903.ブルースター沸石 Brewsterite (イギリス産) |
1820年にトムソン沸石を報告した
H.J.ブルック(1771-1857)は 1822年に 輝沸石 とブルースター沸石Brewsterite
とを報告している。
ブルックはデボン州エクセターの織物(羅紗)製造家の息子で、はじめ法曹界を目指していたが、スペイン羊毛を扱う商人として立った。博物学時代の息吹の下、地質学や鉱物学、植物学などに関心を持って、余暇の時間をこうした分野の蒐集や研究に捧げた。ロンドンに住み、地質学協会、リンネ協会、王立協会のフェローに名を連ねた。
貝殻のコレクションから鉱物のコレクションに入り、後には銅板細密画のコレクションもした。几帳面な性格であったという。商売がうまくいかない時期には不眠症に悩み、脳を使いすぎないよう手先を動かす気晴らしを好んだ。
当時、鉱物学は結晶形態と化学組成に基づく分類記載が大勢の研究者たちによって盛んに行われていたが、ブルックもその一人として活躍した。親友の
A.レビィと並んで反射式ゴニオメータ(結晶面角測定器)を扱う名手であった。
1823年に結晶学の手引書をモノしている。 cf. ターナーコレクション
鉱物コレクションの構築に標本商ヒューランド(1778-1856)を大いに煩わせたらしく、輝沸石
Heulanditeに献名している。束沸石とされた標本から(よく共産する)、形態の違いによって区別したものだ(※輝沸石は単斜晶系、束沸石は多型で三斜・単斜・斜方晶系がある)。
1831年にはヒューランドから得たプーナ産の魚眼石に伴う「メソタイプ」の面角を測定して、プーナ石
Poonhalite の名で報告した(スコレス沸石の一種)。cf.
No.445
アルベゾン閃石も彼の命名。ブルックの名はレヴィが
板チタン石 Brookite に与えている(1825年)。
ブルースター沸石はスコットランドのストロンチアン産の標本から識別されたもので、デビッド・ブルースター卿(1781-1868)に献名された。D.B.は結晶光学の研究家で、屈折率と全偏光反射角との関係を教えるブルースターの法則/ブルースター角に名が残る。
18世紀末、フランス革命の頃にピレネー地方リウマウ Rioumaou
の石灰岩採石場に産した標本があるそうだが、当時まだこの種ははっきり識別されていなかった。
ブライトハウプトは結晶が菱形に歪んでいることから、ギリシャ語の
diagonois (diagonal)に因んで、ダイアゴン石 Diagonite
の名を与えた(1832年)。
No.902に書いたが、当時のストロンチアンは鉛鉱山が稼働していた。鉱山の始まりは 18世紀初のことで、ノーフォーク公らの肝煎りで開発され、スタンホープのアレクサンダー・マリー卿が採掘権を保有した。マリー卿はアーガイルシャー地方(当時)の資源開発に多大の貢献をした人物で、「ストロンチアンの鉱山群はこの時代のもっとも素晴らしい発見だ」と自負している。1722年にヨーク建設会社がリースを受けて採掘を始め、鉱山町が生まれた。鉱夫らは町をニューヨークと呼んだ。
ところで、1774年にC.W.シェーレが新土類バライタ(バリウムの酸化物)を発見して以来、18世紀末には石膏や方解石と同視されていた白く重たいヘゲ石(ヘビー・スパー)の中に、バライタと硫酸の化合物(重晶石)があること、ボローニャ石と同じ物質であることが分かっていた。
スコットランドのストロンチアンの鉛鉱山にもこの種のヘゲ石(重晶石)が知られた。1787年頃からこの地方の鉱物標本が標本商の手でエジンバラに大量に持ち込まれ、またロンドンにも出回ったのである。A.クロフォードは1789年にストロンチアン産の「空気固定バライタ」標本を入手した。その頃、彼が勤めるロンドンの聖トマス病院では重晶石を分解して作る水溶性の海酸化バライタ(塩化バリウム:有毒)を投与していた。クロフォードはこの標本を海酸(塩酸)に溶かせば容易に海酸化バライタが得られるはず、と考えた。ところが得た物質の性質は違っており、こうして新元素ストロンチウム発見の端緒が切られたのだった。この鉱物はストロンチアン石と呼ばれた。成分は炭酸ストロンチムである。cf.
No.296
ナポレオン戦争の時期、イギリスでは銃弾の原料として鉛の需要が高まり、ストロンチアンでも盛んに採掘が行われた。
フィー・ドナルド、ベルズ・グローブ、ミドルショップ、ホワイトスミスの4つは初期の鉱山で、いずれも海抜600-800mあたりにあった。長く稼働したのはフィー・ドナルドだけで、19世紀中頃には後の3つはすっかり産量を落としていた。方鉛鉱に含まれる銀はごくわずかだった。
ストロンチアン産の鉱物標本は、ストロンチアン石、重土十字沸石、ブルースター沸石、方解石が有名で、19世紀にはこれに
Morvenite (重土十字沸石の亜種)も数えられた。
ベルズ・グローブには重土十字沸石とMorvenite、ミドルショップにはブルースター沸石、ホワイトスミスにはブルースター沸石とストロンチアン石がよく出たという(※1980年代に再稼働されたのは主にホワイトスミス)。
ブルースター沸石はストロンチウムやバリウムを含む沸石で、組成式 Sr(Al2Si6)O16·5H2O。いわばストロンチウム沸石である。ストロンチウムの一部はバリウムやカルシウムで置換されるのが普通。Dana 6th
にストロンチアン産の3つの分析例が載っているが、SrO/(BaO+SrO)
は 55~60%の範囲にある。これは重量比だから、原子数比にすると
Sr:Baは7:3~6:4くらい。
1997年以降は Brewsterite-Sr と標識され、バリウム優越種を
Brewsterite-Ba と書く。前者の方が一般的。後者は 1993年に初めて米国ニューヨーク州の滑石鉱山に産するものが示された。Dana
8th (1997)では未命名として Ba analog Brewsterite
と載っている。肉眼での区別は例によって不可。(ちなみにバリウムの珪酸塩は緑の炎色反応を示さない。)
結晶構造は単斜晶系。ただし光学特性を見ると三斜晶の性質を示すという。Al-Si比は若干の異同があるのが普通。
なお、1997年にイタリアのリグリア地方からストロンチウムの優越する輝沸石
Heulandite-Srが報告されたが、その後本産地でも確認された。輝沸石は現在
-Ca,-Na, -K, -Sr, -Baの5種に分けられている。ブルックが記載したのは今日のHeulandite-Caにあたる。
トムソン沸石のストロンチウム優越種 Thomsonite-Sr
も見つかりそうに思われるが、今のところストロンチアンからの報告はないようだ。
補記:ストロンチアン strontian
(ゲール語にスロン・アン・ツィテイン)は、妖精の丘の鼻先(頭)の意で、神話的な存在が棲むと伝説された円い小山を指した。シェークスピアの時代にはスコットランドはまだ妖精の影の濃い土地柄で、真夏の夜の夢に演じられるような魔法的な雰囲気に満ちていたと考えられている(というかイギリス全土がアーサー王物語のような魔法的・予言的運命の成り行きを信じていた)。しかし
19世紀の科学の時代にはどうだったろうか。新元素ストロンチウムを、ワイルドハントに騎行する妖精王が残していった不思議な物質と考えた人々があったろうか。
19世紀後半のヨーロッパは、テンサイから砂糖を得るのに水酸化ストロンチウムを使う方法を発明し、ストロンチウム鉱石(天青石)の鉱山が開発されて大々的な採掘が行われたものであったが。