975.水晶 (ドフィーネ双晶) Quartz Dauphine twin (インド産)

 

 

水晶 形態上のドフィーネ双晶 -インド、クル谷産 
錐面と柱面との間の肩に連続して x面(x面)が現れる。
左手水晶

上の画像をトレースした結晶図
x面(x面)は大傾斜面(傾斜柱面)とセットで現れている

同じ結晶(やや板状の晶癖)の別の面群。
肩に x面(x面)が3つ並んでいる。
形態上のドフィーネ双晶であることが分かる

上の画像をトレースした結晶図
こういう結晶ではどれが r面/z面か言い難い

 

17世紀、デンマークの医科ニルス・ステンセン(ステノ:1638-1686)は、「プロドロムス(固体論)」において水晶の形状を、「二つの六角錐とそれらを取り結ぶ同じく六角形の柱とから構成されている」と述べた。これは普通の(世間一般に通じる)観察である。
18世紀後半にフランスのロメ・ド・リールが結晶の規則性に関する研究を推し進めて、球状の構成微粒子の対称的な配列を想定した頃も、彼の弟子のカランジョーが接触式測角器を発明して(1772)多数の結晶の面角を測定し理想形のモデルを製作した頃も、18世紀末にアウイが結晶形の成り立ちを多面体の構成微粒子の集積として説明し、有理指数の法則(1801)を説いた頃も、水晶の形は同様に認識されていた。

その後アウイは 1810年に水晶が半面像晶族(欠面像晶族)であることを初めて指摘し、1811年にはアラゴが水晶板の偏光面の回転について報告した。水晶の肩の微小面(アウイは plagiedre:斜向面と呼んだ)が結晶の左右対掌性との関連で科学者たちに意識されるようになったのはこの時期と思しく、1820年にハーシェルは水晶の形態上の左右性と光学的旋光性との関連を指摘している。 No.940
一方、肩の微小面が双晶との関連で語られるようになったのは、これよりやや遅れてのことらしい。

「晶帯の法則」(ワイス則)で知られるベルリン大学の結晶学者 C.S.ワイス(1780-1856)は、1816年に水晶の貫入双晶について初めて明確な記述を行ったが、この時彼が示したのは下図のような凹入角を持つ貫入(透入)双晶だった。

これは三方晶癖の個体に対して、同じく三方晶癖の別の結晶が柱軸周りに180度回転した配置で組み合さったモデルであるが、このように一目で双晶(ドフィーネ双晶)と分かる標本はそうそう見つかるものではない。水晶は普通、頭部に3つの錐面(菱面体面)を持つ三方晶形でなく、6つの錐面を持った疑似六方晶形で現れるからである。そして貫入双晶では一方の r面と他方の z面とが同じ錐面上に共存するので単結晶と区別しがたい。(cf. No.974)
私たちが今日、形態上のドフィーネ双晶として周知の形状は、錐面と柱面との間の肩に微小面(s面や x面)が現れて初めて判然するタイプだが、この形のモデルはグスタフ・ローゼ(1798-1873)の「水晶の結晶化システムについて」(1844/1846)で提示されている。

dauphine law and brazil law twin irealized crystal model

(左)ドフィーネ式双晶、(右)ブラジル式双晶を形態的に説明する理想化された結晶モデル。ドイツのグスタフ・ローゼが提示し、後の鉱物書は(邦書でも)軒並みこれに倣った図を採用した。古典図。


ローゼはベルリンのワイスの下で鉱物学/結晶学を学んだ。1820年にキール大学に提出したスフェーン/チタン石の結晶系に関する学位論文は、反射式測角器を用いて結晶の面角を精密に測定した最初のモノグラフという。これによってローゼはアウイのスフェーン(1801)と知人クラップロートのチタナイト(1795)とが同じ鉱物であることを説いた。
その後、ストックホルムのベルセリウスの化学実験室で学び、1823年にベルリンに戻ってワイスの補助講師に就いた。26年に員外教授に、39年に正教授となった。56年にワイスの後任として鉱物博物館の館長に収まり生涯とどまった。ローゼは当時の鉱物学が扱うほぼすべての分野に通じており、著した論文の数は 125に及んだが、面角の測定技術や数学的思考能力が大きな強みになったと思しい。上の図で分かるように、水晶の錐面を正負2種( r面とz面)に区分すべきことを示したのもローゼである。こうして水晶は結晶構造体系に正しく分類されたのだった。

肩の微小面(斜向面)による双晶の識別法が示されると、このテの双晶は以前からそれと知られず扱われていたことが分かった。フロンデルは Dana 7th にこう書いている。
「水晶のドフィーネ双晶は 1816年にワイスによって認識された。彼は図51(※上の三方晶形双晶の図)に示すような凹入角を持つ貫入双晶を発見した。これより以前、ドフィーネ双晶の、凹入角を持たない普通のタイプはそうと識別されないままアウイによって示されている。カッペラーはより以前にドフィーネ双晶の結晶図を描写している(1723)。アウイの斜向面水晶の図版57の 図15は左手水晶の双晶で、x面がすべての肩に繰り返し描かれている(明らかに理想化された図である)。ドフィーネ双晶の図は、ハーシェルもまたそうと認識しないままアウイの図を引用して、彼の水晶の光学的旋光性と形態との関係を述べた研究において示されている(1820)。このテの双晶は光学旋光性にはなんら影響を与えない。同じ方向に同じ比率で旋光性を与えるからだ。…
凹入角を示さないドフィーネ双晶を純粋に形態的に識別することはしばしば困難であり、この双晶がきわめてありふれたものであることは、1855年にレイドルトが結晶を腐蝕液に浸してエッチングすることによって判別出来ることを示すまで、気づかれなかった。」

ハーシェルの論文に引用された水晶のモデル
各肩に微小斜面(x, x'面の符号)が見られる

この双晶はスイス・アルプスに産する(煙)水晶に多く見られたので、スイス式双晶、アルプス式双晶などと呼ばれた。またフランスのドーフィネ地方(現在のイゼール県・ドローム県・オートザルプ県あたり)の山岳地帯にも見られて、主流名称ドフィーネ式双晶に繋がっている。和名としては明治期以降の古い邦書にドーフィネー、ドーフィネの語が用いられたが、現在はドフィーネが一般的。双晶名のほか、晶癖名にも用いられる(cf. No.941)。
余談だが、ドーフィネとは 12世紀頃この地方の領主だったギー4世アルボンがイルカ(dauphin: ドーファン)の紋章を掲げたことに由来し、以来伝統的にその承継領地をドーフィネ領と称したのだった。
形態上のドフィーネ双晶は、実際のところ世界中の水晶産地に見い出される。

 

補記1:傾軸式接触双晶であるいわゆる日本式双晶の最初の報告も C.S.ワイスによるもので、1829年にフランス、ドフィーネ地方のラ・ガルデット産が示された。cf. No.938

補記2:19世紀前半は数学的な抽象思考に長けた結晶学者たちの活躍によって結晶形態学が大いに発展した時代だった。14タイプの単位格子(ブラベー格子)、7種の結晶系、32の晶族(点群)といった、なんだか頭がこんがらがってしまう対称規則が打ち立てられた。ブラベーがこれらを結晶の分子構造に結びつけて説明したのは 1848年のことで、この理論は完面像形の対称をよく説明した。
こうした知識背景の中で、双晶に対する理解は、一方の個体の鏡面による反射、ある軸周りの180度回転によって、双晶面・双晶軸という用語を足掛かりに進められた。水晶においてはブラジル式双晶、ドフィーネ式双晶である。

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