505.琥珀(バーマイト) Amber(Burmite) (ミャンマー産)

 

 

Amber var. Burmite こはく バーマイト

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こはく(バーマイト) -ミャンマー、カチン州北部、フーコン渓谷産

 

 

近年、スリランカなみにさまざまな希産宝石種が出てきて賑やかなミャンマーだが、古くからのビッグネームといえば、ルビー、サファイヤ、ひすい、そしてこはくであろう。

中国との国境に近いミャンマーの奥地、カチン州北部のフーコン(フーガン)谷は昔からこはくを産することで知られた。その歴史は数千年にわたるといい、漢代の工芸品にその例が見られる。文献的には現存する中国最古の地方誌「華陽国志」の永昌郡古哀牢国の条に、「明帝の永平12年(AD69年)蜀郡の鄭純を太守とした。」の文に続けて「黄金、虎魄(琥珀)、翡翠、孔雀、犀、象…」などを産することが記されている。(ひま話  翡翠の名の由来
哀牢は雲南省西部の永昌盆地を中心に興った国で、こはくはおそらくフーコン谷で採集されたものが交易によって流れてきたのだろう。
虎魄とは虎の魂の謂で、死んだ虎の魂魄(こんぱく)が地中に下って凝ったものとされたことによる。猛獣の魄であるこはくは強い生命力とへき邪の力を宿し、医薬品の調合に用いられたり、護符として魔法的な効果があると考えられた。それはミャンマー産のこはく(バーマイト=ビルマの石の意味)にしばしば見られる赤い流渦模様や、亀裂を埋めるインクルージョンが虎縞を連想させたからでもあろうか。
正倉院御物の中にもバーマイトを使った工芸品がある。
降って18〜19世紀には清朝中国で精緻な彫刻の素材としてひすいと共にもてはやされた。ドミニカやバルト海産のこはくと比べて硬いため彫刻に適しており、磨き上げたとき素晴らしい光沢を見せるのだった。大きな塊が見つかることはあまりなく、普通は小片で産するのだが、その色は黄金の、いわゆるこはく色から、褐色がかったオレンジ色までさまざまにあり、チェリー・レッドの赤みを帯びた濃色のものは特に魅力的で珍重された。

19〜20世紀の初め、イギリスはミャンマーのルビーやこはくの鉱山経営権を握ったが、国内にバーマイトが入ってきたのは1840年代のことである。チェリーレッドのビーズはビクトリア期に熱狂的な流行を呼んだ。1898年から1941年にかけてイギリス系企業が採掘していた頃の産量は年平均1トンを数えた。もっとも年産500トンといわれたバルト海産こはくには比べるべくもない。余談だが、20世紀の初めに人造樹脂ベークライトが発明されると、こはくに似せた大量の模造品が作られた。「家宝」として伝わるチェリーレッドの身装品はたいていベークライトだという。
二次大戦が始まると、ミャンマーはその渦中に巻き込まれて戦場となったため、バーマイトの供給が完全に止まった。戦後、現地人の手で採掘が再開されたが、政治的な事情もあって、アジア市場に少量出るほかヨーロッパではほとんど見ることが出来なかった。ちなみに標本商マーチン・エアマンは1960年頃にフーコンのこはく鉱山を訪れた。この産地のこはくは太陽の光で青い紫外線を放つ脈筋を持っていること、石炭を含む土壌の付近に良質のものが出ることを記している。

カチン州北部の環境は劣悪で、雨季にはマラリアやデング熱が猖獗を極める。中国人は雲南から南方を化外の地、瘴癘の地として人が足を踏み入れるべき場所でないとしていたが、18世紀以降ひすいやこはくを求めて森林に分け入り、行き倒れる一旗組が後を絶たなかった。ちなみにフーコンとはカチン族の言葉で「死の谷」を意味する。首塚の意ともいう。住民による襲撃もなかったわけではない。

上述のように20世紀の後半、バーマイトはほとんどアジアから外に出回らなかったが、1999年、カナダの採金企業がライセンスを取得し採鉱を始めたことにより、再び広く見られるようになった。
もともとは谷底に深い縦坑を掘って採掘されていたが、新しい鉱山は周辺の丘を崩して掘り出している。表土は浅く、多少の土砂を取り除けばこはくの層にゆきあたるという。 

 宝石クラスのバーマイトは高い透明度を誇るが、たいていは渦模様の色むらがある。しかしほとんどの原石は大量のインクルージョンを含むために不透明で、またき裂を帯びている。き裂が白い方解石で埋められていることもある。透明なバーマイトは光を透かす向きによって色が変わってみえる傾向があり、例えばある向きからは淡い色に見えるが、別の向きからはチェリーレッドに見えるものがある。微小なインクルージョンによる反射光の影響とされている。

バーマイトは8000万年〜1億1千万年前の白亜紀、恐竜がいまだ地上を闊歩していた時代に起源を持つこはくであり、インクルージョンとして含まれる植物や昆虫などの広範な生物相はこれらの生物が恐竜と共存していた往時をしのばせる。ドミニカやバルト海産のこはくはそれぞれ2〜3千万年前、4〜5千万年前、すなわち恐竜が絶滅してずっと後になって生まれた。バーマイトが「古く硬く重い」と語られる所以である。
バーマイトはマンサク科の落葉高木モミジバフウの樹液から生じたとみられている。バルト海産のこはくはマツ科針葉樹(パイナス・スシニフェラの仲間の絶滅種アラウカリア)のそれから、ドミニカ、メキシコ産のこはくはある種のマメ科広葉樹(ヒメナエアの仲間で中米に現生種がある)から、日本の久慈産のこはくはスギ科針葉樹(ナンヨウスギの仲間で南米に現生種がある)の樹液が起源になっているという。久慈のこはくは8.5〜9千万年前のもので、バーマイトとほぼ同じ年代である。(※琥珀を産する地層は必ずしも琥珀が生じた場所であるとは限らない。例えばバルト海の産地は琥珀が生成した後に漂砂・堆積過程を経て多量に集まってきた土地である。従って生成した時期は少なくとも上記年代以前と考えるのがよい。地層的にもっとも時代の古い琥珀はイギリス・ワイト島産やレバノン産で、約1億3千万年前、白亜紀前期のものである。この時代の琥珀は太古に生息した珍しい昆虫を含んでおり貴重。)

上の標本は、標本商さんによれば、現地の人たちが地下300m(? !)くらいのところから採集してきたものだそうだが、定かでない。時期的にカナダ系資本によって周辺の丘に新鉱山が開かれた頃に出たもののようだが...。
現地ではアロマテラピーにも使われているということで、いかにも太古の香りが漂いそうである。ちなみに日本でもこはくはかつて薫陸(くんろく)と呼ばれて、薫香に用いられた。ただし薫香に用いたのは唐渡り品で、国産品(久慈産)は同様に「わのくんろく」と呼ばれたものの香りがよくなかったようだ(補記2)

補記:現地では ambemg アンベンと呼ばれている。アンバーから来ているのだろう。採掘されたバーマイトはマンダレーでビーズに加工されて、インドのアッサムやマニプール地方に流れてゆく。ここでは人々が昔ながらにバーマイトを使った護符を身に着けているそうである。
フーコン谷は中国とミャンマーの国境付近の町ミッチーナと、アッサムとを結ぶ線上にあり、インドとの国境に近い。昔からインド-中国間の往還ルートの一つに数えられている。

補記2:薫陸の名は琥珀に限らず植物の樹液から生じた香料に用いられたようだ。本草綱目啓蒙では乳香が薫陸香乳香とまとめられ、「薫陸、乳香、元来一物なり。薫陸は木より出る脂、久しくなりて松脂の形の如く紫黒色なる者をいう」とある。一方、琥珀の項には「和の琥珀の中、黒色を帯びるものを薬舗にて薫陸と名づけ売る。唐山よりも薫陸となし渡す故なり。然れども是ならず。黒色を帯びるものは琥珀の下品なり。」などとある。蘭山は舶来の琥珀は透明で焼くとよい香りのするものがあるが、和産は濁っており焼くと臭気があるとみる。薫陸というより臭陸であろうか。
昭和初期には久慈産のこはくをいぶして蚊取り線香の代用として使ったことがあった。バルト海産などと比べると硫黄含有量が多いという。1970年代には町興しの一環として「久慈琥珀」が設立され、アクセサリーや工芸品が作られた。

ちなみに中国では紅色透明の琥珀が明珀または血珀と呼ばれて上品とされた。雲南産のやや淡い赤黄色のものは金珀で、次品。日本では銀珀と呼んだ。その次が淡い黄色のもので日本では蝋珀といった。蜜蝋に似るため。(薄い赤色〜赤みがかった黄色透明のものを琥珀、金〜明黄色透明のものを金珀、黄金〜茶がかった黄〜黄身色半透明のものを蜜蝋と分ける、とも。虫入りは昆虫琥珀)。
「慈石(磁石)は鉄を吸い、琥珀は芥を拾う」と昔から伝わるが、芥を拾うのは琥珀に限ったことではない、と蘭山は言う。下等の硫黄を他のものと混ぜた塊を金蝋石といって、布上で擦って温めて煙管の掃除などに用いた。オランダでは同じ用途にトルマリンを用いたようだが。
虫入り琥珀は洋の東西を問わず、好奇の念をもって珍重されたらしい。明代末の文人旅行家である徐霞客は、大理の市場で琥珀緑蟲(緑色の虫入りコハク)を見ている。ミャンマー産だろう。cf. ひすいの話
日本にはコハク中の虫の訳語に「琥珀蟲(こはくちゅう)」の語がある(ユンガー「ガラスの蜂」が一例)。虫入りの水晶玉を「含蟲珠」と呼んだ例もあるが、これはどうも誇大宣伝っぽい。cf. No.928 水晶

補記3:中国では前漢代や唐代に琥珀飾の出土例があるが、数量は長年数えるほどだった。1986年に遼代陳国公主夫婦墓から 2101点の琥珀佩飾が出て当時の北方草原文化圏で珍重されたことが明らかになった。中国内地の琥珀の主な産地は東北撫順石炭鉱山などの石炭層。スギ科の針葉樹(メタセコイアの仲間で中国に現生種がある)の樹脂で約4千万年前のもの。
一般に虎の魂魄とされるが、唐代の段成式「酉陽雑俎」には「龍の血が地中に入って虎魄となった」ともある。
琥珀には邪を避ける効能があるとされ、子供の胸元に琥珀の数珠を下げさせて、邪を避け、怯えを鎮め、無事の成長を願った。

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