891.ツァボライト Tsavorite/Tsavolite (タンザニア産) |
鉱物学でいうグロッシュラー Grossular はカルシウムとアルミニウムを主成分とするガーネット(灰ばんザクロ石)で、名の由来こそ薄緑色の西洋すぐり(グロシュラリア/グースベリー)に因むが(No.332)、組成と結晶構造に従って分類したのであるから、みかけ上の色は種の定義に関わりがないことになる(もちろん色に由来する鉱物名は枚挙に暇がないけれど)。
宝石との関わりを言えば、古来ヒヤシンス(No.618)と呼ばれたさまざまな宝石のうちで明るいオレンジ色〜シナモン・レッドのもの、その中でも硬度の低いものが鉱物学者によって
エッソナイト Essonite (1817 アウイ)、ヘッソナイト
Hessonite (1821 レオンハルト)と称されるようになった(硬度の劣る石の意)。一般にシナモン・ストーンと呼ばれた石で、ガーネットの一種であった。
一方、グースベリー・ストーンと呼ばれた薄緑色の石は、同じ頃グロッシュラライト
Grossularite (1808-09 ヴェルナー)と称された。ヘッソナイトと同じ分類基準に収まるガーネットで、その後この種の灰ばんザクロ石は、ヘッソナイトの名で括られることもグロッシュラライトの名で括られることもあったが、今日では後者が採用されて、かつ発音しやすいようにグロッシュラーと約めて呼ばれている。
伝統的な色合いのヘッソナイトでなくグロッシュラーが種名として残ったのは、単に政治力学的な理由からだと私には思われるが(あるいは記載が少しだけ早かったから?)、奥山康子氏は(近代鉱物学の)「色イメージによる命名からの決別宣言のように私には思える」と述べておられる(青いガーネットの秘密)。
実際、天然に産するグロッシュラーは橙、黄、赤、茶、紫、緑、乳色など、「ガーネットとしてとりうるほとんどすべての色をあらわすことができる」のであり、それは「純粋なものが無色であることの裏返し」で、「微量の混ざり物によって、さまざまに色づいてしまう」(奥山)からである。(補記1)
本来ガーネットは血の赤色、あるいは炎の赤色の宝石で、その魅惑と文化はルビーと同じくカーバンクル(紅玉)に連なっている。(No.713、No.714、ファールンの銅山補記6)
そこに草緑色のガーネットが現れたのは、そんなバナナの世界であり、世間の常識に容れられないことだった。だからこそ鉱物学は色との決別(伝統的な分類との決別)の意志表明としてグロッシュラーの名をとった、というのが奥山氏の見方になろう。それは同時に民俗的な石や宝石の文化・迷信からの決別でもあったわけだが、だからといって人類が伝統文化を捨てたわけでも宝石に魅せられなくなったわけでもない。
ガーネットの分類系を No.249に図示したが、緑色のガーネットはふつうウグランダイト系(ウバロバイト(灰格)-グロッシュラー(灰礬)-アンドラダイト(灰鉄)にまたがる成分系)と灰バナジウム成分系とに見られるもので、発色はクロムまたはバナジウムに起因するといわれる。
鮮やかな濃緑色のウバロバイトはロシア・ウラル地方のビセルスクで発見されて
1832年に記載された。
19世紀中頃(1853年?)には同じウラル地方のニジニ・タギルやボブロフカ川流域でも類似の緑色石が発見された。ウバロバイトと違って透明な、むしろオリビン(ペリドット)に似た石だった。これをクロムを含むアンドラダイト系のガーネットと判定したのはニルス・グスタフ・ノルデンショルド(1864年)で、後にデマントイドの名も示している(1877-78年)。訳せばダイヤモンドもどき。 cf.
No.79、No.879
伝統的な赤色ガーネットのパイロープやアルマンディンの硬度(~7.5)が石英(7)より高いのと比べると、デマントイドは一般に石英より硬度が低い。従って指輪や首飾りなどの装身具向きとはいえないのだが、ダイヤモンドのように明るく輝くことと、色の美しさ、希少さから高評価を得た。
もっとも人気にはアメリカの宝飾店ティファニーによる宣伝効果がかなり利いている。
チャールズ・ティファニー(1812-1902)がニューヨークに商会を開いたのは 1837年の秋である。いまだ貧しく雑踏した町の、それも場末のファンシー・ショップ(雑貨店)だったが、最初は東洋の珍しい品を、やがて欧州の雑貨を手掛けて成功する。他の店で手に入らない品を揃え、つねに新商品を開発し続ける姿勢が当たって、また宣伝も巧みだった。高価な宝飾品を扱うようになり、二月革命(1848)で混乱するフランスから流出した宝石を捌いたりしたという。60年代には銀器商として名を知られ、やがて宝石専門店を志した。その頃、南アフリカでダイヤンド鉱山が発見されたが、繁栄を謳歌し始めたアメリカでは 70年代にダイヤモンド・ブームが興った(ついでに言うと、チャールズはアメリカで発見されたダイヤモンド鉱山を巡る茶番劇にも巻き込まれる)。
1876年、弱冠20歳のジョージ・クンツ(1856-1932)が自分の原石コレクションを売りにティファニーを訪ねてきた。クンツは少年時代すでに数千点の鉱物標本を蒐集した人物で、ほぼ独学で鉱物学を身につけ、後年宝石学とくに真珠の権威となる。クンツの才能を認めたチャールズは
1879年に彼を番頭格の主任宝石鑑定士として迎えた。そしてこの二人と熱狂的な宝石収集家だった大富豪
J.P.モルガン(1837-1913)との協力で膨大な宝石・鉱物コレクションが築かれ、ティファニー商会は世界的な宝石商として認められてゆくのだ。
ティファニーはもちろんダイヤモンドでも有名だが(ティファニー・セッティング)、当時のアメリカではあまり人気のなかった色石の市場を創出したことで知られる。鉱物学に明るいクンツは、さまざまな珍しい(美しい)鉱物を宝石としてプロデュースした。カンパニーカラーであるトルコ石のエピソードを「トルコ石の話」に紹介したが、モンタナ産のサファイヤやミシシッピ州の淡水真珠をブレイクさせた。赤色のトルマリン(ルベライト)やイエローベリル、アクアマリン、コンク真珠なども手掛けた。デマントイドもその一つ。ティファニーはプロデュースを決めた宝石の鉱区を押さえるか原石を買い占めて独占的な供給体制をとるのが常だったが(それでこそ宣伝広告にお金をかける値打ちがあるというものだ)、デマントイドもロシアに仲買人を送って原石を買い占めた。1917年のロシア革命で供給が途絶えると、西側市場ではティファニーの抱えるストックが事実上、唯一の商品になったという。
同種の石としては、イタリア・ピエモンテ地方産のデマントイドが
19世紀初から知られ、トパゾライト
Topazolite と呼ばれていたが (1806 ボンボワザン)、緑色というより淡黄緑色というべきものがほとんどで、ロシア産のような人気は出なかった。(cf.No.331)
デマントイドの産地としては今日メキシコやマダガスカル、イラン、アフガニスタンなども知られている。
グロッシュラーに分類される緑色ガーネットでは、ツァボライトという宝石がある。20世紀半ばにアフリカ大陸中南部で発見された。
1961年、イギリス人の地質学者キャンベル・ブリッジズはジンバブエの丘陵地でベリルの埋蔵を調査していて、周辺と成分相の異なる石灰岩帯に気づいた。そしてある朝、朝日にきらめく小さな緑色の閃光を目にしたという。石灰岩に埋もれた緑色のガーネットだった。
それから数年経った 1967年、タンザニアのアルシャの南30キロほどのカモト村付近で、ブリッジズはジンバブエとよく似た地相に出逢い、再び緑色のガーネットを見出した。そこはメレラーニ丘陵から南西に張り出した低い丘で、前年にタンザナイトが発見された土地だった。成分を調べるとグロッシュラーで、痕跡量のクロムとバナジウムとによって緑色を呈するらしかった。
ブジッジズはカットしたサンプル石をティファニー商会のヘンリー・プラット(※チャールズから数えて5世代目の血族 1924-2015)に見せた。プラットはタンザナイトを宣伝して世に出した人物で(cf.
No.42)、二匹目の泥鰌を期待したのだった。プラットは
1-2カラットサイズの石を月にどれくらい供給できるかと訊ね、次いで大きな石(3カラット以上)はどれくらい得られるかと訊いた。しかし、その時点では大石を得られる見込みは低く、話は前に進まなかった。
新しい宝石ビジネスを成功させるには、一般消費者向けに標準サイズの石を大量に安定供給出来る必要があり、一方で宝石としての評価を上げるために富裕層向けの大サイズの石がやはりそれなりに必要なのだった。
ただその後、タンザニア政府はメレラーニの鉱区を国有化し、運営を地元の鉱夫組合に委ねることとしたため、いずれにしろ彼らの出る幕はなかった。
ブリッジズはイギリス植民地政府が作製した地質図を調べ、航空写真を分析して、類似の地相がケニア南東部にも伸びていることを確認し、候補地を絞って
1971年に調査を始めた。最初に調べたのはタイタ丘陵の南部で、薄暮前のほんの2,3時間の探索で風化したアリ塚の土台に緑色ガーネットを拾い上げた。これはその土地の地下、数〜十数メートルの土壌中に目当ての宝石が含まれていることを示すものだった。
彼らは周辺(のアリ塚)をスクリーニングし、商業ベースに乗る鉱脈があると判断した。そこがグリーン・ガーネット1鉱山(GG1)となった。最初に大きな鉱脈を発見したのはブリッジズの妻ジュディで、迸る歓声が丘に響いたという。さらにいくつかの産地発見が続いた。
こうして供給が確保されると、プラットは宣伝にあたって相応しい商業名をつけなければならないと言い、〜アイトで終わる名を希望した。彼らは巨象の生息地として有名な付近のツァボ
Tsavo 国立公園からとって、ツァボライト Tsavorite を考案し、1974年にニューヨーカー誌や新聞紙面に広告を打った。
ところで緑色ガーネットに目をつけたグループは他にもあった。ペーター・モルガンの率いる採掘チームもまたこの国立公園の西に鉱脈を発見した。チームにはヨーロッパの有名な宝石学者エドワルド・ギュベリンやヘルマン・バンクが加わっており、彼らはこの石をツァボライト Tsavolite の名で売り出す計画を立てた。彼らもティファニーに接触したが、条件が折り合わず契約に至らなかったという。
こうして新しい宝石ツァボライトが現れた。Tsavorite とも
Tsavolite
とも綴って間違いでないが、前者の方が広く通っているようだ(補記3)。日本語は
r と l
とを音で区別しないので、いずれにせよツァボライトである。
ツァボライトはケニア、タンザニア、マダガスカルなどでいくつかの産地が発見されているが、供給量は必ずしも潤沢でなく、また数カラットサイズの石が稀であることから、タンザナイトほどの人気商品に至らないものの、レア宝石コレクターの意識するところとなっている。
画像はタンザニア、メレラーニ産の標本。ノジュール状のものを
No.117
に紹介したが、こちらは趣きが異なって黄鉄鉱などの金属鉱物や石墨を伴う自形結晶である。
メレラーニ産のツァボライトは長波紫外線で橙色に蛍光すると言われるが、この標本はむしろ中波/短波紫外線で暗い橙色を示す。
なお、グロッシュラー(ツァボライト)の硬度はアンドラダイト(デマントイド)と同程度(6.5-7)。
cf. No.892 (日本産の緑色ガーネット)
補記1:純粋のものは無色と言えば、透明な宝石はたいてい同じことがいえる。ルビーやサファイアの純粋なもの(コランダム)も、エメラルドやアクアマリンの純粋なもの(ベリル)も、トルマリンの純粋なものも、トパーズもダイヤモンドも、みな無色である。無色なものに宝石的価値が認められているのはダイヤモンドくらい。
色石をもって、「(発色要因の)微量成分に高いお金を払っている」と揶揄する鉱物屋さんが少なからずおられるが、見当外れのご意見である。
補記2:緑色の宝石ガーネットとしては、アンドラダイト種のデマントイド、グロッシュラー種のツァボライトのほかに、アンドラダイトとグロッシュラーとの中間的な組成のものがアフリカのマリに出て、マリ・ガーネット、グロシュラー・アンドラダイト(グランダイト)などの名で呼ばれている。鉱物学的にはグロッシュラーで、見た感じはイタリア産のグロッシュラー(トパゾライト)に近い。1990年代に売り出された比較的新しい宝石である。
またカナダのジェフリー鉱山には鮮緑色のグロッシュラーが出たが、宝石として売り出すほどの量は採れなかった(cf.
No.890)。
補記3:E.ギュベリン著「Gemstones」(1999)は当然ながら
Tsavolite と表記している。楽しい図鑑2も同様。GIA は
Tsavorite で、近山大事典も然り。
ちなみにタボライト Tavorite
はリチウムと鉄の水酸燐酸塩で、1955年記載。ブラジルの鉱物学者E.タボールに献名。