902.重土十字沸石 Harmotome (ドイツ産ほか)

 

 

重土十字沸石 −ドイツ、ハルツ山地、St.アンドレアスベルク産(原産地)

ハーモトーム  -スコットランド、ハイランド(旧アーガイルシャー)、
ストロンチアン、ミドル・ショップ鉱山産

 

ドイツの歴史的な銀山地域と言えば、中部のハルツ山地やマンスフェルト、中東部のエルツ山地やフライベルク、南西部の黒森(シュバルツバルト)やオーデンバルトである。
ザンクト・アンドレアスベルクはハルツ山地の有名鉱山の一つで、ゴスラー/ランメルスベルクの南20km ほどの山中にある。15世紀の終わり頃、マンスフェルト銅山から来て探査に歩き回った山師たちによって発見され、聖アンドレアスの丘と呼ばれるようになった。30年ほど経って富鉱に当たり、本格的な採掘が始まった。1520年頃の鉱山町はベーアベルク(熊の町)と呼ばれた。掌の幅ほどある太い金属鉱脈が延び、濃紅銀鉱のクラスターが出た。2つの大鉱脈が丘の麓で十字架のように交差しており、そこに縦坑が作られたという。そして400年近く採掘が続いた。cf. フライベルク3

鉱石に伴って魚眼石や、さまざまな沸石類が出て、愛好家のコレクターアイテムとされてきた。方沸石は「アンドレアスベルクの露のしずく」Andreasberger Tautropfen と呼ばれた。透明度の高い結晶で、地下の坑道でカンテラを照らすと、露の雫のように煌めくのだった。魚眼石はピンク色の群晶が名高く、クラシック標本の一つと目される。菱沸石は無色でやや曇った乳白色の菱面体で、古くサイコロ沸石 cube zeolite と愛称された。時に双晶してレンズ豆の形になり、Phacolite と呼ばれた(ブライトハウプト 1836年)。また3連星形双晶してダビデ六角星を示すものもあった(ベニト石の双晶の形)。これらの標本は 19世紀中頃から広く出回るようになったらしい。
 束沸石は早くからこの鉱山に報告された2つの沸石の一つで 1800年頃には識別されていた。もう一つは重土十字沸石で、アンドレアスベルクが原産地である。cf. No.901
ついでに言うと、この産地の輝安鉱には 2,3ミリサイズのベルベット状の黒い放射球となって集合するものがあり、群れなすネズミの眼玉が覗いているようだというので、鉱夫らは「ネズミ眼」と呼んだ。表面をしばしば重土十字沸石が覆っていた。
アンドレアスベルクは各種銀鉱物の美麗標本を出し、また方砒素鉱 Arsenolite (デーナ 1854)、ブライトハウプト鉱 Breithauptite (W.ハイジンガー 1845)、サムソン鉱 Samsonite (1910)の原産地でもある。

ハルツ山地の俯瞰図 Bergwerk & Hoehlen im Harz (2004) より (日本語地名追加)

重土十字沸石は双晶して産するのが普通で、貫入双晶はプラスドライバーの先端ビットのような十字形をしている。18世紀後半の文献はデコボコした集合形状をヒアシンスや十字架に擬えて、フィグラ・ヒアキンチカ等と呼んでいる。デメステ(1779)は白ヒアシンス Hyacinte blanche と、ロメ・ド・リールは(1789)は白十字架ヒアシンス Hyacinte blanche cruciforme と描写した。ウェルナー(1786)は単に十字石 Kreuzsteinと、カーワン(1794)は十字石 Stauroliteとした。もっとも Staurolite の名は 1792年にデラメテリエが今日の十字石に対してすでに与えていた。
デラメテリエは本鉱をアンドレアスベルク石 Andreasbergolite と紹介し(1792)、 少し後にAndreolite と約めた(1795)。 (※Andreasbergolite は 1772年にボルン男爵が用いたのが最初の文献記録という。)
今日の IMA種名の Harmotome は 1801年にアウイが呼んだもので(cf. No.901、「ピラミッド形が柱面に平行な面で分割されて、その分割面が端面まで伸びている」(つまりは十字形を形成している)ことに因んだ。随分と分かりにくい説明と名称である。Harmotome はハーモトームと読むらしいが、私はいつもハム乙女、浜乙女などとはちおんしている。バリウムを含むことから Baryt-Harmotome の名もある。和名、重土十字沸石の由縁。

Dana 6th は、「本鉱の名称はデラメテリエの Andreolite(1795)やナピオーネの Ercinite(1797)に優先権があるが、より優れた語義を持つわけでもないのにアウイが Harmotome と代えて、後の鉱物学者はみなこれに倣った」と述べている。アウイの権威と知名度のなせる業であろう。
なお、Ercinite はボヘミア産についた名で、この森が古くヘルシニアの森 Sylva Hercynia と呼ばれたことによる(太古、ハルツ山地や黒森、オーデン森、ボヘミア森などはみな一つの広大なヘルシニア森に含まれていた)。
1836年に T.トムソンはスコットランド Morven(Morvern)北方のストロンチアン鉱山産のものを Morvenite と呼んだ。測角データは重土十字沸石に一致したが、化学成分の分析で異なった結果を得たためである。結晶形は紡錘形ないし先端が鋭錐石のように鋭い角柱状になる特徴があった。

十字沸石のさまざまな双晶形態。結晶面に条線が観察できると分かりやすい。
重土十字沸石 Harmotome、灰/カリ/曹達・十字沸石 Phillipsite-Ca/K/Na に共通。

重土十字沸石は組成 Ba2(Si12Al4)O32・12H2O と書ける物質で、バリウムの位置には普通、カルシウム、カリウム、ナトリウムなども入ってくる。カルシウムの優越するものは 1825年にレビィが報告した灰十字沸石(フィリップス沸石) Phillipsite に相当する。Lime-harmotome, Kalk-harmotome とも呼ばれた。組成 Ca3(Si10Al6)O32·12H2Oと書かれ、やや構造が異なる。 1997年の沸石分類整理に従って Phillipsite-Ca と表記されることになり、カリウム、ナトリウムの優越種は Phillipsite-K, -Na と表記される。この3つと重土十字沸石との間には連続変化があるとされる。4種を肉眼的に区別することは難しい。
いずれも似た双晶形状を持つ。十字形を示す頻度は重土十字沸石の方がフィリップス沸石より高いと書いた文献があるが、綺麗な十字を見せる標本は重土十字沸石にしてもそんなに多くないと思われる。私としては、上図の一番右にあるような見事な双晶標本は、売られているのを見たことがない。ほんとにあるんかい?

沸石は一般にアルミノ珪酸構造の籠の内部に囲い込まれた水分(沸石水と呼ばれる)が、構造と干渉せずに出入り出来ることで知られるが(cf. No.449)、本鉱ではダムーアがストロンチアン産のもので実験して、100-150℃で加熱して水分を失っても、大気中に一日置いておけば元に戻ると述べている。
一方、フィリップス沸石は 50℃の加熱で大量の水分が放出されても、やはり大気中に一日置けば戻るものの、粉末化・失透が起こること、より高熱で水分を飛ばすと元に戻らないことを述べている。構造的に重土十字沸石の方が頑丈なのだろうか。

上の標本は原産地産で、十字形がはっきり見える部分を示した。
下の標本はスコットランドのストロンチアン産で、ここもまた各種の沸石が報告された歴史的産地である(上記Morvenite はここから)。1722年から 1871年にかけて鉛鉱山がいくつも開かれ、断続的に稼働された。傍ら、ストロンチアン石、ブリュースター沸石、重土十字沸石などの良標本を産した。20世紀でも膨大なズリ山から標本採集が可能だった。1988年以降、これらの廃坑のいくつかが油井掘削用の潤滑泥に使う(比重の高い)重晶石を採取するために再開された。また露天掘りを始めるために、ズリ山を均して古い縦坑が埋め戻された。こうした動きがプラスに働いて、十字形の美麗標本が多数採集され流通したという。
この標本は並品で、一見、双晶していないように見えるが、双晶のはずである。結晶面の条線を観察するとそのことが分かるらしいが、あいにくガラスのようにすべすべした結晶面ばかりなので、よく分からない。
19世紀中頃のある鉱物書を見ると、十字形の多いアンドレアスベルク産に比べてストロンチアン産はシンプルな美晶標本を出すと書いているが、少し後に別の著者は十字形のものがあることを記録している。

 

cf. ヒアシンスの形の鉱物。 No.886 ベスブ石(ベスビアスのヒアシンス)、No.552 鉄水晶(コンポステーラのヒアシンス)
ヒアシンス色の鉱物。 cf. No.618 ジルコン