水晶の双晶形式について  On the twin laws of Quartz with brief history 

 

鉱物の形に対する美的関心は世界各地ではるか昔からのものと思われるが、これを幾何学的に整理して結晶学を始めたのは近世ヨーロッパの科学者たちであった。水晶についてのそのあたりの消息をギャラリー No.975に簡単にまとめてある。
19世紀前半には水晶の形態の三方晶的性質が知られ、また肩の小面(s面、 u面、x面など)の配置と柱軸に沿った旋光性の関連が指摘された。右手形(右旋性)の水晶と左手形(左旋性)の水晶とがあり(No.940)、ブラジル産の紫水晶には二つの旋光領域が一つの結晶内に共存していた(No.984)。
鉱物の成長は複数のセクターで並行的に進み、結晶構造はセクション化(ゾーン化)している場合の稀でないことが知られた。またシンプルな結晶原形を幾何対称的に組み合わせた複合形がしばしば観察された。そうして双晶の概念が提示された。

水晶の双晶について最初に明確な記述を行ったのは、ドイツの C.S. ワイスとみられている(1816年)。R-J.アウイ以来、結晶構造を規定する原形について議論が続いていたが、ワイスは水晶の基本形を菱面体とみて、二つの菱面体の組み合わせで晶癖を解釈した。そして2ケの単結晶が柱軸回りに60度または180度回転した位置で重なり合った双晶がありうることを指摘し、下図のように、各個体の菱稜が互いに突き出した複合形で表現した。もっともこのような形態の水晶は未だ観察されていなかったのだが。

水晶の結晶モデル図
R-J.Hauy "Traite de Mineralogie"(1801)より
下段右から二番目の図はドフィーネ式双晶の形。
(アウイの表現では肩の小面は「右側」に現れているが、
今日の表現に直すと左手型にあたる。)
F.W.ハーシェルはこの図を彼の報文(1820年)に引用している。
当時は双晶と気づかれなかったらしい。

C.S.ワイスが示した共軸貫入(透入)双晶の形(1816年)


ワイスはまた、肩の小面("菱形面"と"台形面"と)は、アウイが説いたように常に右側に現れるのでなく、左側にも現れることを指摘した。やがて、小面(群)はふつう一つの結晶で右肩だけに、または左肩だけに現れることが分かった。一方の錐面側には最大3ケ、ひとつおきの肩に並ぶ。連続して現れるのは共軸双晶の徴であった。その場合、"台形面"(u, x面など)は各柱面あたり一つづつ配置される(傾き方は一致する)のがつねである。ただし稀には一つの柱面の左右の肩に現れることもあった(傾き方は対称的)。
オーストリアの W.K.R.v.ハイディンガーは、形状はまったく単結晶と変わらないが、結晶面に現れる光沢の違いによって複数の個体が双晶していると分かるタイプを報告した。一つの結晶面に強い光沢の領域と艶消しの領域がジグソーパズルのように入り組み、境界線は隣接する面に跨って繋がり、二種の配置の個体が複雑に絡み合って共存していることを顕す。面上の光沢の違いはドーフィネ地方産の標本にしばしば明瞭であった。双晶規則はワイスが示したのと同じである。彼の観察したことは、今日、ドフィーネ式双晶の識別法の一つとして知られる。

ドイツの G.ローゼは、アウイ以来報告されてきた(上記のような)知見と自身の研究事例を、「水晶の結晶システムについて」(1846年)で総括的にまとめた。彼もまた水晶を構成する原形は(2種の)菱面体形の組み合わせだと考えた。下に図版の一部を示す。


G.Rose "Uber Das Krystallisations-System Des Quarzes" (1846)より
図版2(1844年) 図23はグラウビュンデン州
ディゼンティス産の特異な形状の標本。
図24は一見単結晶に見えるが、光沢の違いで
二つの領域に分けられる双晶。
後にドフィーネ式と呼ばれる形式。
図25は肩の小面が左右両側に現れたタイプで、
後にブラジル式双晶と呼ばれて区別される。
本標本はドーフィネ産。
ローゼは、王立コレクションに所蔵される
ザンクト・ゴットハルト産とされる標本が
やはり左右の小面配置を持つこと、
このタイプの結晶は実際には非常に珍しいことを記している。

同上 図版3(1844)  ドフィーネ式双晶の例
図33,37 はヴェノーゼ・タールのオワザン・レタージュ産。

同上 図版4(1844) 図47 が今日ドフィーネ式と呼ばれる双晶形式
図50が今日ブラジル式と呼ばれる双晶形式
図49 はワイスが示した形状を理想化したもの

図版4の図47と図50とはそれぞれドフィーネ式ブラジル式の理想モデルとされて、今日なお諸方の鉱物書に連綿と引用されている。ちなみに G.ローゼや当時の科学者たちが両者を異なる対称タイプの双晶と認識していたかどうかはかなり怪しい。(図50のタイプはそもそも滅多に見られなかった。)

ドフィーネ式、ブラジル式の2種は共軸式の貫入双晶だが、別の形態として傾軸式のタイプも知られた。C.S.ワイスの「方解石のハート型双晶について、そして類似形態の水晶について」(1829年) が最初の報告とされる。彼は方解石の蝶形双晶に類似の双翼形がドーフィネ産の水晶にあることを知り、その結晶学的な意味を指摘した。すなわち各個体の柱軸同士のなす傾斜角は、個体の錐面の稜線がその柱軸に対してもつ角度のちょうど2倍に相当すると。

 

C.S.Weiss "Die Herzformig genannten Zwillingskrystalle von
Kalkspath, und gewisse analoge von Quarz"(1829) より
方解石のハート型双晶(上段)と
ドーフィネ産水晶の類似双晶(下段)のモデル図

パリの A.L.O.L.デクロワゾーは、この形態を産地に因んで「ドーフィネのガルデットの双晶」(la macle de la Gardette en Dauphine)と呼んだ。彼の水晶モノグラフ(1855年)に詳しい記述がある。

A.LO.L.DesCloizeaux "Memoire sur la cristallisation 
et la structure interieure du Quartz" (1855) より
ガルデット式(日本式)双晶の図 (紫線SPS加筆)

このタイプの双晶がフランスの(鉱物研究者らの)誇りであることは当然であろう。パリの鉱山学校博物館には多数のガルデット産の水晶標本が展示されているが、このタイプは産地に因んで ガルデット式双晶と標識されるのがつねだ。

パリ鉱山学校博物館の標本
ラベルに「水晶のガルデット式双晶」とある。イゼール県ラ・ガルデット産

同館、別のガルデット式双晶の標本。私が「トの字形」と呼んでいるタイプ
イゼール県ヴィジル産

ガルデット式双晶の模式図
(日本式とは書かれていない)

一方、パリ自然史博物館に行くと少し事情が変わる。
下のラベルのように『「ガルデット式」または「日本式」双晶』と
表記されている。歩み寄った感じがある。
日本でもそうすべきではないだろうか。
イゼール県ラ・ガルデット産

右の解説文の訳。
「アルフレド・デ・クロワゾーは双晶現象の
最初の観察者ではありませんが、彼の研究によって
このタイプの双晶の幾何学的法則が明らかになり、
識別方法が確立しました。」

同博物館に展示される巨大な水晶標本のひとつ。
一見、ガルデット式双晶のようだが、個体の手前側の
柱面同士が平行でない(わずかに回転した配置)。
この形態は一般に双晶とみなされていない(標識されていない)。
が、私は一種の双晶じゃないのかと思ってます。
偶々、であるにしては、よく見かけるから。
cf. No.1005

 

続き ⇒ その2 (G.Jenzsch の報文に記された傾軸式双晶について)

             その3 (F. Zyndel の報文に記された傾軸式双晶について)

    その4 (J.Drugman の報文に記された高温水晶の傾軸式双晶について)

ギャラリーの関連ページ:
ドフィーネ式、ブラジル式  No.972No.977、 No.984No.986
ガルデット式(日本式)双晶  No.938No.995No.1004
ラ・ガルデット(鉱山) No.993 


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