至る。

 

◆フライベルク産の標本から:

輝銀鉱:フライベルクの主要銀鉱石の一つで、多くの鉱山で上部酸化帯や
地下深部の鉱床に大量に埋蔵されていた。鉱石の品位は 80%を越える
こともあった。画像は樹枝状に発達した鉱石。模様は坑道地図のようにも
見える。ヒンメルフュスト鉱山には 4kg の大塊が出た。ヒンメルファート鉱山
では 1857年に数百ケの結晶標本が得られ、当時の著名コレクションは
こぞってこれを収蔵した。フライベルクでは1cmを越える結晶が
珍しくなかったという。

アージロード鉱: 1885年にヒンメルフュスト鉱山の地底 460mから発見された
鉱物。A.J.ワイスバッハによって命名された。詳しくはいずれ。cf. No.518
イギリス自然史博物館の標本

自然銀:フライベルクの最も重要な銀鉱石だった。さまざまな形態で産したが、
ワイヤー状の「ひげ銀」は蒐集家御用達。長さ 30cmに及ぶものが出た。
母岩はたいてい方解石か石英、茶色スパーと呼ばれた岩石(苦灰石-
アンケル石-菱鉄鉱)だった。表面が輝銀鉱に交代しているものが多かった。
大鉱脈の交差箇所では、しばしば大塊が出た。1857年に 250kg の
塊が記録されている。1819年には 10kg のひげ銀が出た。
欧州でこれに匹敵する標本を出したのはノルウェーのコングスベルクと
同じザクセン王国内のシュネーベルクくらい。
フライベルクの鉱山中、最大の銀産を記録したのはヒンメルフュストで、
1710年から1896年までの間に約 605トンの銀が精錬された。 cf. No.67 

方鉛鉱:フライベルクの鉱山では大量に出て、鉛の重要な鉱石で
あると共に重要な銀鉱石となった。含銀率は 1%に上ることがあった。
さまざまな産状があるが、重晶石の母岩中に樹枝状〜網目状に成長した
ものが有名だった。自形結晶はしばしば数センチ大に達したが、そのテの
標本はあまり人気がなかったらしい。

 方解石:フライベルクの鉱脈に方解石を伴わないものはない、といえるほど
どこでも出た。菱面体の結晶で 80種類、偏三角面体(犬牙状)の
結晶で 200種類を越える形状が報告されている。

 

◆その他エルツ山地の標本から:

シュネーベルク産のコバルト華。渋い。

同 方解石。おそらくコバルトによって赤紫色に着色したもの。

シュネーベルク近くのピニ鉱山で発見され、ピニ石と名づけられたもの(1800年)。
ピニ雲母。菫青石、かすみ石、柱石などから変質して生じる(しばしば仮晶)。
主成分は白雲母。

シュレマ産のニッケル方コバルト鉱で、亜種名クロアント鉱(砒ニッケル鉱)と
標識されている。クロアント鉱はブライトハウプトの命名(1845年)。
ニッケル方コバルト鉱の名は 1892年に出来たもの。
由来はいささかややこしいが、「続原色鉱石図鑑」に次のようにある。

「以前は NiAs3 という成分のものを砒ニッケル鉱(Chloantite)といい、これに対して
 CoAs3 のものを砒コバルト鉱(Smaltite)と称したが、純然たる Ni 若しくは Co のみの
砒化物はなく、この両金属を共に含有する。従ってその一般式は (Co,Ni)As3
示される。しかし、厳密にこの式に一致するものはなく、As は常に多少不足し
 (Co, Ni)As3-x と表さるべきである。このうち x=0~0.5でコバルトを主とするものを
方コバルト鉱 skutterudite、 ニッケルを主とするものをニッケル方コバルト鉱
 nickel-skitterudite ということがある。また x=0.5~1でコバルトを主とするものが
砒コバルト鉱であり、ニッケルを主とするものが砒ニッケル鉱である。」
「以前の砒ニッケル鉱はニッケル方コバルト鉱 と称すべきである。」 

「楽しい図鑑2」には、スクテルド鉱(上文の方コバルト鉱)と
ニッケル・スクテルド鉱とが種名であり、スマルト鉱とクロアント鉱は
これらの中間的なもので今は亜種名になっている、と説明されている。 
いわゆるビコニ(Bi-Co-Ni)鉱物の一つ。

エルツ山地シュネッケンシュタン産の黄色トパーズ。
晶洞中に結晶柱が真っ直ぐ立ち、庇面の発達しているものが
オーソドックスな美品とされて、コレクターの評点が高い(値段も高い)。

cf. No.120、  No.756 

エルツ山地の南側、ヤヒモフ(ヨアヒムスタール)産のピッチブレンド。
この鉱石からキュリー夫妻が2つの新元素(ポロニウム、ラジウム)を
発見したことで有名。

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