36.苦土かんらん石  Peridot-Forsterite   (パキスタン産)

 

 

アメリカで採れる私の従兄弟は、「インディアンの宝石」と呼ばれています。

ペリドット −パキスタン、北西辺境県マンセイラ地方サパット・ナラ

 

かんらん石というと、黒い火山岩(玄武岩など)の中に粒状、またはノジュール状になって入っているものだと思っていたが、この標本はなんだか有機物っぽい白いへんてこな物質にくるまれている。しかも、珍しいことに結晶までしている。どんなふうにして出来たのか、とても興味が湧くではありませんか。

ミャンマー産のペリドットについて、次のページに読み物があります。ミャンマー(1999.3)
ミャンマー産のペリドット標本 ⇒No.465 

追記1:読んで下さった方からメールをいただきました。産状はドロマイトのスカルン(熱いマグマが接触して、成分や結晶粒に変化を起こした苦灰石帯)で、有機物っぽい母岩は、海泡石(セピオライト)では? とのご指摘です。ありがとうございました。
・・・そうすると、かんらん岩は変質を受けて、二次的な再結晶化作用によって大粒の宝石質の結晶に成長したと考えていいのだろうか。cf. No.558 エジプト産


追記2:パキスタン産のペリドット標本を初めて入手したのは 95年のツーソンショー後の時期だった。「これは持っておきなさい」という標本商氏の強い勧めを受けたのだ。というのも自形結晶標本は当時ほとんど市場に出回っていなかったのである。ペリドットは古代に遡る伝統的産地としてエジプトのゼベルゲート島(セント・ジョン島)が有名で、20世紀初から二次大戦が始まるまでの間も島で採掘が行われていた。戦後は国有化されて暫く稼働したが、60年代には放棄されており、以降、結晶標本の入手が難しくなっていた(タマ数が乏しかった)。ところへ、パキスタン産が鳴り物入りで現れたのである。
そして瞬く間に市場にあふれた。欲しい人が買い尽くしてまだ山のように在庫があり(だんだん品質が上がってゆき)、一時は値崩れも起こったりした。恐ろしいものである。この産地の標本がいつ頃知られるようになったのかはっきりしないが、大量に市場に出たのは94-95年と思われる。当初アフガニスタン産とか中国産とか言われ、私が買った時期にはギルギット産のラベルがついていた。本当の産地は北西辺境県マンセイラ地方サパット・ナラ(スパット・サムプット)という。今日なお、定番標本である。
上の標本は後に別の業者さんから得たもので、この頃、母岩付の標本はまだ珍しかった。艶消し白色のタルク質鉱物(蛇紋岩が激しく風化されたもの)が母岩となっていることが多いが、本品は変成を受けて山皮状になったもののようである。黒色部は磁鉄鉱。なお、稀にルドヴィッヒ石やヴォンセン輝石のホース・テイル状インクルージョンを持つ結晶があるという。大きな結晶は8cmに達する。
ちなみに90年代半ばにはミャンマーからも結晶標本が出始めた。上掲の読み物にあるように、ミャンマーに結晶が採れることは 60年代すでに一部の標本商(と愛好家)に知られていたが、軍事政権下にほとんど出回ることがなかった。しかし 80年代末頃からちらちらと消息が現れ始め、やがておおっぴらに市場に出るようになった。(2016.12)

MR51-6号(2020年)にパキスタンの産地記事が載っているが、いくらでも採れた時期は久しい以前に終わって、今は散発的に採集されている程度だという。ほんとか〜?

追記3:名称について
「ペリドット」(ペリドー/ペリドート)というのは宝石名で、語源は諸説あるがあまりはっきりしない。アラビア語で宝石を意味するファリダート faridat、ギリシャ語に富を(十分に)与える意のペリドナ peridona などがある。近世イギリスでは 1705年に peridot の用例があると言い、オックスフォード辞典はアングロ-ノルマン語のペドレテス pedoretes (または peridou、 ラテン語にパデロト paderot)を示し、ある種のオパール(宝石の意)を指したとする。18世紀のフランスでは「クリソライト」を指したようだ。

欧州ではインドとの交易が盛んになった 17-18世紀頃から、東洋の宝石が直接(オランダに)入ってくるようになり(※「トルマリ」と呼ばれた宝石もこの頃入ってきた。cf. No.168、セイロン産の黄色系(黄色〜黄緑色)の宝石がクリソライト Chrysolite (金色の石)と呼ばれた。古代ローマのプリニウスに倣った名である。
これらの宝石は今日の鉱物学の眼で見るとトルマリンジルコン、コランダム、ベリルクリソベリルシンハライトなどだったと思われるが、18-19世紀の鉱物学者たちはノルウェーやイタリアの火山岩中に見出される黄色〜緑色の普通質の粒状鉱物(かんらん石)の同類とみたらしい。確実な文献としてスウェーデンの化学者 J.G.ワレリウスが記録した火山性の緑色粒状の宝石質クリソライト(1747年)はかんらん石(苦鉄質珪酸塩)だったとされ、以降、鉱物界ではクリソライトは基本的にかんらん石であった。
1790年に A.G.ウェルナーがオリビン Olivine と呼んだオリーブ緑色の粒状鉱物も(彼は古代のクリソライトはトパーズだったとみた)、フランスのアウイがペリドットと呼んだ鉱物も、成分的に同類であった。(宝石質か普通質かは学術上あまり区別されなくなってゆく。)

18世紀から19世紀にかけての博物学時代、イタリアのベスビアス火山やその噴出岩は関心の的であった(cf.No.886)。イギリスの J.フォルスター(1736-1806)が収集し、標本商ヒューランド(1778-1856)の手を経て 1820年にターナーに譲渡されたコレクションの中に、無色〜黄色みがかった白色でクリソライトに似た性状のベスビアス産(モンテ・ソーマの噴出岩中)の標本があった。A.レヴィはこれをフォルスタライト Forsterite の名で報告した(1824年)。組成 Mg2SiO4(2MgO・SiO2)。白ペリドット、白オリビンの名でも参照されたもので、宝石の「クリソライト」には似ない。
1840年、アゾレス諸島のファイアル島に産する鉄質のクリソライト Fe2SiO4(2FeO・SiO2)が、F.ギュメリンによってファイヤライト Fayalite の名で報告された。(補記2)
これらはクリソライト(Mg,Fe)2SiO4の端成分にあたるものと認識され、Dana 6th ではこの2種と中間種クリソライトとがクリソライトグループの下に示されている。

現在の IMA分類は中間物を種として認めないので、オリビン・グループの中に端成分物質のフォルスタライト(苦土かんらん石)とファイヤライト(鉄かんらん石)がおかれている。ただし、自然界に存在するのは概ね中間的な固溶体である。宝石に用いられるオリビンは 12〜15%程度の鉄を含むものが多く(一番きれいに見える)、おおむね苦土かんらん石に分類される。
クリソライトの名は岩石・鉱物学では使われなくなったが、かんらん石と輝石を主成分とする岩石をペリドタイト(かんらん岩) Peridotiteと、鉱物のかんらん石をオリビン(グループ名)と呼び分けているのは面白いところだ。

宝石界ではペリドットはフランスで古くから用いられた名称で、イギリスやドイツではオリビンまたはクリソライトと呼んだという認識がある。クリソライトが人気商品だったからか、かんらん石以外のさまざまな鉱物種の宝石に、いわゆるフォールス・ネーム(まがい名)として用いられてきた。
オリエンタル・クリソライトは黄緑色のサファイア(コランダム)、セイロン・クリソライトはオリーブ緑色のトルマリン、ザクセン・クリソライトは緑がかった黄色のトパーズ(※そんなの見たことないが)、ケープ・クリソライトは(南ア産の)薄緑色のぶどう石モルダヴァイト(緑色ガラス質)は擬クリソライトと称して売られた。これらの中には古い時代に真正の「クリソライト」として扱われた宝石もあったかもしれない。またウラル産のデマントイドには、オリビン・ガーネットの名があった。
一方でより宝石価値の高いエメラルドに擬えて、ペリドットをイブニング・エメラルドと雅称した。

12-13世紀頃の欧州で「十字軍のエメラルド」と呼ばれた草緑色の宝石は、19-20世紀初にかけてペリドットの名産地として有名になる紅海上の島、セント・ジョン島(古代にゼベルゲット島)のかんらん石だったのではないかと言われている(※エジプトには古来エメラルドを産したクレオパトラ鉱山があるが)
あるいは近世には、セイロン産の黄色宝石クリソライトと別に、小アジア産の草緑色のかんらん石を使った宝飾品がアラビア語からの訛りでペリドット(←上述のファリダートから)と呼ばれていたのかもしれない(※前述の18世紀初のイギリスの用例は12世紀来の伝世品に関連するもの)。そしてクリソライトと称された黄色〜緑色のかんらん石との鉱物学的な同一性から、いつしかクリソライト/ペリドット/オリビンが同義となったのかもしれない。(※ただ、この宝石は古くはトパズ/トパジオスと呼ばれたと見られている。cf. No.756 トパーズ(トパーズとクリソライトの語義転換))

20世紀中頃の宝石書を見ると、黄色のものをクリソライト、黄緑色のものをペリドット、緑色のものをオリビンと区別する慣例が示されているが、今日流通している宝石はほぼ黄緑色のもので、専らペリドットで通っている。日本ではやや訛った英語読みでペリドットと平板に発音される。あるいはお仏蘭西風にペリドー、ペリドートと呼ぶ。略してペリと符丁する宝石商さんもある。

和名のかんらん石(橄欖石)はウェルナーのオリビン(1790年)に由来し、ウェルナーはオリーブの実の色(くすんだ黄緑色)の粒状で産することに拠った。
オリーブは地中海地方原産のモクセイ科の常緑小高木で、日本には16世紀後半にポルトガルから持ち込まれたのが初め。江戸期末に薬用として栽培が試みられたが、実はならなかったという。明治末(1908年)になって缶詰用オリーブオイルの必要から国産が試みられ、香川県小豆島でのみ実を得ることに成功した。
アジアにはカンランと呼ばれるインドシナ原産のカンラン科の常緑小高木があり、オリーブに似た実を結ぶ。果実は食用になり、種から油を採る。中国本草に橄欖と書く。
その類似から中国や日本ではオリーブを洋橄欖、油橄欖、あるいは単に橄欖と訳した。そしてオリビンは橄欖石と訳された。
カンランはオリーブと同じ植物種ではないが、(洋)橄欖という訳語の由来からみて、またオリビンの語源から見て、カンランの実の色(=オリーブの実の色)に似たオリビンをかんらん石と訳したのはニュアンスを正しく伝えて妥当だったと思われる。
一方、最近は日本でもオリーブがすっかり定着したから(カンランと言ってオリーブと悟る人の方が珍しいかも)、鉱物名も訳さずに、そのままオリービンでいいのかもしれない。もっとも「かんらん岩」「かんらん石」の和名もまたすっかり定着しており、かんらん岩 peridotite をオリーブ岩と訳すのも却って混乱の元であろうが。
ちなみに橄欖(植物)の英語訳はチャイニーズ・オリーブ Chinese Olive である。
植物に因む名として、米国(アリゾナ、ニューメキシコ)産のペリドットは種のような外観から Job's tears (植物のジュズダマ)とも呼ばれた。(2020.6.7)

※「清俗紀聞1」の注釈に、「橄欖の核果を中国では青果といい、核果内の種子は橄仁といって生食するし、核は砂糖漬けにして食べる。青皮とは後者を指すものであろう。」とある。p.55 
小野蘭山「本草綱目啓蒙」に「暖地に産して嶺南地方に多し。…実を塩蔵するもの舶来多し。また蜜漬も渡る。また清商生実を長崎へ持ちきたるものあり。」とあるから、 18世紀には日本にも入って食されたと思しい。少なくとも西洋のオリーブよりは身近なものだった。

※幕末に聖書が漢訳された時にオリーブを橄欖と訳した(1862年)。かんらん石の文献上の用例は地質調査所発行の伊豆地方の地質説明書(1886年)が古いという。

補記1:シェイクスピアの「オセロー」(1602年)に、オセロの次の科白がある(Act V, Sc2)。

Ay, with Cassio. Nay, had she been true,
If heaven would make me such another world
Of one entire and perfect chrysolite,
I'ld not have sold her for it.

「そうだ、キャシオーとだ。いいや、彼女が貞節であったなら、
たとえ天(の神)が私にもうひとつ世界を
それも完全無疵のクリソライトのような世界を作ってくれたとしても
私はそのために彼女を売ったりしなかったろう。」

当時の人々はクリソライトという宝石名に覚えがあったと考えられる。
ちなみにプリニウスの博物誌にはクリュソリトスの項があり(37-42)、当時、明るい金色透明の宝石がエチオピアからもたらされていた、インド産(つまりアラビア以東より来るもの)はエチオピア産より人気があった、ことが分かる。

補記2:ファイヤライト(鉄かんらん石)は超塩基性の火山岩や深成岩中に産するが比較的珍しい鉱物である。珪長質の深成岩中に乏しく、花崗岩質のペグマタイトには珍しい。しかし製鉄の際に生じるスラグ(鉱滓)中には普通にみられる。
アゾレス諸島のファイアル島が原産地で火山岩中に産すると考えられていたが、今日では船のバラストとして島に持ち込まれた鉄スラグに伴うものだったとの説の方が信じられている。

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