958.水晶 ウィンドウ・クリスタル Window Crystal (ブラジル産)

 

 

 

肩の部分にダイヤモンド形の結晶面(s面)が現われた水晶 ブラジル産
(水晶ギャラリー 6の標本)

袈裟がけに現われた s面を持つ結晶 ブラジル産

大傾斜面(菱面体面)など、さまざまな微斜面
伴うダイヤ面(s面)を持つ水晶 ブラジル産

 

「先を読む」、「未来を知る」力は、過去のどの時代においても人類のよりよい生存のための重要な能力とみなされてきた。現代もなお強く求められている。人はさまざまな手段を駆使して、ただぼけらっとしていては知れるはずのない情報にアクセスしようと努める。
手段にはもちろん不可知的な技術も含まれる。それは他者にはチートに見える。あるいは魔術に見える。時には天に愛されているようにも見える。しかし当人からすれば然るべき努力の結果であり、方程式の解であり、幸せの科学だ。占星術はその種のアートの一つであり、幻視もまた然りである。

16世紀のイギリスに、ジョン・ディー(1527-1608/9)という科学者(自然哲学者)があった。父は織物業を営むウェールズ出身の富裕商で、ヘンリー八世(1491-1547)の宮廷に出入りして紳士服の仕立てを請けた。自身は数学を修めて博士となり、占星術に熱中して天文学を学び、地理学その他広範な知識を身につけた。彼は一日 18時間勉学した。食事に 2時間、睡眠は 4時間という研究生活を長く続けた。プリンス・オブ・ウェールズのロデリック大王の直系子孫と称した。1552年にディーはイタリアの占星術師ジェロラモ・カルダーノに会って、オカルト術に開眼したといわれる。(補記1)

この年、医師としてスコットランドに招かれたカルダーノはイギリスに立ち寄り、エドワード六世(1537-1553)から運勢の予言を求められた。そこで詳細な天宮図を示して 55歳の寿命を保証したのだが、幼少から病弱だった王はその翌年に夭逝してしまった。後をヘンリー八世の娘のメアリー(1516-1558)が襲った。エリザベス一世(1533-1603)の異母姉である。
宮廷に出入りを許されていたディーは、占星術が性に合ったらしく、この二人の天宮図を作成してメアリーの薄命を予言し、一方でエリザベスが王位につくべき未来を語った。そのためメアリーの治世に算命罪に問われて投獄される憂き目にあう(1555年)。短期間で釈放されたが、財産も職も失ってしまった。メアリーが没するとエリザベスは直ちに彼を王室数学官に迎えた。そして彼が占った日付を期して戴冠式を行い、ここに半世紀にわたる治世、大海賊国家、後にイングランドの黄金期と讃えられる時代の幕を開けたのだった。
王位継承を知らされたエリザベスは聖書詩編の一節をもって、「これは主のなされた業で、われらの眼には驚くべき事です」と語った。家造りらの捨てた石(彼女)が、隅のかしら石(女王)になったのだ。そして神の意志の代理人たるべき地位をつつしんで受けた。

ディーは新宮廷の御用で大陸を視察して廻った後(知らずに諜報役を担ったと言われる)、1564年にモートレークの母親の家に落ち着き、ユークリッド幾何学原論の英訳(1570)を仕上げた。古今の文献を広く集めて私設図書館に収め、自由な閲覧に供して、多くの人士のよき相談相手となった。しかし世間の人々は彼を地獄の魔を呼び出す者と後ろ指で差したらしい。
70年代のディーは新星や彗星の出現に心を乱された人々にその解釈を説いたり、北極圏航路の実現可能性や航海術を教えたりした。76年のフロビッシャー、 85年のデイヴィスの探検航海に深く関わった。
彼は算術(※当時は魔術の一つと考えられていた)・幾何学・天文学・音楽・光学・静力学といった今日も大学で教える類の学問も、占星術・緑柱石の術(アルス・ベリルスティカ/幻視術)・錬金術といった神秘学も共に深い関心をもって学んだ。
70年代の終わり頃には水晶玉を使った天使召喚術を試みるようになっていた。

鏡や水晶を使って目に見えない諸力(例えば星辰の力)に影響を与え運命に干渉する技術、あるいは情報収集術はすでに古くから世に(大陸に)伝えられたもので、一般に磨いた黒曜石を使った鏡占(カトプトロマンティア)は未来を幻視する術であり、水晶玉による占術(クリスタロマンティア)は天使や精霊を召喚して不可知的な情報を受け取る技芸とされていた。ディーはどちらも実践した。
もっともディー自身は時々ぼんやりしたビジョンを見ることが出来た程度で、霊能が強いわけでなく、あまり収穫もなかったので、ほどなく占術や降霊術に長けた助手を雇って共同作業を行うようになった。助手が水晶玉を覗きこみ、霊が現われるとディーが質問をする。霊の答を助手が伝えてディーが記録し、解読するのだった。占術の道具や応答の方法自体、精霊のアドバイスを受けながら洗練されていった。

1582年の11月に特筆すべき出来事が起こった。ディーが神に祈祷を捧げていると(天使の出現を懇請するのである)、突然、書斎の西の窓が光輝に包まれて天使ウリエル(補記2)が顕現した。天使はディーに向かって微笑みかけ、霊界との交信に使うようにと卵形の水晶玉を与えて消えた。
ほんとかよー、と言いたいお話だが、ロンドンの科学博物館にこの時与えられたという水晶玉が保管されている。(補記3)
天使ウリエルはまたディーと助手のエドワード・ケリーに賢者の石の調製法を教えたとも言われる。
この頃、水晶玉のお告げによってディーらがグラストンベリの僧院址から錬金の秘薬水(エリクサ・ビタエ)を発見したとの噂がヨーロッパ中に広まった。関心をもったポーランドのラスキ伯爵がイギリスまで訪ねてきた。1583年に彼らは水晶玉のお告げを受けて大陸に渡り、伯爵の城で錬金術の実践を始めることになった。旅行は予想外に長引き、北西航路探検を志すデイヴィスらは、ディーのアドバイスを十分に受けられないまま出航せざるをえなかった。

大陸での錬金作業はさんざんな結果に終わった。錬金術はいつもあと一歩のところで失敗することになっているのだ。エリザベス女王に帰国の許しを求めたディーは、ケリーと別れて六年ぶりにロンドンに戻った。ところがモートレークの屋敷は魔術を怖れた暴徒に破壊され、図書室の蔵書も散逸していた。世間はオカルト排斥に激しく振れていたのである。1603年に女王が崩御すると魔術を嫌うジェームズ一世が即位した。翌年に魔術禁止法が議会を通ると、以後ディーを顧みるものはなくなった(ディーは自分は魔術師でないと宣言したのだが)。彼は晩年を困窮のうちに暮らした。

アト・ド・フリースの「イメージ・シンボル事典」(1974)によると、水晶は「透明なことから、対立したものの結合を表す」。錬金術的な石なのである。純粋性を表し、また「知恵、直観的知識、思想の半透明性、精神、知性を表す宝石」である。
水晶玉を使った占いやオカルト知識へのアクセス法は、その後何度かのリバイバルを繰り返しながら後世に伝わった。1970-80年代に始まるニューエイジ運動に連なる水晶術、クリスタル・ヒーリングは明らかにその衣鉢を継ぐものだろう。
水晶玉占いはまたホグワーツ魔法学校の必修科目の一つであるようだ。

カトリーナ・ラファエルは初作「クリスタル・エンライトメント」(1985)(※当時の米国でエンライトメントの語には「悟りを開く」という霊的成長のニュアンスがあった)に水晶玉(クリスタル・ボール)を述べて、「オカルトや、隠された知恵や、運勢占いの象徴でした」「サイキックな能力の開発に大きな影響を与える、権威あるものです」「覗き込むと、過去を見たり未来に同調することが可能になります」「これが…何千年もの間、予言の道具として使われてきた理由です」という。そしてニューエイジ風のアレンジを加えて、「クリスタルを見つめる技術を開発することは、すべてを見通す『第三の眼』を開き、時空の迷妄を越えて万象を理解する方法のひとつなのです」としている。
二作「クリスタル・ヒーリング」(1987)では、磨かない天然のままの結晶で、クリスタル・ボールと同様の働き方をする「ウィンドウ・クリスタル」を紹介している。彼女がウィンドウ(窓)と名づける第七の面から結晶を覗きこむと、マインドのなかにオーラ・ボディの色彩や印象、感覚などが反射的に映し出されるのである。
ウィンドウ・クリスタルは個人的なものであり、クリアなリフレクションを与える器、「魂の領域を覗き見ることができる開かれた窓」、「これを通して人は、幻想として抱えているアイデンティティを超越して、自己の本質を一瞥することが出来る」のだそうだ。窓を他者に当ててから自分の第三の眼にあてると相手のオーラが読めるし、今生に転生した魂の目的が分かる。行方不明の人や物のイメージを投影すると、返ってきたイメージによってその行方が知れる、という。

ところで、ウィンドウ・クリスタルとはどういう水晶なのかというと、これがありがちなことによく分からない。
形状的には正面中央(とはどこのことだ?)に大きなダイヤ形の窓がある。この窓は実質的にクリスタルの第七面(とは何だ?)にあたる。ダイヤ形の頂点はまっすぐにクリスタルの頂点まで上がる直線に繋がり、横の点は隣り合う面を形成する稜線に繋がり、下の点はクリスタルの基部(ってどこね?)まで下りる線に繋がる、という。
鉱物愛好家としては、「それは微斜面のひとつの s面ですね?」と考えたいが、いやいや、「普通に見つかるダイヤ形の面を持ったクリスタルは、ウィンドウ・クリスタルではありません。そのダイヤ形はもっと小さくて、横の方(ってどこね?)についていて、主要テーマでなくてつけたしのように見えます。ウィンドウ・クリスタルと同じ一族ですが、同じ次元やパワーを持っていません。」と仰るのである。
それでは六つの錐面と同じ程度の大きさに発達した s面がウィンドウなのであろうか? 女史は、ウィンドウ・クリスタルはそれほど多くはなく、長い間クリスタルとワークしてきた自分にしてもほんのわずかしか見たことがない、と言う。しかしその窓は明かですぐに分かる、疑いが湧くようならウィンドウではない、とも言う。 私としては、どうでもいいや、という気持ちになる。
謎であり続けるのがオカルトのオカルトたる由縁であろうか。窓を覗いて、「あなたはウィンドウ・クリスタルですか?」と問うてみるのが地道早道か。

上の画像は大きなダイヤ形の s面が現われた水晶である。左右の結晶ともに明瞭なダイヤ面を持つ。実は手前下部の結晶も美しいダイヤ面を持っていて、この群晶は全体的にダイヤ持ちだ。
2番目の画像は、結晶学的には上の標本のダイヤ面と等価な s面を持つが、その s面は一方に長く伸びた菱形になっているものである。おそらくはこういう形でなく、四辺ともがほぼ等しい長さのものがウィンドウ・クリスタルなのだろう。しかし、なぜダイヤ形でなければならないのか。その必然性はないと思われるが。
下の画像の中央の結晶は、典型的なプロポーションの s面を持つものである。そして x面や M面らしき幾つかの微斜面を伴っている。熟達したクリスタル・ゲイザー(補記4)がこの面を覗けば、何も得るものがないなんということは果たしてありうるだろうか。ほんとにこれはウィンドウ・クリスタルではないのか。

 

補記1:オカルトとは「知性によって理解されないもの、悟性や通常の知識の範囲を超えたもの」(オックスフォード事典)を意味して、神秘的な性質の出来事や知識を指した。イギリスで初めてオカルトの語が用いられたのは 1554年といい、当時オカルト的なものへの関心が社会的に高まっていた。ジョン・ディーのように、これを神の神秘への参入として熱心に研究する者(数学者、天文学者、錬金術師を含む)がある一方で、悪魔的な業として忌避する人々も多くあった。
ディーはカルダーノに出会った後、宝石の持つ魔術的な力(目に見えない影響力)についても学んだとみられ、後の水晶玉占術に繋がる。

補記2:天使は神の創造した精霊で、神より下、人より上の存在として、神の恩寵や神託を地上にもたらす者である。ヨーロッパでは天使を崇拝しても教義に反しないと考えた聖アウグスティヌス以降に崇拝の対象となった。
天使には九つの階級があるとされ、上級三隊が神と直接の関わりをもった。熾天使、智天使、座天使。熾天使は炎と愛を司り、六つの翼をもち、サンクトゥス(聖なるかな)の語を3つ書いた盾を持つ。ウリエルはその長である。ミカエルはすべての天使を導く大天使の長。この知識(天使学)もまたオカルトである。

補記3:博物館の解説によると、この玉はディーの息子アーサー(1579-1651)が引き継いだ。彼は錬金術の手ほどきをジョンから受け、また水晶玉占術の話者(交霊者)役も務めたとみられる。錬金術に関する著作をなした。アーサーは後年、肝臓の不調を診てもらった御礼代わりに医師の(占星術師でもある)ニコラス・カルペパー(1616-1654)に水晶玉を譲った。カルペパーは玉を病気の治療に使ったが、1651年に玉の中に悪魔的な霊が出現したのを見てやめたそうだ。ジョン・ディーが占術に使ったものとのカルペパーの添え書きがある。参考画像をリンクしておく。→画像1 
ちなみにジョンは生活の困窮のため、晩年には研究機材や蔵書をほとんど手放したが、彼が所持した品の幾つかが大英博物館に収められている。この他にも彼のものだったという水晶玉がある。→画像2
アステカ帝国に由来する黒曜石を磨いた鏡があり、ジョンが所持して占術に使ったというが、他方でその裏付けはないともいう。

補記4:Crystal Gazer. 水晶玉を覗く占者のこと。転じて、予想屋。余談だが MR誌は一時期、美しい結晶標本に憑りつかれたミネラル・コレクター連中をこの言葉で呼ぼうとしていた。が、すぐに止めてしまった。

補記5:ダイヤ形の窓を持つウィンドウ・クリスタルに似て、平行四辺形の窓が見える結晶を、K.ラファエルは三作「クリスタリン・トランスミッション」で「タイム・リンク・クリスタル」と呼んでいる。そして鉱物愛好家の言う右水晶に現れるものは未来に繋がり、左水晶に現れるものは過去に繋がるという。(ブラジル式双晶で左右に窓のあるものは、過去も未来も星座も越えて行くタイム・トラベラー。)
cf. No.965 補記2

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