681.セミョーノフ石 Semenovite-(Ce) (グリーンランド産) |
グリーンランド島は世界最大の島で、これより面積の大きな陸地を大陸と、小さな陸地を島と呼ぶのがひとつの約束事となっているそうだ。グリーンランド島の内陸部はかつて永久氷床で覆われていたが、最近は年々氷の融けるペースが速まり、夏季になると地面が顔をのぞかせる地域が沿岸部から内陸部に向かって急速に広がっている。 2005年頃には大西洋に流れ出る氷河の量が10年前の2倍以上に増えたと話題になっていたが、2012年夏にはついに全土で氷床が消え去ったと報告されている。
No.677で触れたように、グリーンランドにはウランやレアアースが(また海域に石油が)豊富に埋蔵されているとみられ、レアアース資源の争奪が激化するなか、おおきな注目を集めている。調査開発が急ピッチで進んでいるらしく、昨年末にはグリーンランド自治政府が中国からの資本や労働者3000人を西海岸ヌークの資源開発に迎える計画であるとのニュースが流れた(ちなみにグリーンランドの総人口は約57,000人)。これからは内陸部でも探査が進んでいくかもしれない。
それはさておき、かつて内陸が厚い氷床に覆われていたこの島では、鉱物探査、採集といえば、夏季に大地があらわになる(西南)沿岸部で行うものと相場が決まっていた。なかでも最大の希産鉱物産地として知られるのがイリマウサークの複合貫入岩体地域である。この巨大な岩体は8x17kmの楕円形状を持ち、厚みも最大
1.7km に及ぶ。
およそ220種の鉱物が確認されており(半数以上は珪酸塩)、多くの種が世界に数か所の産地しか知られぬ希産種である。イリマウサークを原産地とするものは27種、そのうち他の産地が知られていない種が9種あるそうだから、19世紀初にギーゼッケが標本採集を試みて以来、デンマークやヨーロッパ諸国の鉱物学者の興味を惹き続けているのも当然のことであろう。
ギーゼッケの初期の収穫物はイギリス人の手に落ち、アランが購入して、やがてこの地を原産として方ソーダ石(1812)、アルベゾン閃石(1823)が記載されたことはすでに述べた。その後のギーゼッケの収穫物は彼自身が持ち帰ってヨーロッパ各地に分散されたが、これもまた何人もの鉱物学者の研究対象となった(ギーゼッケは1806年と1809年の2度、イリマウサークを訪れた)。ユージアル石は1819年にシュトロマイヤーによって記載された。(cf.
No.676, No.678)
その後もほかの入植者や政府機関が採集した標本に拠って研究が進み、エニグマ石
Aenigmatite は1866(1865?)年、ブライサウプトによって記載されている。
しかしイリマウサークの鉱物が本格的に調査されたのは、ステーンストロップが1870年代に3季にわたって現地を訪れ、大量の標本を持ち帰った時からである。この時期の標本の大半は1884年のクリスチャンスボー宮殿の火災によって焼失したが、ステーンストロップは1880年代末に再び2度の夏をイリマウサークに送って標本を集め直した。これらを研究したのがコーネルピンの記載者ロレンゼンらで、ステーンストロップ石 steenstrupine(1881)、ポリリチオナイト polylithionite(1884)、リンク石 rinkite
(1893)が記載された。
19世紀末、ライツェン・コレクションに拠って海王石、エピジジム石を記載したグスターブ・フリンクが、
1897年にナルサルスクを訪れたことは No.672に述べたが、彼が採集したイリマウサーク産の標本をベーギルド
(Boggild)とウィンザーが研究して、ブリソライト(ブリト石)
britholite, エピストライト
epistolite, ナウヤカサイト(ノージャカサイト)
naujakasite,
スキゾライト schizolite を記載している。
またベーギルドとの協同でイリマウサークとイガリコに分布する複合貫入岩体の地質分布図を作成(1900年)したウシン
Ussing の採集標本からは、 ウシン石(アシーン石) ussingite(1913/1915?)、エリク石
erikite (後にモナズ石の混合物と判明)が記載された。ウシンの(1908年の)地質調査はきわめて入念なもので、この次にイリマウサークで新鉱物が発見されるのは半世紀後の1959年のことである。
1950年代に入ると、折からの原子力ブームを受けてデンマーク政府はグリーンランドのウラン資源調査を計画し、それから70年代に至るまで数次の探査が実施された。その結果約5000トンの鉱石埋蔵が確認され、1980年にはクバネフィヨルドに深さ1000mの縦坑が掘られて、ウラン抽出のためのパイロットプラントが建設される。イリマウサークの地質研究にも拍車がかかった。
イリマウサークの岩石や鉱物がロシアのコラ半島、キビナやロボゼロに分布する岩体の構成に似ていることはすでに注目されていたが、そのため1960年代に遂行された包括的調査を指揮したH.セーレンセンは、ロシア(ソ連)の鉱物学者たちと緊密な協力関係を結んで成果を上げた。
探査計画に貢献した ロシアの E.I.セミョーノフは、1964年に招かれてイリマウサークに1ケ月間滞在した。そのときの収穫のひとつが
No.675に紹介したセーレンセン石(1965)であるが、一連の調査によって新たに記載された種には、ほかにセーレンセンらによるイグドル石
igdloite(iueshite) (1959)、ツグツープ石 tugtupite (1960,63)、安銅鉱
cuprostibite (1969)が、セミョーノフらによる銅タリウム石
chalcothallite(1967)、イリマウサーク石 ilimaussite (1968)がある。またこの後もほかの研究者たちがいくつも新鉱物を発見していく。
画像はセミョーノフ石。セリウム、ランタン、ベリリウムなどを含む希産の珪酸塩鉱物で、1968年夏のフィールドワークで採集された標本から発見され、1972年ペテルセンとロンズボーによって記載された。原産地はイリマウサークのタセック・スロープで、もちろんセミョーノフに因む。
基本的に茶色系の鉱物で、新鮮なものは半透明。擬似正方の八面体結晶をなすが、それはつねに双晶を示すためで、結晶構造としては斜方晶系に属する。イリマウサークのみで知られる鉱物であり、エピジジム石−ユージジム石を伴う曹長岩の境界部で晶洞または間隙中に成長している。
記載後、いったん産地が見失われた時期があったが、1988年に再発見されたという。
補記:イリマウサークのみで産出が報告されているのは、chalcothallite, karupmoellerite-Ca, kvanefjeldite, nabesite, nacareniobsite-(Ce), naujakasite, rohaite, semenovite, sorensenite の9種、とオウル・ペテルセンは 2001年のグリーンランド地質調査報に述べている。