850.キアヴェンナ石 Chiavennite (ノルウェー産) |
1890年に出たブレガーの著作はランゲスンツ地方を擁するオスロ南方の集大成的な鉱物誌で、これに続く研究は長らく現れなかった。1970年代になって漸く地元の研究者らがこの歴史的産地に再びスポットをあてたのだが、1世紀近く昔の爆破採集孔が、激しい風化を経ながらも、未だ当時のまま各地に残っていたそうである。
商業的な面ではその頃からフィヨルド東岸のサーゴセンやツヴェダレン(ツバイダーレン)地域を中心にラルビカイトの採石が盛んになっており、その流れも手伝って研究が進んだ。かつてランゲスンツの島々に記載された希産鉱物が再び報告され、また新鉱物もいくつか発見された。1978年に記載されたガドリン石-(Ce)
はブレビクより 20km ほど北のスキーン(シーエン) Skien
の閃長岩ペグマタイトに出た標本を精査して確定されたもので、 1890年以来の新種報告となった。その名の通り、アレニウス大尉が発見し希土類イットリアの発見に繋がった歴史的鉱物、ガドリン石-(Y)
に対比するセリウム優越種である。
本鉱は実はその以前に発見されていた種で、最初の標本は
1970年にツヴェダレンのヘイア Heia ・ラルビカイト採石場の閃長岩ペグマタイトに採集された。晶洞中に晩期に熱水生成したもので、方沸石やソーダ沸石上にオレンジ色の球顆放射状の集合をなす。母岩の長石は風化が進み、霞石は共存していなかった(ペグマタイトの他の部分にはあった)。カルシウム・マンガン・ベリリウムのケイ酸塩で、新種である(らしい)ことは分かったが、結晶学的特性を記述するに適当な単結晶が見出されなかったため申請が滞った。1974年、同じ地域の道路工事の際に、切り通しに露出したペグマタイトから大量の本鉱が出たことで研究が続けられたが、記載申請は1981年の3月まで遅れた。そしてその数日前に提出されたイタリア・キアヴェンナ産の新種が奇しくも同一鉱物であることが分かり、慣例に従ってキアヴェンナ石の名が認められた。組成
CaMnBe2Si5O13(OH)2・2H2O。
面白いことにイタリア産の本鉱はアルプス式ペグマタイト脈中のベリルの表面に、常にバベノ石を伴うオレンジ色微粒の殻状風化物質として生じており、ノルウェー産とはまったく異なる産状だった。そこで記載論文はそれぞれ独立に作成されることになり、原産地標本はイタリア産とノルウェー産とが登録された。ちなみに上述のツヴェダレンの第二産地ではベリリウム鉱物として他にユージジム石、ハンベルグ石、リューコフェン石が産し、またメタミクト化したガドリン石-(Ce)
も出た。
ツヴェダレンではその後、10余の採石場で本鉱が確認され、またイタリア産より見栄えのよいものが標本市場に出回った。とはいえイタリアの地名がついたことはノルウェーの鉱物学者たちにはなんとしても悔しいことなのであった。
ところが数年後、Vevja
採石場の爆破砕片からキアヴェンナ石に似たクリーム色の球顆状鉱物が出た。実際その外周殻はキアヴェンナ石だったが、内側はほぼ同じ成分ながらX線回折パターンに違いが見られた。そして組成
(Ca,Mn)4Be3Si6O17(OH)4・3H2O
の新鉱物ツヴェダレン石 (ツヴァイダーライト Tvedalite)として
1992年に記載された。ほどなくイタリアのキアヴェンナ石原産地でもツヴェダレン石が確認されたことでノルウェー勢は漸く溜飲を下げた。
画像はトレショー・フリッツォ採石場産の標本。ここは後にアルメニンゲン採石場となった場所のようだ。ツヴェダレン石も報告されており、一般にオレンジ〜ベージュ色のものはキアヴェンナ石、ベージュ〜クリーム白色のものはツヴェダレン石として出回っている。この標本、オレンジ色の部分はまずキアヴェンナ石だが、淡色の中核部(や別箇所のクリーム色球顆)はあるいはツヴェダレン石かもしれない(と希望的に観測するけれど、何も確証はない)。画像の左右は実寸 2mm ほど。ルーペか実体顕微鏡で楽しむミクロの世界。
cf. ランゲスンツ周辺の地理