842.パイロクロア Pyrochlore (ロシア産)

 

 

Pyrochlore

Pyrochlore

パイロクロア(赤褐色、白色は方解石)
- ロシア、南ウラル、チェリャビンスク県、Vishnevye Mts.産

 

 

今日知られている元素の多くは 18世紀半ばから19世紀の間に、ヨーロッパ近代化学の思想・手法によって存在が確認された。さまざまな土地の産物が研究されたが、なかでスウェーデン=ノルウェー産の鉱物/鉱石はこの流れを繰り返し活性化する役割を担った。
タングステンはスウェーデンの「重たい石」から発見された(1781-83)。イッテルビー村のガドリン石からイットリアが発見され(1792-94)、同じ鉱山の鉱石からタンタルが発見された(1802)。バストネスの「重たい石」からはセリア(1803)、ファールンの鉄鉱石由来の硫黄からセレン(1813)、ウーテ島のペタル石からリチウムが発見された(1817-18)

北欧に産する風変りな鉱物は注目の的となり、比重の大きな石やガドリン石に似た黒色の石が見つかると、化学者たちはこぞって入手に努め成分を分析した。その中でまた数多くの新しい鉱物が報告され命名されていったのである。
ゼノタイムは一例で、このガドリン石類似の鉱物はノルウェー南西の海岸地方ヒドラの花崗岩ペグマタイトで採集された。1824年頃ベルセリウスは新元素(トリウム)が含まれることを期待して分析したが、残念ながらイットリアの燐酸塩であることが分かった。
この標本はニルス・オットー・タンク(1800-1864)から提供された。ノルウェー貴族の家柄で、南部のハルデンの生まれ。後にモラヴィア兄弟団の伝道運動に参加して米国に渡るが、1820年代初には鉱物学を学び標本を収集していたという。

タンク氏はまた、フレドリクスヴァーン(現スタヴァーン)のかすみ石閃長岩帯の標本を提供し、ベルセリウスはその中から ポリミグナイト Polymignyte を記載した(「多くが混じりあった」の意:1824年)。黒色のカルシウム、チタン、ジルコニウムの酸化物で、ジルコンと共産する。ランゲスンツ−ラルビク地方の鉱物研究者として知られるA.O.ラーセンは、これがこの地方からの最初の新鉱物報告だったとしている。後にジルコノライト Zirconolite と同じとされて種名から外れたが、原則を言えば命名優先権はこちらにあった(ジルコノライトは1956年にコラ半島アフリカンダ山塊産のものに与えられた名。後にIMAは同組成のメタミクト物をこの名で呼ぶことに決めた。遡って原産地はフレドリクスヴァーン 1824年記載とみなされる)。ちなみにベルセリウスが金属ジルコニウムの単離に初めて成功したのもこの年だった。ヴェーラーは彼の下にあってストックホルムの春を謳歌していた。

ところで 1824年の7月から秋にかけて、ベルセリウスはフランスから来たブロンニャールと、研究を切り上げたヴェーラーと共に、スウェーデン=ノルウェーの地質調査旅行に出かけた。彼らはラルビクの採石場を訪れ、ここにジルコン、ゼノタイム、ポリミグナイトなどの鉱物を確認した。またポリミグナイトに似て非なる鉱物があった。タンク氏のフレドリクスヴァーン産の標本にもあったもので、長石やイーレオライト(かすみ石)中に上述の鉱物を伴って産する八面体の結晶である。全体に赤茶色を帯び、茶色のくさび石のようだった。新鮮な破面はほぼ黒色で貝殻状断口を示した。条痕色は茶色。概ね不透明で、結晶の稜の薄い部分だけが若干の透明度を持っていた。
この石はベリセリウスの命名で 1826年にパイロクロア Pyrochlore として報告された。ポリミグナイトが吹管で加熱しても黒色を保つのに対して、こちらは緑色(黄緑色)に変化することが由来である(火+黄緑色)。
成分分析はヴェーラーが行った。彼は当初、チタンを主成分とし、カルシウム、セリウム、ウラン等を含む鉱物と報告したが、後にコロンビウム(ニオブ)が主成分であるとした。(ヘイズ Hayes はフレドリクスヴァーン産のものはコロンビウムの一部がチタンで置換されることを確認したが、その後コロンビウムよりむしろタンタルを多く含むことが指摘された。後述のブレビクやミアースク産のものではヴェーラーはチタン成分を数えていない。)

分析報告に際してヴェーラーは組成式を示さなかった。組成に寄与すると思われるフッ酸の量を決定することが出来なかったためという。またジルコニウムが含まれるかどうかもあまりはっきりしたことが分からなかった。一方、未知の元素を含む可能性に気づいたと言われるが、おそらくトリウムだったらしい。
新元素トリウムは結局 1828-29年にルーヴー島産のトール石から発見されたが(No.836)、ほどなくヴェーラーはブレビク産のパイロクロアがトリウムを含むことに気づいたのである。その後、探検家フンボルトから提供されたシベリア、ミアースク産のパイロクロアを分析したところ、さらに多量のトリウムが含まれていた。

パイロクロアは分類の難しい石である。置換によってさまざまな元素がさまざまな比率で混じりあい、またウランやトリウムなど放射性元素の影響でメタミクト化して結晶構造が不明瞭な場合が多い。さらにかつてはコロンビウムとタンタルとの性質の類似から両者の区別に難があった(19世紀前半は両者を同じ元素とみなす風潮があった)。

20世紀後半の鉱物書を開いてみると、パイロクロアは (Na,Ca)2Nb2O6(OH,F)・nH2O (Dana 8th)、または類似の式で示されている。対してニオブをタンタルで置換したものがマイクロ石 Microlite: (Na,Ca)2Ta2O6(O,OH,F) (Dana 8th)である。パイロクロアはかすみ石閃長岩やそのペグマタイトに産することが多く、またカーボナタイト中にも知られている。マイクロ石は花崗岩ペグマタイトに産することが多い。両者には多数の別称が与えられてきた。
例を挙げるとパイロクロアでは、ハイドロクロア Hydrochlore、フルオロクロア Fluorchlore (1850 ヘルマン、水酸成分の多いもの、フッ素成分の多いものの別)、コップアイト Koppite (1875 ノップ)、ハチェットライト Hatchettolite (1877 スミス、ハチェットはコロンビウムの発見者)、ウランパイロクロア Uranpyrochlor (1896 ホルムキジット)、エンデアイオライト Endeiolite (1901 フリンク)、エルスワーサイト Ellsworthite (1923 ウォーカー 含ウラン、オンタリオ州モンテグル産)などと呼ばれた石があった。
一方のマイクロ石は、1835年にマサチューセッツ州チェスタフィールド産のものがシェパードによってこの名で報告されたが、ネオタンタライト Neotantalite (1902 テルミエ)、タンタルパイロクロア Tantal pyrochlore (1932 マチャチェキ、ニオブパイロクロアの対名)、メタシンプソナイト Metasimpsonite (1938 シンプソン)、ジャルマアイト Djalmaite (1939 ギマレース)などと呼ばれた石があった。なおマイクロ石とは結晶の大きさが常にミリサイズを越えないことを意味するが、今日では数センチサイズの標本もちゃんとある。

20世紀後半には整理が進み、Dana 8th (1997) の頃は、パイロクロア・グループの下にパイロクロア、マイクロライト、ベタファイト、セスティブタンタイト(Cesstibtantite: Cs, Sb, Ta を含むことから)のサブグループが設定され、その下に種名としてパイロクロア、マイクロ石が置かれていた。
しかし現在は両者とも種名から外されてグループ名の扱いとなっている。その下に成分に基づいて与えられた冠辞のつく種名(例えばハイドロキシナトロパイロクロアとか)が置かれる。
とはいえ鉱物標本市場では新しい種名はほとんど役に立たないため、標本は依然パイロクロア、マイクロ石の名で流通している。

画像の標本はロシア、チェリャビンスク県のヴェシュノゴルスク産。1990年代初に突然、この地方のチェリー山地にあるニオブ鉱山から出回った標本である。方解石脈中にパイロクロアとしてはかなり質の高いシャープな八面体結晶が含まれている。3cmに及ぶものがあったという。鉱山は1993年半ばに閉山したが、標本はその後も出回っている。ちなみにチェリー山地の南端はイリメニ山地の北端からわずか数キロの位置にある。イリメニ山地ミアースク産のパイロクロアはフンボルト以来のクラシック標本だったが、現在では新たな産出がなく、1960年以前に採集されたものが還流していると言う。

補記1:フレドリクスヴァーンは、微斜長石 Microcline の原産地としても知られる(1830年 ブライトハウプトが報告)。

補記2:水酸化マンガンを成分とする Pyrochroite (パイロクロアイト、キミマン鉱、黍マン鉱)は別の鉱物。

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