886.ベスブ石 Vesuvianite (イタリア産)

 

 

ベスブ石 Vesuvianite 鉱物たちの庭

ベスブ石 −イタリア、ナポリ郊外、ベスビアス、モンテ・ソンマ産

 

陽射し眩しいイタリア、ナポリの南東約 9kmにあるベスビアスは古くから活動が知られた火山で、約二千年前のローマ時代の大噴火では土石流や灰がエルコラーノとポンペイの町をそっくり呑み込んだ。(cf.君よ知るや南の国
かつてこれらの在った「町」は18世紀の中頃から発掘が行われ、跡形もなく滅び去ったはずの古代の建造物が地中から現れて人々を驚かせた。
同じ頃、湾越しに見る溶岩流に輝くベスビアスの夜景はナポリ王国を彩る一種の名物となっていた。イギリスのナポリ大使ハミルトンは火山を親しく観察して王立協会に報告し、「カンピ・フレグレイ」(1776)を出版した(cf. 隕石の話2)。啓蒙主義者の間に博物学が流行した時代であった。
ドイツの芸術家ゲーテは 1787年、ナポリ滞在中に山に登って火口を歩いた。また噴火と溶岩流を目にしている。
19世紀中頃は火山観光が盛んで、アンデルセンの「即興詩人」(1835)に幻想的に取り入れられている。1880年には山麓から山頂まで登山電車で上がれるようになった。

ベスビアス山の標高は今日、1,281m とされているが、その北東側にほぼ近い高さ(1,132m)で外輪をなす弧状の斜面があり、モンテ・ソーマ(ソンマ)と呼ばれる。太古の大型火山の噴火口の一部で、古くはカルデラをなしたと考えられている。ベスビアス山はその内側に起こった新たな噴火によって隆起した地形である。
モンテ・ソーマの斜面には古い活動で噴出した苦灰岩質/石灰岩質の火山弾が見られ、その空隙にさまざまな結晶鉱物が生じている。地質を貫いて上昇するマグマの成分と熱を受けた周囲の岩石とが反応し、接触変成作用で出来たスカルン鉱物である。
楽しい図鑑(1992)に、モンテ・ソーマでは 92種の鉱物が記録されているとあるが、それから大分経って今 mindat を見れば、その数は 189種に増えており、43種の原産地となっている。

ベスブ石は火山弾から発見された鉱物の一つで、ガサガサした感じの母岩に小さな結晶が瘤をなして群れる様子をヒヤシンスの花に擬えて、ヒヤシント、ベスビアスのヒヤシンス等と呼ばれた(1723年:モリッツ・アントン・カペラー、1772年:ジャン-バプティスト・ルイ・ロメ・ド・リールなど)
その後、ドイツのA.G.ウェルナーは直截に火山の名をとって、ベスビアス石 Vesuvianite と呼び(1795年)、これが今日の IMA名称となっている。またフランスのアウイは宝石質の本鉱にアイドクレース(イドクレーズ)の名を与えた(1799年)。ギリシャ語のエイドス(形相・形態)+クラシス(多様な)を組み合わせた語で、そのこころは、「複雑な形態の結晶形をとるから」、「(別の鉱物である)ジルコンの結晶形に似ているから」(※因みにジルコンもヒヤシンスと呼ばれた宝石のひとつ)、「(灰ばん柘榴石など)ほかの鉱物と混じって産するから」と、例によっていろいろな説がある。宝石名としては(GIAなどで)こちらの方が好まれている。

ベスブ石はまた「ショール Schorl」と呼ばれた石の一つで、「火山性ショール」(1794年)、「緑色ショール」などの名があった(複数の鉱物がこの名で参照され、後に細分・整理された)。ちなみにベスビアス産の白榴石は「ベスビアン・ガーネット」、「白色ショール」とも呼ばれたが、霞石の亜種のソンマ石 sommite も同様に「白色ショール」と呼ばれていた。つまり当時の石の分類は今日とは大分違っていたのである (cf. No.781 斧石 )。 下の絵は「カンピ・フレグレイ」に描かれた標本だが、なるほどベスブ石は斧石に似ている。

ベスブ石は含有元素によってさまざまな色を呈する。緑がかったものと茶色がかったものの2系統が多いように思うが、黄色、青色、ピンク色のものもある。

cf. No.367 藍方石(イタリア産)

ベスビアス火山の鉱物 ベスブ石(中央)や白榴石(右端)など 
(左前2つめの白色結晶は方ソーダ石かアウインか?)
ハミルトン「カンピ・フレグレイ」の挿画  (Wiki Commns)

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