905.エディントン沸石 Edingtonite (カナダ産)

 

 

Edingtonite

Edingtonite

エディントン沸石 −カナダ、BC州アイス・リバー・コンプレックス産

 

エディントン沸石は組成 Ba(Si3Al2)O10·4H2Oの沸石。結晶構造のフレームワークはソーダ沸石 Na2(Si3Al2)O10·2H2O と共通するもので、ただナトリウム2分子の代わりにバリウム1分子が収まり、水分子(沸石水)の収容数は倍になる。同じ伝でバリウム沸石と呼んでいいかもしれない。

ソーダ沸石は直方晶系で、同質異像の正方晶系のものは正方ソーダ沸石 Tetranatrolite と呼ばれて独立種とされていたが(1980年)、現在はゴナルド沸石 Gonnardite (Na,Ca)2(Si,Al)5O10·3H2Oと同一視されている。楽しい図鑑は擬正方晶系(直方晶系、単斜晶系)と記載している。
一方、エディントン沸石は多型が認められた鉱物で、Dana 8thには正方晶系、直方晶系、また三斜晶系の光学的性質のものがあると書かれている。これはどの成長面で成長するかに関係していて、正方晶系で成長する面と直方晶系で成長する面とが存在するのである。同様に束沸石も単斜晶系で成長する面と直方晶系で成長する面とを持つ。こういうケースは区別しても意味がないので、種名を分けないという。

エディントン沸石は一般に四角柱状の結晶形をなし、また異極晶の性質を示す。形状の観察が鑑定に役立つ。記載は 1825年で、W.ハイジンガーによる。彼はグラスゴーの収集家ジェームス・エディントンのコレクション中にこの沸石を見つけて新種と判断したのだった。原産地はグラスゴーに近いダンバートンシャーのオールド・キルパトリック(キルパトリック・ヒル)。化学分析によって組成が示されたのは 1855年だった。

ヴィルヘルム・カール・リター・フォン・ハイジンガー(1795-1871) はオーストリア人の鉱物学者である。父のカール(1756-1797)も鉱物学者で、その蔵書やコレクションに接して物心がついた。銀行家の叔父 J.F.v.d.ニュールはさらに素晴らしいコレクションを持っていた。コレクション・カタログの作成を請負った C. F.C.モース(1773-1839)とは叔父の家で頻繁に顔を合わせる機会があったといい、その縁で 17歳の時、開設まもないグラーツのヨアネウム総合博物館に赴任するモースに、一緒に働かないかと誘われた。 
以来グラーツで 5年間、それから1818年にモースがA.G.ヴェルナーの後任教授としてフライベルク鉱山大学に迎えられたのについて 6年間、彼の専属助手として働いた。そして次第に科学研究に深入りしていった。生涯に約350件の論文を発表し、またいくつかの鉱物学書を出している。ヨーロッパ科学界に広範なネットワークを持ち、後年にはウィーンで私設の科学協会を組織して、紀要を発行していた。

1823年にフライベルクを離れ、 25年の夏までエジンバラに住んだ。ここで親交を結んだ学識者には、鉱物学者の R.ジェームソンやレースのR.ファーガソン、地質学者の J・ホール、化学者の T.トムソン E.ターナー、物理学者の D.ブルースターらがあった。この間にモースの教科書の英訳を出版し、ブルースターのエジンバラ科学ジャーナルやジェームソンのフィロソフィカル・ジャーナルなどに寄稿している。エディントン沸石の報告もこの間である。
1827年にターナーは、ヤヒーモフ産の水和砒酸カルシウムをハイジンガー石 Haidingerite の名で報告している。同じ年、P.ベルチェはフランス産の硫化アンチモン鉄をハイジンガー石と命名したが、こちらは後に(1837年)ハイジンガー自身がベルチェに献名し直し、ベルチェ鉱となって今に至る。実はベルチェの名は 1832年にビューダンが献名した ベルチェリン Berthierine にも残っているので、ベルチェ鉱は二種あることになる。(ベルセリウス鉱も同じ事情を抱える。cf. No.763

銀行家の T.アランとも親しく、25-26年に彼の息子の R.アランと連れ立って北欧やドイツを長期旅行した。冬季にはベルリンに滞在して、科学サークルの面々、G.ローゼやH.ローゼ、F.ヴェーラー、E.ミチェルリッヒらと知り合っている。ゲッチンゲンの J.F.L.ハウスマンやF.ストロマイヤー、ハイデルベルクのC.C.R.v.レオンハルト、L.ギュメリン、ミュンヘンのC.ギュメリン、F.v.コッベルらとも知り合い、26年にウィーン大学の正教授となるモースにも会いにいった。
27年にオーストリアに戻ると、エルボーゲン(現チェコのロケト)の兄弟が経営する陶磁器工場で働いたが、傍ら科学の研究もやめなかった。
1840年、ウィーンに出て、帝国鋳貨鉱業中央館の鉱物コレクションの管理官となった。他界した師父モースの後任である。若い鉱山技術者への鉱物学・地質学講義も引き受けた。彼の鉱物学上の関心は(他の鉱物の形態をとる)仮晶・擬晶に進み、硬石膏が石膏化する現象や、方解石(炭酸カルシウム)が苦灰石(炭酸マグネシウム)に置換される現象に集中していった。また結晶面によって異なる色が見える現象を記述して「多色性」の用語を作った。1849年には帝国地質学協会の設立に参画し、主席役員となった。

彼が出版した鉱物誌には多くの新種が紹介されて、その報告数は ヴェルナー、アユイ、ビューダン、ブライトハウプト、ハウスマン、T.トムソン、S.U.シェパード、J.D.デーナといった面々のそれに匹敵する。今日まで残る種名で 「1845年 ハイジンガー」とコメントされるものは、この年出版されたハンドブック "Handbuch der bestimmenden Mineralogie" に名称が初出した鉱物である。
鉱物名には種名として廃されたものが数えきれないほどあるが、何が残るかは後世の著述者の裁量に委ねられるので、多分に運命的なところがある。とはいえ W.ハイジンガーに由来の名称が多く存続しているのは、やはり彼の築いた人脈が一定の影響力を発揮したものと思われる。

沸石に話を戻すと 19世紀初から細分化の始まった分類記載は 1820年代が一つのピークとなった。No.901から本項まで当時の記載史を垣間見てきたが、これらの他、1825年にブルースターは北アイルランド産、イタリア・ヴィチェンツァ産のものをグメリン沸石 gmelinite と名づけた。チュービンゲン大の化学教授 C.G.ギュメリンに因む。
少しダブるが、(灰)十字沸石 Phillipsite は 1825年にレヴィが、エトナ火山の斜面に産したものをイギリスのW.フィリップスに献名した。

以上をリストにすると次のようである。

種名 記載年 記載者
(沸石 Zeolite :総称) 1756年 クルーンステット
白榴石 Leucite 1791年 ヴェルナー
菱沸石 Chabazite (-Ca) 1792年 ボスク・ダンティック(1788)
束沸石 Stilbite (-Ca) 1801年 アユイ  (1796)
方沸石 Analcime 1801年 アユイ (1797)
重土十字沸石 Harmotome  1801年 アユイ
ソーダ沸石 Natrolite 1803年 クラプロート
濁沸石 Laumontite  1808年 カーステン(ヴェルナー 1805)
スコレス沸石 Scolecite 1813年 ゲーレン・フックス
中沸石 Mesolite 1816年 フックス・ゲーレン
ギスモンド沸石 Gismondite 1817年 レオンハルト
トムソン沸石 Thomsonite (-Ca) 1820年 ブルック
輝沸石 Heulandite (-Ca) 1822年 ブルック
ブルースター沸石 Brewsterite 1822年 ブルック
エディントン沸石 Edingtonite 1825年 ハイジンガー
灰十字沸石 Phillipsite (-Ca) 1825年 レヴィ
グメリン沸石 Gmelinite (-Na) 1825年 ブルースター
レヴィ沸石 Levyne (-Ca) 1825年 ブルースター
剥沸石 Epistilbite 1826年 ローゼ
※年代はこの名称が与えられた年で、必ずしも種の発見/識別年と一致しない。
(後に亜種名となったものは省略: メソタイプ Mesotype は種名として消滅)

1820年代までに記載された現行種は 18件あったということになる(当時、白榴石は沸石の仲間に数えられなかったが)。
日本で初めて記載された沸石種は湯河原沸石で 1952年のことだが、これは 31種目にあたる(ポルックス石も含めて)。単純計算すると、1830年代以降は10年に 1種のペースで記載が進んだわけである。