ひま話 フライベルク工科大学コレクション5 (2020.4.5)


◆エルツ山地の周辺は広い範囲に金属鉱石が出て、ヨーロッパの鉱業史に
名を刻んでいる。北麓のドイツ側は東はザクセン王国の都だったドレスデン
から、西はザクセン工業の中心として栄えた炭鉱地帯ツヴィッカウとの間に、
今日なお名残りの鉱山町がいくつも点在しており、これらを結ぶルートが
「銀街道 Silberstrasse」と呼ばれて、数あるドイツ観光街道の一つとなっている。
下に大まかな地図を示す。

ザクセン鉱山町の先駆けとなったフライベルクは豊富な銀産を誇り、
ミアジル鉱
や黄粉銀鉱 Xanthoconite 、火閃銀鉱 Pyrostilpine といった
「ルビー・シルバー」の類、脆銀鉱、フライベルク鉱、フライエスレーベン鉱、
ヨルダン鉱
、アージロード鉱の原産地でもある。
錬金術の石 紅安鉱もこの地の標本から記載された。

銀の二次鉱物である角銀鉱(塩化銀鉱)はマリーエンベルクが、
ニッケルの二次鉱物であるニッケル華 Annabergite はアンナベルクが、
コバルトの二次鉱物であるコバルト華ローゼ石(ローズ石)
シュネーベルクが、それぞれ原産地(のひとつ)。
シュネーベルクはさまざまなコバルト・ビスマス・ウラン鉱物を産した
土地で、サフロ鉱菱コバルト鉱ヘテロゲン鉱プッハー石
ケティヒ石
、砒銅ウラン雲母 Zeuneriteなど多数の新種が記載されて
いる。ビスマスはシュネーベルクまたはエルツ山地の北麓に
産した鉱石から発見されたとみられる。
近郊のシュレマは 20世紀初にラドン・ラジウム温泉地として名を馳せた。
シュネーベルク〜シュレマ〜アウエの一帯は、二次大戦後に
盛んにウラン鉱が採掘された。 cf. No.635No.67 追記 

地図中のオルベルンハウは産銅地で、1537年に銅の精錬炉が築かれ
ている。ザイダの南にある国境の町ザイフェンは木製玩具で知られ、
くるみ割り人形などが人気商品だが、もとは 17世紀頃に錫鉱山の鉱夫
が副業に始めたものだったという。ここから東のクルプカ(グラウペン)、
チンワルド(ツィーノベッツ)、アルテンベルクは由緒ある錫鉱産地。 
クルプカからは多数のウラン鉱物が記載されている。
チンワルドは鉛重石 Stolziteの原産地。
20世紀にはタングステン鉱石の灰重石も採掘された。
cf. No.814No.815No.816  
アルテンベルク(No.815 補記2)は脈状トパーズ(ステンゲルトパーズ)
でも有名。北麓の西端にあるシュネッケンシュタインは酒黄色トパーズ
の名産地で、宝石としてのトパーズの歴史はこの地に始まる。
錫石を伴う。 cf. No.120No.756

エルツ山地の南麓にはアグリコラゆかりの聖地、聖ヨアヒムスタール
(ヤヒモフ)があり、輝銀鉱(針銀鉱)針ニッケル鉱、アージェントパイライト、
ミクサ石斑銅鉱(ボルン鉱)淡紅銀鉱などが記載された。
蛍石の原産地の一つともされているようだ。
ラベンデュランも深く関わっている。cf. No.896 (ビスマス・コバルト)

カルロヴィ・バリ(カルルスバート)は高級社交温泉地で、長石の
美晶を産する。いわゆるカルルスバット式双晶の名の由来となった。
滞在客は健康のためラドン・ラジウム泉を飲んだ。
cf. No.430(正長石)、No.411 (豆状あられ石)、No.526(ホテル・プップ)

その西のロケト(エルボーゲン)には有名な隕鉄塊が鎖に繋がれてあった。
cf. 隕石の話

◆工科大学 A.G.ウェルナー棟の最上階は鉱物標本の展示室となっているが、
下階の廊下には鉱物学に関係するさまざまな実験器具が展示されている。

真鍮製の各種実験機材。クラッシックな感じがするが、
実際、今の鉱物学ではほとんど使われることがない。
(多分、扱える学生さんもいないと思われる。)

自形結晶の面角測定器。
望遠鏡がマクロコスモスを覗う天文学者の分身なら、
こちらはミクロコスモスを窺う鉱物学者の半身。

面角測定器。MR誌のアイコンに使われているタイプ。

硬度計、だと思う。 

さまざまな形状の吹管。吹管分析は 18世紀中頃から
鉱物学者(や鉱物研究家)の力強い元素分析ツールとして活躍した。

昔の鉱物研究家はこういう分析キットを携えてフィールドに出た。

吹管分析法には閉管・開管加熱、炎色反応、木炭上(還元)加熱、
ホウ砂球・燐酸球反応、各種試薬との反応試験など、さまざまな
テクニックが編み出された。これは木炭上試験に使用された板。

cf. ひま話 吹管分析法

吹管はもとは金属細工師が細かな部品のろう付作業に用いた道具で、
局所的に高温状態を作り出すことが出来、また酸化炎・還元炎を自在に
使い分けられることから、鉱石の分析に用いられるようになった。
体系的な分析法を最初に世に示したのはスウェーデンの科学者 
A.F.クロンステット(1722-1765)とされ、18世紀半ば(1758)のことだった。
(すでに A.v.スワブらがサーラ銀山の鉱石分析に使っていた。)
以来スウェーデンの化学者・研究者グループが吹管分析法を主導し、
ガーンやベルセリウスらはその神業で世に知られた。

フライベルク鉱山アカデミーでは19世紀に入って吹管分析法が教授された。
その伝統は新元素ゲルマニウムの発見(1885)に繋がってゆく。
吹管と分析法の改良・洗練は 1860年代まで続けられたが、
高温の炎を手軽に安定して作り出せるブンゼン・ガスバーナーが現れ、
これを用いた鋭敏なスペクトル分析法が考案されると、元素分析に
新しい道を拓いた。セシウム(1860)やルビジウム(1861)は
スペクトル分光によって発見された最初の元素となった。

試薬類の詰まった箱。

真鍮製の顕微鏡。金色に光って高級そうに見えるが、
実際高価だったに違いない。

ユニバーサルな可動マウント部。精密な機構部品は見てるだけで恍惚とする。

男の子とは、メカメカしい器具を前にすると、
どうやって使うかも分からないくせに、
魅せられて動けなくなる生き物である、と思われ。

 

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